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<またまた北京訪問記(その1)> 太田述正コラム
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 7 月 31 日 02:57:53:

太田述正コラム#132(2003.7.26)
<またまた北京訪問記(その1)>
 7月19日から25日まで、北京に行って来ました。夜に着いて朝発って来たので、
実質5日間ですが、それまでの三回の北京訪問の中では最も長い滞在ということに
なります。
 最初に「周辺的な」感想を述べたいと思います。

 第一に北京市に関しては、豊かさが一般市民レベルまで及んできているなという
ことです。
 マクドナルドの店舗が北京だけで100カ所を越したらしいのですが、どこも満員の
盛況です。私が二カ所で食べたビッグマックは一個10元(140円程度)で、日本の半
分程度のお値段だとは言っても、日本と中国の所得の違いを考えれば大変高い・・
れっきとした飲食店での朝食が4−5元で食べられる・・にもかかわらず、大人気
なのです。きっとマクドナルドは、北京市民にとって夢の国アメリカ、或いは未来
を象徴する存在なのでしょう。
 しかも、中国の経済発展のスピードは加速度的にあがってきています。今まで経
験しなかったことですが、空港ビルの外でも、王府井でも、歩いていると名刺大の
広告ビラをあちこちで手渡されました。やがては、日本でのようにティッシューペ
ーパーに織り込んだ形で渡すようになるのでしょうか。
 その一方で、初めて乞食を目にしました。王府井で、それぞれ一人の子供を連れ
た男性と女性が、道を挟んで斜めの位置に座り込んで、通行人に物乞いをしていた
のです。私にはこれはニッチをねらった一種のベンチャービジネスに思えたことで
した。

 第二に、北京市民はその豊かさの代償を早くも公害という形で支払っているとい
うことです。
 私の北京滞在中、一度も太陽や青空を拝することができませんでした。本当に曇
っている日もあったのでしょうが、晴れなのか曇りなのかも定かでない、けぶった
ような毎日ばかりだったのです。北京の交通機関は、二本の地下鉄(現在三本目を
工事中)と自転車を除けば自動車だけであるため、排気ガスが空中に充満している
からでしょう。(北京は周辺を山で囲まれています。)このため、このところ北京
を訪問するたびに私のアレルギーが発症して、鼻は腫れるは目は痛くなるはでさん
ざんな思いをさせられています。ところが、北京の人々はこのことを殆ど気にして
いない。そのことがいつも私を暗然たる思いにさせるのです。

 もっと心配になったのは、第三に、思想、集会の自由に依然厳しい制約が課され
ていることです。結局は共産党による一党独裁が原因ということになるわけです
が、制約とは具体的には次のようなことです。
ア 公園がない・・普通の国の都市にはどこにもある、無料で市民が憩い、集うこ
とができる公園が北京にはない。
イ 集会場がない・・教会や寺院に信者以外が自由に出入りすることができない。
(王府井のキリスト教教会からの類推。)市民が自由に低い賃料で時間借りができ
る会議室やホールのようなものもなさそう。
ウ 喫茶店がない・・中国茶を飲ませる店はあり、増えているというが、なかなか
格式が高く、気軽に入れる雰囲気ではない。マクドナルドやスターバックスはある
し、増えつつあるが、落ち着いて語り合えるような雰囲気では必ずしもないことは
ご承知の通り。もっとも、この点は変わりうるのかもしれない。
エ 情報統制がある・・新聞・雑誌・書籍に検閲制度がある。テレビもケーブルテ
レビしか(少なくとも北京では)認められていない。洋書について、非マルクス主
義社会科学書や歴史書を中心に輸入規制がある。ホームページのブラウジングが自
由にできない(例えば、ポルノはもとより、台湾のサイトも一切閲覧できない。そ
のほかにも閲覧できないサイトがある)。
 中国経済の急速な発展は、先進国からのコンセプトや技術の導入によってもたら
されましたが、やがては自前のコンセプト作りや新技術の創出なくしては経済発展
ができなくなります。しかし、このように自由が制約されていては、中国から画期
的な新しいコンセプトや技術が生まれるとは思えません。中国は、既に触れた環境
上の制約のほか、エネルギー確保上等の制約に直面するよりも早く、この創造性の
制約に直面することは必至であり、その時期は目前に迫っているという気がしてな
らないのです。

