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人間の社会においては、有史以来、男が女よりも主導的な働きをしてきたというのが常識である。現代でも、建前はともかく、相変わらず男社会が続いている。女性が要職に就くたびに、「これからは女の時代だ」とマスコミが騒ぐのは、逆に、女性が依然として低く見られている証拠である。しかし、人類の歴史全体を通して、常に男尊女卑であったわけではない。有史以前は、むしろ女尊男卑の時代だった。
このことを最初に指摘したのは、スイスの法学者・バッハオーフェンである。バッハオーフェンは、1861年に出版した『母権論』で、ギリシャを中心に、エジプトやインドなどの古代の神話やその他の史料の分析を通して、有史以前に、女性支配(Gynaikokratie)の時代があったという仮説を発表した。
有史以前の人々は、大地に雨を降らせて作物を育くむ天を、女陰に精子を降らせて子供を育くむ父として表象した。だが、彼らが、豊穣を願って崇拝したのは、父なる天空ではなくて母なる大地であった。男根期以前の幼児が、もっぱら母親にしか関心を向けないように、幼年期の人類は、もっぱら母なる大地にしか関心を向けていなかった。
先史時代の人々は、現在の私たちと同様に、作物は、その作物が生えている土地の所有者の所有物だと考え、雨がどこから降ってくるかとか、種がどこから飛んできたかということは、所有権を決める上で、考慮に入れない。だから、先史時代の人々が、子供(作物)が、父親(天)の所有物ではなくて、母親(大地)の所有物であると考えたことは、ごく自然なことなのである。先史時代の社会の多くは、子供が、母親の姓を名乗る母親の所有物で、遺産が母から娘へと相続される母系社会だった。
もちろん、母系社会と母権社会は、概念的に同じではない。しかし、今でも世界の辺境に、生きた化石のように残存している未開民族たちの母系社会は、多くの場合、女尊男卑の母権社会である。そこでは、文明社会でなら、男がする役割を女がしている。最も男性的な職業と思われている兵隊ですら、女性の職業である場合もある。例えば、アフリカのデホミ族においては、戦争は女の役割である。彼女たちは一般にきわめて勇敢で、臆病な女兵士は「おまえは男だ」と罵られ、姉妹によって処罰される。臆病者のことを「女々しい」と形容する男社会とは対照的である。
古代ギリシャでは、アマゾンの女戦士の伝説が有名である。ディオドロスの『世界史』によると、小アジアのアマゾン女族の女王は、「法律を定め、女たちには従軍させ、男たちには卑しい奴隷の仕事を課した。男児が生まれると、脚と腕を不自由にして、戦えなくし、これに対して女児は右の胸を焼かれて、大きくなったときに戦場で[右の乳房が弓を引く上で]邪魔にならないようにした。それゆえ、この民族はアマゾン[乳房がないもの]と呼ばれるようになった」。
このディオドロスの話は到底史実とは思えない。右利きの女性の体験談によると、弓を射る上で邪魔になるのは、むしろ左の乳房の方なのだそうだ。戦う上で、右の乳房をつぶす必要はないし、実際、ギリシャで描かれるアマゾン女戦士の像には、乳房は二つともある。また、言語学者によれば、《アマゾン=ア+マゾン=乳房がないもの》というギリシャ人による通俗的解釈は誤りである。「アマゾン」の語源に関しては、まだ定説はないが、「月の女神の子供」を意味する古代ペルシア語の"uma soona"に由来するのではないかという説がある。
では、アマゾン女戦士の伝説は、マゾ趣味の男の妄想から生まれた、たんなる虚構なのだろうか。そうではない。考古学的発掘は、当時アマゾン海と呼ばれていた黒海沿岸にアマゾン女戦士がいたことを示している。この地域の女性の墓は武器を副葬品としている。頭蓋骨に鏃が突き刺さったまま、埋葬されている遺体もあった。坐骨の形状から、恒常的に馬に乗っていたと推測されている。
黒海沿岸での女性支配は、その後も長く続いたようで、7世紀になると、この話は中国の文献にも登場する。『唐書』によれば、カスピ海近くに女性支配の国があっただけでなく、チベットにも女尊男卑の国があったとのことである。『唐書』は、両者を区別するために、前者を西女国、後者を東女国と呼んでいる。
