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2003年8月5日 火曜日
福田官房長官は4日、今月9〜11日の日程で中国・北京を訪問すると発表した。日中平和友好条約締結25周年レセプションに出席するため。中国側からも、李外相が10日から来日する予定。小泉首相の靖国神社参拝が支障となり、首相訪中が実現する見通しが立たない中、政府要人の往来で関係改善を図る狙いがある。(毎日新聞)
[8月4日13時13分更新]
◆日本は政治的に大虐殺を否定すべし
中国は政治的に南京事件をとらえている。しかし、日本人は研究対象として科学的に検証し、それだけで中国と対決しようとしている。南京虐殺を政治的に肯定している中国人に、南京事件の科学的な検証や論理だけでは通用しない。日本人はこのことに気がつくべきである。日本は科学的論理的な否定とともに、今後は政治的にも否定する必要がある。科学的にいくら否定しても、中国人は絶対に納得しない。ますます政治的になるか感情的に反発するだけで不毛の論争になるだけである。
中国が政治的に南京大虐殺を肯定するならば、日本は政治的に否定しなければならない。政治の舞台での論争ならば、政治的に否定しなければならない。これは原爆投下について、被害をいくら言いつのっても、アメリカは政治的に否定していることと同じである。「太平洋戦争の終結を早めるためにやむをえざるものであった」というアメリカの主張はきわめて政治的な結論である。被害者数や残虐性をいいつのる土俵にはのぼってこない。
南京事件についても同じである。日本は政治的発言をしなければならない。もし、それで一時的に国交が断絶しようとも、未来永劫の日本の国益を考えたならば、政治的に否定するのが国益にかなう。これが戦略的判断である。
我々は、北京詣でをして中国人に謝罪する日本の政治家のリップサービスの犠牲になってはならない。まして、子々孫々を知能指数の低い政治家の犠牲にするなど一言語道断である。政治家は、過去の歴史ではなく、日本の未来の歴史にこそ責任をもたなければならない。過去の歴史への無貢任なリップサービスは、日本の未来の歴史に取り返しのつかない害毒をもたらす。戦略的思考のかけらもない知能指数の低い日本の政治家たち、臆病で腰抜けな政治家たち、彼らには総退場してもらうほかはない。
南京大虐殺を一言いつのり、記念館を建てて日本を非難する中国へ、断固たる抗議ができない連中が政治を語る資格などまったくない。南京攻略戦で戦死した勇敢な日本兵に対して顔向けができるのか。(P142-P143)
◆三〇万人説を論破するディベート
中国人 「南京大虐殺を謝罪しろ」
日本人 「大虐殺とは何か定義してくれ」
中国人 「大量の中国人を虐殺したことだ」
日本人 「大量とは何人だ」
中国人 「三〇万人だ」
日本人 「三〇万人の根拠を示せ。具体的な氏名を出せ」
中国人 「そんなことは不可能だ」
日本人 「ならば、三〇万人は嘘だ」
◆南京攻略戦は正規の戦争であるというディベート
中国人 「日本は南京で大虐殺を行なった」
日本人 「それは根拠のないつくり話だ」
中国人 「そんなことはない。南京城が陥落した後、城内で大量の人間を虐殺した」
日本人 「南京攻略戦では、日本軍は降伏勧告をした後、戦端を開いた正規の戦争である。戦争に戦死はつきものである。日本軍も損害を出している」
中国人 「民間人を虐殺したのだ」
日本人 「中国兵は卑劣にも軍服を脱いで民問人になりすました。軍人としては恥ずべき行為だ。首都を死守しない恥ずかしい軍隊ではないか」
中国人 「日本軍が迫ってきたからだ」
日本人 「情けない軍隊だ。軍隊ならば、首都を死守し、捕虜となるくらいなら、死んでも守り通す気概が必要だ」
◆中国軍の恥ずべき実態を突くディベート
中国人 「南京での日本軍と日本人は残虐だ」
日本人 「中国人は自分たちの南京戦における敗戦や弱さを日本軍の残虐行為にすり替えている」
中国人 「残虐な日本人は反省がないのか」
日本人 「残虐さは歴史的に中国人のお家芸ではないか」
中国人 「日本人は南京大虐殺の反省がまったくない」
日本人 「首都を防衛できなかった中国軍の弱さを反省しろ。軍服を脱ぎ捨て逃亡するなど軍人としてあるまじき行為だ。恥を知れ」
以上が、中国人との想定ディベートの事例である。中国からの非難に対して、現状では断固として反駁する必要がある。日本が謝罪して中国が納得し矛を収めるきざしがない。共産主義独裁政権が続くかぎり、この事態は変わらない。ならば、日本の子々孫々を守るために、断固として謝罪を拒否し、徹底的に反駁する必要がある。すでに述べたように、この点が私が南京大虐殺事件を政治的に否定せよという理由である。
.アメリカなどの自由民主主義の国ならば、お互いを認めあうことができる。しかし、中国は、国内の不満を対日にすり替えることを国家ぐるみでやっている。反日の施設や展示やキャンペーンは、この国が日本を見通しうるかぎり、敵対するという意思表示とみなければならない。だいいち核ミサイルの照準を日本に合わせている国と、自由主義諸国と同じような友好などありえない。中国は、仮想敵国として、厳重なる警戒の中での友好しかない。
