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「十二歳の生存権」『from 911/USAレポート』 第101回
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/152.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 7 月 19 日 21:14:28:KqrEdYmDwf7cM

                              2003年7月19日発行
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』 第101回
   「十二歳の生存権」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』 第101回
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「十二歳の生存権」

アメリカの子供にとって、13歳の誕生日は特別な意味があります。PG13(13
歳未満は保護者の同意が必要)規制の映画が自由に見られるようになるからではあり
ません。ベビー・シッターがいなくても家で長時間留守番ができるし、商店街でも一
人で歩けるようになるからです。

逆に13歳未満の子供にはそのような自由はありません。勿論アメリカの法体系は見
えない社会常識を絡めて柔軟に運用されていますから杓子定規ではありませんが、1
2歳と13歳の間には大きな壁があります。12歳までは子供であって基本的に街を
ウロウロするようなことは認められていないのです。州法により多少の差はあります
が、大多数の州では「13歳」というのが基準になっています。

今回の日本の長崎の事件、東京の赤坂の事件はいずれも12歳が主役のトラブルです。
日本社会も「十二歳の生存権」という問題を真剣に考えなくてはならない時期に来ま
した。様々な議論をしてゆかなくてはならないのでしょう。今週はこの問題について
アメリカの例をお話してみたいと思います。

まず、大前提ですが「12歳が常に大人の監視を受けていなくてはいけない」という
社会はどこかが狂っています。まともではありません。これからお話することは、ア
メリカの場合の方が「絶対に正しい」などということではないのです。アメリカ社会
の方が先に病巣に冒され、多くの悲惨な犠牲を払った上で、試行錯誤を繰り返した揚
げ句にたどり着いたシステムであり、単純に真似をすれば良いというものではありま
せん。

アメリカのシステムは単純な前提に立っています。それは「子供の生存権を優先する」
という考え方です。社会に悪があり、親も含めて大人にも間違いがあるという現実、
そしてそうした悪や誤りに対して「12歳以下の子供の防衛能力には限界がある」こ
とから、社会全体で強制的に子供を保護しようというのが大前提です。

極端な例を上げると「一家心中」と子供の生存権の問題があります。日本語の「心中」
の語源は相愛の男女の純愛だそうで、男女の情死を示し、それが転じて家族の場合に
もなっています。カップルないし家族は一心同体で、死んだのは可哀相だから親だけ
を非難するのは止めようという心情がありました。最近では少しずつ考え方が変わっ
てきていますが、そこには「子供は親の所有物」という考え方が残っているようです。

アメリカでは「マーダー・スーサイド(殺人後の自殺)」という言葉が示す通り「無
理心中」を実行ないし未遂に終わった場合の親ははっきりと殺人の罪に問われます。
どんなに貧困に苦しんでいても、子供を道連れにした場合は同情はされません。そこ
には、親が信用ならない以上は子供の生存権は社会が守るという発想があります。

最近では減りましたが、慣れない海外駐在に苦しんだ日本人の駐在員の奥さんが、う
つ症状などから子供との心中を図って未遂に終わった場合などで、日本であれば「情
状酌量」で終わるところを、第二級殺人未遂で起訴されて大きなトラブルになったと
いうことを聞いたことがあります。

私はこの場合は、夫をゴルフ接待や出張者のアテンドなどで24時間拘束していた派
遣企業こそ「第二級殺人未遂」だと思いますが、さすがにその辺りは最終的に両国の
当局者の間でウヤムヤに処理がされて、日本の企業文化に反省を促す機会は失われま
した。

私に言わせれば被害者は奥さんのはずです。その奥さんを収監したり法廷に引き出し
たりするほど、アメリカの「子供の生存権」への執着は強いものがあるのです。社会
が子供の生存権を守る責任を負っている、という考え方は親の責任を問うだけではあ
りません。「明らかに危険にさらされている子供」を目撃した大人には子供を救う義
務があるのだとされています。

次の例も良くあるようです。日本から観光に来た一家が、お子さんを駐車したレンタ
カーに置いたままで短時間買い物に行っていたら、戻ってみると車はパトカーに囲ま
れて親はそのまま警察へ連行されるというケースです。勿論、通報者があったからな
のですが、通報したのは悪意でも差別でもありません。州によって異なりますが、多
くの州ではこの場合は万が一子供が誘拐されたり、車中で病気になったりしたら、放
置した親だけでなく、見て見ぬふりをした通りがかりの人も罪になるのです。