中国は有史以来、男尊女卑の国となったが、5000年前の長江文明では、女性墓に副葬品が多く、女性上位の社会であったと考えられている。その後中国文明の中心は、黄河に移るが、祭政未分の殷の時代には、女性の地位はまだ高かった。紀元前14世紀頃、殷王武丁の后である婦好は、一万三千人の軍隊を率いて羌を征伐したことが甲骨文字に記録されているが、この勇ましい女性の存在は、婦好の墓の発掘結果から支持されている。
もう一つの古代文明の中心地であるインドも、アーリア人侵入以前は母系社会で、女性の地位は高かった。『リグベーダ』には、曙の女神ウシャスが重要な存在として頻繁に現れる。古代日本も、卑弥呼や台与が国を治めたことからもわかるように、女性の地位が高い母系社会であった。このように、女性崇拝の傾向は、多くの古代文明の黎明期に見られる。
女性崇拝はいつから始まったのだろうか。その歴史はかなり古いと見られている。世界史の教科書などによく写真が掲載されているヴィレンドルフのヴィーナス像(下の写真)を代表とする石の女神像が旧石器時代の遺跡から見つかっているが、男神像を崇拝した形跡は見られない。また、アルタミラやラスコーの洞窟には、人間よりも動物の絵がたくさん描かれている。この自然崇拝も、後で説明するように、女性崇拝の証拠である。
Venus von Willendorf
Quoted from http://www.nhm-wien.ac.at/d/engvorschau.html
Copyright © Naturhistorisches Museum, Vienna
ヴィーナス像に関しては、次のように反論する人がいるかもしれない。「ヴィーナス像は、誇張された豊満な乳房や丸みを帯びた腰や性器を示す切込みなどのセクシーな特徴から判断して、男たちのオナニーのおかずとして作られたに違いない。現代社会においてそうであるように、男性優位の社会では、ポルノの被写体は男よりも女の方が圧倒的に多い。女の石像がたくさん作られたということは、旧石器時代がむしろ男社会であったことを証拠立てている」云々。
はたして、旧石器時代の私たちの先祖は、あのヴィーナス像を見ながら、しこしこやっていたのだろうか。私はそうは考えない。もしも、ヴィーナス像が野郎どものオナニーのおかずだとするならば、像の頭部に顔が、とりわけセクシーで魅力的な顔が描かれていてしかるべきである。なのに、ヴィーナス像のどれにも顔が描かれていない。旧石器時代の男たちが、みんな顔には興味を持たない乳房フェチのマニア揃いだったとは考えられない。では、なぜヴィーナス像には顔が描かれないのか。
みなさんは、『ベン・ハー』という映画を見たことがあるだろうか。チャリオット・レースのシーンで有名なこの名作には、イエス・キリストが登場する。ところが、この映画では終始、イエスの顔が映されない。これは、うまい演出の方法である。イエスの顔を隠すことにより、視聴者に、神聖なイエスの顔を想像させることに成功している。
『ベン・ハー』のサプルメント(特典映像)には、イエスを演じたあの男優の顔が映し出されている。この男優、実は神聖さのかけらもない、ただのおっさんで、それを見たファンは、「これがイエス?イメージぶち壊しだ!」と失望の悲鳴を上げている。想像した顔が理想的であればあるほど、現実とのギャップに失望するものなのだ。
ヴィーナス像は、ポルノではなく、宗教的な崇拝のために作られた偶像である。偶像に顔が刻まれなかったのは、刻まないで、信者に理想的な顔を想像させる方が、女神の神聖さが増すからだ。ヴィーナス像には、もう一つ理想化された非現実的な要素がある。それはあの豊満な体である。当時の女性があれだけ太っていたとは考えられない。しかし、だからこそ、偶像は非現実的に太っていなければならない。今でも、アフリカでは、太った女性の方がやせた女性よりも希少価値があり、よくもてる。経済が豊かになり、女性たちがみんな太り出して初めて、スマートな女性が憧れの的となる。
豊満な体を持ったヴィーナス像は、先史時代の人々が豊作をもたらす母なる大地を崇拝していた証拠である。先史時代にあったと考えられるこうした女性崇拝の歴史は、なぜバッハオーフェンが指摘するまで、長い間忘れ去られていたのだろうか。それは、文字によって歴史を記録すること自体が、男性原理に基づく行為だからである。
"天空/大地"が"男/女"のメタファーであることは、既に確認した。天空は明るいが、大地の中は、まるで子宮の中のように暗い。男性性器は可視的だが、女性性器は不可視的である。だから、明(陽)は男性原理、暗(陰)は女性原理とみなされる。また天空は、それ全体が男性的であるが、天空の中でも、光を放つ太陽が、特に男性的な存在として表象される。私たちは「…をよく知っている」という意味で「…に明るい」と言い、「…をよく知らない」という意味で「…に暗い」と言う。"知/非知"も、"明/暗"のイメージを媒介に"男/女"の二元論にオーバーラップする。