 第四に、中国における歴史への無関心です。
 歴史への無関心というのは第三と関連するのですが、こういうことです。
 今回、会う人ごとに、明の永楽帝が行わせた鄭和の大遠征に関してイギリス人の
アマチュア学者が本を書き、その中で打ち出した新説・・鄭和の艦隊がコロンブス
より早く新大陸を発見し、マゼランより早く世界一周をなしとげており、コロンブ
スやマゼランは鄭和のつくった海図をもとに新大陸を「発見」し、世界一周を「な
しとげた」という説・・を話題にしてみたのですが、誰一人この話を知らなかった
のにはびっくりしました。
 昨年前半、英国や米国のマスコミで大きな話題になったというのに、中国内では
報道されなかったか、報道されても話題にならなかったとみえます(帰国してから
調べてみたところ、人民日報の電子版の英語バージョンで昨年の3月6日に報道が
なされていました
http://english.peopledaily.com.cn/200203/06/eng20020306_91553.shtml
)。ですから、人民日報の本紙でも報道されたと思われます。)
 また、私の会った人には国際関係論を専攻している学者が多かったのですが、彼
らは外国の文献や新聞等を読むのが商売だというのに、自分の狭い専攻領域以外の
本や記事については、たとえそれが中国にとって大きな意味を持つものであろう
と、一切関心を持たず、従って読まないということにもなりそうです。
 これは極めて問題ではないかと思いました。
 なぜならこれは、中国の国際交流関係者や国際関係論の研究者等のインテリ達
が、中国共産党の歴史観(注)をひきずっており、中国の過去の歴史の一切を否定
的に見ているということを意味するからです。およそ歴史を振り返ることなくして
未来を思い描くことはできないというのに・・。
 中国史における最大の問題は、春秋戦国時代から明の時代に至るまで、日本や西
側世界に大きな影響を与えるような思想(孫子等)や科学技術(火薬、印刷、羅針
盤等)などを生み出し続けてきた創造性豊かな中国の近現代における創造性の枯渇
だと私は考えています。

(注)今回訪問した、天安門広場に面した国家博物館内の蝋人形館には35名の中国
  史上の偉人達が展示されていますが、そのうち、清末期以降以前からは、政治
  家はゼロ、革命家は当然ゼロ、模範人物も当然ゼロ、そしてわずかに文化人14
  名中孔子、司馬遷、李白、李時珍(医学)、曹雪芹の5名。つまり、全中国史
  中、清末期までのウェートはわずか七分の一というわけです。中国共産党の歴
  史観躍如たるものがあります。

 この問題への取り組みなくして、中国が今後直面するであろう創造性の制約の突
破に成功することはありえないのではないでしょうか。
 そのような観点からすると、鄭和に関する新説に関心を持たない現代中国のイン
テリ達の態度が私には理解できません。仮に上記の新説が正しければ、外の世界に
向けて開放的であった永楽帝の時代に明は従来考えられてきた以上に世界に大きな
貢献を行ったにことになりますが、にもかかわらず帝の死後明は急速に内向きにな
り、鄭和の遠征の成果は中国では全く顧みられることがなくなってしまということ
になります。このように中国史上の最大の問題を凝縮しているような史実を前にし
て、インテリ達が知識欲をかきたてられないこと自体が問題なのです。

 第五に、これも第三と関連するのですが、身近な事実への無関心です。
 世界遺産の一つである明の十三陵のうちの最大の定陵(第14代の万暦帝の墓)を
今回訪れたところ、地下の玄室に並ぶ帝と二人の皇后の巨大な棺桶の前に、それぞ
れお金が山盛り状態になっており、よく見てみると人々がお金を投げてから合掌し
頭を垂れて祈っているではありませんか。
 別段万暦帝(1562-1620)が特に強大な皇帝であったわけではありませんし、善
政を敷いたわけでもありません。それどころか、彼の48年間に及ぶ長い治世に問題
があったからこそ、彼の死後24年で明は滅亡してしまうのです。にもかかわら
ず、中国の民衆の多くは、亡くなって久しいこの皇帝(の遺骸)が霊験あらたかで
あると信じているということになります。
 ところが、今回同じく世界遺産である天壇公園を訪れたときのことです。天壇と
は、明の永楽帝が建設した、神々に豊穣を祈るための祭壇なのですが、いくつもお
宮があり、その中に神の名前を記した位牌型のお札が納められています(Li
Yuanlong, Temple of Heaven, Morning Glory Publishers Beijing, 1999)。
 その神前にお金は全く供えられておらず、祈っている人もいませんでした。
 一体この違いはどうしてなのか、これまた、会う人会う人に訪ねてみたのです
が、誰も答えられません。それどころか、いかにも興味なさそうな顔をして話を逸
らしてしまう人が何人かいました。その中には哲学を専攻している学者もいまし
た。
 民衆の宗教感情、より一般的には精神構造に関心を持たないインテリとは一体何
なのでしょうか。

 第四で紹介したことと言い、このことと言い、これでは第三の状況をインテリが
打破していくことができるとは到底思えないのです。
 訪中を終え私は、現代中国のインテリ達が自ら積極的に意識改革を行っていくか
どうかを注視していきたいと思っています。
(続く)


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