長時間の留守番もそうです。隣家に明らかに子供が放置されていると気付けば、すぐ
警察を呼ぶのはアメリカでは当たり前です。残念ながら「では私が預かりましょう」
などという人情は通用しません。その家に何らかのトラブルがある、そこで子供が放
置されて生存権が脅かされている、となれば自分が勝手に助けに行ってはダメです。
警察への電話(911番)というのが唯一の解決策ということになります。

子供を放置してはいけない、という発想の背景には「悪い大人から純真な子供を守る」
という発想だけではありません。「判断力のない子供は自分から危険な状況を作り得
る」という前提もあるのです。子供を家に放置すれば、火の元や薬品などの扱いを誤っ
て事故を起こすこともあるからです。

では、どうして「子供の生存権」をそこまで社会が気にしなくてはならないのでしょ
うか。その背景には、そこまでしないと子供が守れない、という問題があります。1
970年代以降に余りにも多くの子供がいろいろな形で犠牲になってきたからです。
その第一は、やはり子供を性的な対象として犯罪の餌食にする事件の頻発でした。社
会の病理として「チャイルド・ポルノ」というような現象が蔓延し、そうした闇の産
業が子供を食い物にしてきました。

その多くは子供の失踪という悲劇になっています。今では大分減りましたが、10年
前には、スーパーのチラシや、ローカル新聞など、本当に様々なところに「行方不明
の子供さん」の写真が懸賞金と共に出ていました。その多くはそうした性的な被害で
した。

アメリカ社会の業病とも言える銃の問題もあります。銃で遊んでいて自分や兄弟を誤
射してしまった子供の悲劇は後を絶ちません。この場合も真剣に銃規制をする代わり
に、「子供を放置しない」だけで済ます考え方もあるのです。

少し違った要素としては、家庭が破局した場合などに、親権を得られなかった方の親
が、裁判所の命令に背いて子供を奪う事件が頻発したことです。日本でもようやくこ
の問題は真剣に考えられ始めましたが、ストーカー的に歪んでしまった「もう一方の
親」が子供を奪うことは結果的に子供を危険に晒すことにもなるからです。

こうした誘拐対策としては、学校や幼稚園などの子供を預かる機関では、「子供を渡
す」対象となる人間を厳重に管理しています。例えば大雪などで学校が早引けになる
ような時に、働いている親が子供を引き取れない場合には「近所の緊急連絡先」に引
き取りを頼むことができますが、そうした「緊急連絡先」については予め届けておか
ないといけないなど、厳格にチェックがされます。

何とも窮屈な社会です。子供の自由度は実に限られています。ですが、12歳までの
子供は「判断力がないから被害者にも加害者にもなりうる」という前提で、「生存権
が危険にさらされるリスク」を社会全体が管理してゆこうということになっています。

物理的な安全だけではありません。冒頭に紹介した映画の規制システムにしても、基
本は子供を守るという発想があります。暴力や性的なものに親しみ、荒れた言葉を使
ううちに、生存権の脅かされる危険は増大するのです。アメリカの子供映画やTV番
組が退屈だったのは、そうした規制の中で表現技術が未発達になったからなのでしょ
う。

それでは管理社会ではないか、子供の自己決定権はどうなるのだ、という反論がある
かもしれません。子供に是々非々を教えるのは大事でも、そこまでやっては子供の自
主性は潰れてしまうという心配があるかもしれません。この問題に関しても、アメリ
カ社会としてのバランスの取り方は、日本とは大きく違います。

13歳になってからのアメリカの教育は、子供を急に大人扱いします。教科内容では
平気で価値判断に踏み込みます。政治的な意見も扱いますし、国語の時間にはテキス
トの批判も奨励します。スポーツの指導なども、12歳までは「ほめて伸ばす」姿勢
だったものが、13歳になると下手な子供は「安全のため」と言って追い出し競争原
理が過酷に導入されます。

男女交際なども、学校公認の「ダンスパーティー」が最近では中学二年生からあり、
早熟な子供は堂々と特定の異性との交際を始めます。12歳までは長時間の留守番が
ダメだったものが、逆にベビー・シッターのアルバイトができるようになるどころか、
高校生にはそうした職業経験を社会が後押しします。

校則などもそうで、12歳まではスクールバスの中で「R指定映画」に出てくるよう
な侮蔑語を使っただけで「校長先生の説諭」が待っているという厳格ぶりです。勉強
に関係のない持ち物は学校への持ち込みは禁止ですし、給食も食券制で現金に触れる
機会もありません。問題行動も幼稚園レベルから厳しく管理されて、何かあれば「校
長先生」や「カウンセラー(やりがいを感じている人が多いのは救いです)」に送ら
れます。