◆南京攻略戦は父祖たちの誇るべき歴史である
南京攻略戦は日本民族として恥ずべき行為ではない。恥ずべきは中国軍である。首都を防衛できず、軍服を脱ぎ捨てて逃亡するという軍隊としてあるまじき行為である。すでに述べたように、強い軍隊とは徹底的に敵を圧倒職滅するものである。敵を圧倒残滅するからこそ強い軍隊なのである。強い軍隊は誇りにこそすれ何のやましいこともない。イラク戦争での強いアメリカ軍と同じで、自国民の誇りである。
日本人は、我等の父祖たちの雄々しい戦いの跡、世界に冠たる強い軍隊をもっていたという歴史の事実を誇りにすべきである。このことと南京攻略戦での犠牲者の問題は別である。日本軍も多くの損害を出した。上海戦以後、一万人以上の戦死者を出している。松井司令官は熱海に興亜観音をつくり、日中両軍の戦死者の霊を弔っている。まことに武士道精神にもとづく振る舞いである。
◆ 日本が衰退しているほんとうの埋由
南京攻略戦では日中に多くの犠牲者がでた。しかし、その後の対応がちがう。中国は英雄として祭っている。日本は戦死者の屍に苔をうち足蹴にしたままである。国家を死をもって守った人間をないがしろにしている国に未来はない。国家は衰退に向かうしかない。もし、日本が衰退しているとするならば、その原因は不況ではなく、日本のために 黙って死んでいった犠牲者をないがしろにしたせいである。
歴史をないがしろにするものは、歴史からしっぺ返しをうける。今、日本はそのしっぺ返しを受けているのかもしれない。南京事件は謝罪してすむという問題ではない。日本民族の未来がかかっている重大なるテーマである。ゆえに、ディベートを学び、中国からの理不尽な非難に対して、徹底的に反駁することが必要なのである。全否定で戦うことが重要である。感傷的な反戦感覚では子々孫々に重大な損害を与えることを自覚したほうがよい。(P149-P153)
PHP 北岡俊明著 「ディベートからみた東京裁判」:http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=31154057
今月も8月15日がやってまいりますが、今年も靖国神社参拝をめぐり左翼マスコミが騒ぎ立てるのだろう。中国や韓国はA級戦犯が祀られた神社だから、参拝はけしからんと言っている。しかしA級戦犯と決め付けたのは東京裁判である。私はこの東京裁判に多くの疑問を持っている。これは「裁判」と言いながら「裁判」ではないのである。戦勝国による報復ショーなのである。
東京裁判が公正な裁判といえないのならば、A級戦犯と言う判決も不公正なものである。東京裁判においては弁護側から様々な反論が出されたがことごとく却下された。だから中国・韓国からA級戦犯がどうのこうのという問題は、東京裁判を肯定するか否定するかの問題となる。小泉総理は今年は8月15日に靖国神社を参拝しない。この事は東京裁判を肯定しているからなのか。
まず第一は裁判長の忌避を申し立てたが却下された。前歴に問題があった。明らかに中立公正な立場の人物でなかった。これだけでも裁判として成立しない。第二は管轄権の問題であり東京裁判で日本を裁く権利があるかと言うことだ。終戦時に日本国も日本政府も存在しており連合国と日本国との間でポツダム宣言の受諾があったから戦争は終わったのである。無条件降伏したのは日本国軍である。
ナチスドイツはヒトラーをはじめ要人は自殺したり逃亡して、ドイツ政府そのものが無くなってしまった。政府がなければ裁判所もないから連合国が裁判することになる。しかし日本国には政府も裁判所も存在していた。だから日本国の責任で戦争犯罪人を裁判すべき問題なのだが、連合国から否定された。これは日本国への主権の侵害である。だから東京裁判には管轄権がない。B級C級裁判も日本国への主権の侵害のもとに行われた違法裁判である。
いわゆる南京事件は東京裁判の中で突然出てきた事件である。しかし裁判で証拠能力のあるものは一つとして示されず、多くが伝聞を言うだけで物的な証拠も、状況証拠も怪しいものばかりだ。朝日ジャーナリズムもたびたび決定的証拠があったと騒ぐがその都度、欠陥を指摘され否定されている。東京裁判においても30万人の虐殺を言い立てたが、弁護人の証言でも「南京の人口は20万人であります」と釘を刺されている。
このような伝聞証言を証拠として採用され松井司令官は処刑された。B級C級裁判においてもこのような伝聞証拠で次々と処刑された。このようなデタラメな裁判を裁判として認めることは常識としてありえない。だから中国の首脳がA級戦犯が祀られているからけしからんと言うのは、政治的な効果をねらった発言なのだ。このような内政干渉を許してはならない。
竹本忠雄・大原康男著 「再審南京大虐殺」:http://www.meiseisha.com/katarogu/nankin/nam1.htm