無知の暗闇に光を当てるということは、アリストテレスの言葉を用いると、質料に対して形相を与えるということである。ラテン語系の言語では、質料(materia/matter)は、母(mater/mother)と同語源である。処女的な無地の材料(material)は、記号化という受精を通して初めて、意味を懐胎する。そして、質料と形相のどちらが事物の本質であるかが、女性原理か男性原理かの分かれ目となる。
西洋哲学の歴史は、ターレスの「万物のアルケーは水である」というテーゼから始まることになっている。水は、雨として降る時は別として、海や湖としてたまった時は、大地と同様に、女性である。そこには、羊水との連想がある。その後、クセノファネスは、土が万物のアルケーだと主張した。彼らは古い女性原理の信奉者である。
これに対して、アナクシメネスは空気が、ヘラクレイトスは火が、アルケーだと主張した。これらは、新しい男性原理の方向を目指した説である。最後に、エンペドクレスは、「万物は水と空気と土と火の4つの元素からなる」という妥協案を出し、アリストテレスもこの総合説を採用している。プラトンのように、イデアこそ真実在だと純粋な男性原理を説いた哲学者もいたが、ギリシャ哲学においては、ギリシャ神話においてと同様に、男性原理が女性原理に完全に打ち勝つにはいたらなかった。
男性原理によって女性原理を完全に克服したのは、ユダヤ−キリスト教だった。ユダヤ−キリスト教は、世界初の本格的な一神教としてしばしば特徴付けられるが、この宗教には他にも、偶像崇拝の禁止など特異な点がある。ヤハウェは、「汝、自己のために何の偶像をも彫むべからず。また上は天にある者、下は地にある者ならびに地下の水の中にある者の何の形状をも作るべからず」(旧約聖書・出エジプト記)と偶像を作ることを禁止している。イエス・キリストも「汝ら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛せば、御父を愛する愛そのうちになし。おおよそ世にあるもの、即ち肉の慾・眼の慾・所有の慾などは、御父より出づるにあらず、世より出づるなり」(ヨハネ第一の書)と物質への愛と父なる神への愛を峻別している。
偶像は物質から作られる。だから、偶像を崇拝することは、"物質=母"の崇拝につながる。ユダヤ−キリスト教は、そうした母なる神の崇拝に対するアンチ・テーゼとして現れた父なる神を崇拝する新しい宗教である。ここでもまた、質料か形相かが問題となっている。この問題は、多神教か一神教かという問題ともかかわってくる。偶像が崇拝対象であるならば、偶像の数だけ神がいることになる。質料は多様だが、形相は一なるものである。だから、一神教は男性原理に、多神教は女性原理に基づいていると言うことができる。
ユダヤ教の誕生は、当時としては大変な宗教革命で、『旧約聖書』には、人々がこの革命についていけなかったことを伝えるエピソードが書かれている。出エジプトの後、モーゼが山に登って、40日間降りてこない間、シナイ山の麓で待つイスラエルの民は、目に見えない神を崇拝することが不安になり、金の牛を作って、これを崇拝し始めた。偶像崇拝の習慣は、容易にはなくならない。実際、後にキリスト教は、伝統的な女性崇拝と妥協するために、マリア崇拝や偶像製作を認めたりするのである。
金の牛のエピソードで、牛という動物が崇拝されていることに注目しよう。『旧約聖書』によれば、神は自らの姿に似せて人を創ったわけだから、神は、直接見えないにしても、人の形をしているはずである。だから、ユダヤ−キリスト教は、それ以前のアニミスティックな自然崇拝とは一線を画している。イスラエルの民が、牛の偶像を作ったのは、エジプトでは、ファラオに乳を与える牛の女神ハトホルが崇拝されていたからと推測できる。だから金の牛のエピソードは、女対男、自然対人間、偶像崇拝対偶像禁止という対立関係を背景にしている。
英語の"man"は、「人」という意味を持つと同時に「男」という意味をも持つ。古代ギリシャ語の"anthropos"にも同様の語法がある。他方で、自然を意味する"nature"は、語源的には「産まれる」という意味のラテン語に由来し、女性と関係付けられている。このように、男と女の関係は人間と自然の関係として捉えられていた。
フェミニストたちは、"man"の二義性をセクシズムとして非難し、"chairman" を "chairperson" へと訂正させるなど、言語改革運動を推進している。だが、「人」と「男」の同一視は、必ずしも女性蔑視を帰結しない。人間が自然に対して無力で、自然崇拝が盛んだった先史時代においては、自然が人間よりも優位だったがゆえに、女は男よりも優位だった。現代のフェミニストたちが、「人」と「男」の同一視が女性差別につながると危惧するのは、人間が自然に優位するという男社会の価値観を暗黙のうちに肯定しているからだ。
人間を生んだのが自然であるように、男の子を産むのは母親である。これは自然な考えである。ところが、『旧約聖書』では、最初の女(イブ)は、男(アダム)の肋骨から創られている。女が男を産むという自然な考えが否定され、男が女を産むという反自然的な説明がなされている。ここに、女性原理に対する男性原理の優位を見ることができる。
生まれたばかりの男の子が無力で、母親のなすがままであるように、初期の人類は、無力で、自然に翻弄される存在でしかない。だが、やがて男の子は成長し、父親に憧れ、父親になる。同様に、人類も、自然の呪縛から解かれて、父なる神に憧れ、そして近代以降自ら神となって自然を支配する。そして、人間が自然を支配する時代は、同時に男が女を支配する時代である。人間と自然の関係を見れば、男と女の関係もわかるものなのだ。
人間が自然に対して、そして男が女に対して優位に立ったのは、いつごろからなのか。女尊男卑の社会が見られるのは、先史時代や未開の辺境においてである。文明の成立が男尊女卑社会の成立と密接にかかわっているはずだ。そこで、男性原理が台頭し始めたのは、新石器時代になって、人類が農業を始め、文明への道を歩み始めた頃と推測することができる。
女尊男卑から男尊女卑への移行は、急激に起きたわけではなく、途中に長い過渡期があった。古代エジプトにおいては、女は法的に男と対等で、平民の女でも、財産を相続したり売買したり、その他法的効力のある契約を結んだり、離婚等の訴訟を起こすことができた。古代エジプト人が半神半獣の神を崇拝していたこと、イシスのような女神が男の最高神と同じぐらい重視されていたこと、ナイル川を氾濫するに任せ、これを人為的にコントロールしようとはしなかったことは、古代エジプト文明の時代が、自然と人間、男性原理と女性原理が均衡していた過渡期であることを示している。
男尊女卑社会へのターニング・ポイントは、ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだ、紀元前500年前後の時期である。この時期は、ギリシャ哲学の最盛期であり、ユダヤ教の預言者が活躍した時期であり、インドでは仏教が、中国では儒教が現れた時期である。これらの世界的な宗教と思想の革命は、いずれも女性原理から男性原理への転換を促した。
では、なぜ自然に従属していた人間は、自然を支配することができるようになったのだろうか。知識と技術の蓄積の賜物と言ってしまえば、それまでだが、私は、気候的な背景をも重視したい。過去13万年間の、現生人類が生きた時代の気温変化を調べてみると、新石器時代以降の完新世だけが、例外的に極めて安定していることがわかる。その理由はよくわかっていないが、深層海流による温度調節が有効的に機能しているからだという説がある。
1万年前頃に起きたヤンガードリアス事件までは、《暴れる自然=暴れる女》の時代であり、ヤンガードリアス事件以降は、《おとなしい自然=おとなしい女》の時代である。自然がおとなしくなったから、人類はこれを意のままに支配することができるようになり、女がおとなしくなったから、男はこれを意のままに支配することができるようになった。
レイチェル・カーソン女史が『沈黙の春』を出版して、環境破壊に警鐘を鳴らしたのは、1962年のことである。以後、70年代に入って、自然環境問題が顕在化し、人間に対する自然の反逆が始まる。ウーマンリブ運動やフェミニズム運動が盛んになり、男に対する女の反逆が始まるのも、ちょうど同じ70年代からである。現在は、人間と自然との共生に関しても、男と女の共生に関しても模索が続いている状態である。
http://www.nagaitosiya.com/lecture/0151.htm