ということで、12歳以下は厳格に管理、13歳以上はどんどん大人扱い、というはっ
きりとした区分けが機能しているのがアメリカ社会なのです。勿論、問題はあります。
このメリハリが「巨大な洗脳システム」になっているのです。13歳以上は大人扱い
されて自由度は上がるとはいえ、目に見えない自由度の尺度となる「期待される人間
像」は実に狭いのです。

弁舌に巧みで、人権感覚があり、特に平等意識にすぐれ、政治的な交渉力があり、ス
ポーツ万能、異性との交際も活発、オーケストラやジャズバンドに熱心で、おまけに
職業経験もボランティアもある、そんな「スーパー高校生」が、要領良く好成績を修
めて有名大学に入りエリートになってゆくのです。

勿論、本当に世界に貢献するようなエリートは輩出しています。ですが、国際政治の
大学教授から横滑りした途端に、何億という人の住んでいる文化圏の中を敵味方で色
分けし、戦争をでっち上げ、言論を封じて恥じることない傲慢さの背景には、価値観
の幅の狭い、そして未知なるものへの畏敬心の少ない13歳以降のアメリカの教育が
あるように思います。

この13歳以降の教育は同時に「どこにも取り柄のない」敗者を大量に作り出します。
その屈折や歪んだ自意識が犯罪の温床にもなり、そこからの更生を通して兵士として
洗脳される場所へ若者を追い込んだりたりということにも繋がっています。

勿論、日本の13歳以降の教育も惨憺たるものです。訓練重視の実学とは聞こえが良
いものの、批判的思考力の育成機会を奪っています。そして、それ自体に意味の薄い
「受験学習」を強いることで、知的なるものを空疎だと誤解させる教育は、アメリカ
の「狭い価値観の中での因果関係説明ゲーム」とは対極をなしています。21世紀の
複雑な世界を渡ってゆく若者を育てるには、どちらでも足りません。

日本の基礎訓練と実学中心のシステム、アメリカの因果関係思考訓練と発信力の訓練
システムを足し併せて、しかも画一的にならず、中央に人類共通の常識を据えながら、
例外や異端をも知る機会を入れた教育観が求められるのでしょう。宗教的になるのは
問題ですが、未知なるもの、人知の及ばぬものへの畏敬は教えたいものです。特に1
3歳以上高等教育まではそうです。

ですが、12歳以下は違うと思うのです。アメリカのような監視制度は方法論の一つ
に過ぎません。ですが、まずは個体としての生存権を認め、社会全体がそれを守って
ゆくことは必要だと思うのです。その生存権の一端として、そして13歳以降の飛躍
を期するためにも、12歳までの生活や教育には分かりやすい制限が必要だと思うの
です。

特に気になるのが、情報や刺激の制限です。目に見える暴力、言葉の暴力、性的情報
のどれについても、日本社会は12歳以下(内容によっては次の段階の17歳まで制
限すべきものもあるでしょう)の子供たちに対して、余りにも無秩序に情報が流され
ています。

この問題は待ったなしなのでしょう。日本の社会は封建的な秩序統制のための文化タ
ブーが横行してきました。ですから、本を読んだり物を考えたりする人の思考回路に
は、統制に抗して自由を戦い取るクセがついています。特に性的な表現に関しては、
限界を破ることに前向きの何かがあると思われた時代がありました。ですが、それは
とっくの昔に臨界点を越えていたのです。

秩序を守って個を押しつぶす弊害と戦っていた間に、醜いものを垂れ流して子供たち
が判断力を養う機会を奪ってきたのです。暴力や性の情報は、人間の感覚に直接訴え
てきます。私は脳の専門家ではありませんが、こうした暴力や性の情報というのは
「同程度の刺激を与えればマヒをしてゆく」のは容易に察することができます。まし
て、12歳以下の無防備で未発達な段階の子供の場合はそうです。

善悪の概念もそうです。「どうして人を殺してはいけないか」などという理屈は13
歳以上になって自分の言葉で抽象概念を扱えるようになってから問えば良いのです。
12歳までは、まず子供の命が守られていること、子供の属する社会が殺人に加担し
てないこと、殺人は罪として断罪されること、といった事実を教えれば済むことです。
その上で、不安感を煽るような刺激を取り除くことが大事です。

今回の一連の事件で、小泉総理にも、遠山文科相にも、まず「子供が困ってくれたこ
とをしてくれた。これから夏休みにこれ以上の社会不安を起こしてくれるな」という
姿勢がほの見えます。これは逆です。大人のすべきことは、まず子供たちに「自分た
ち大人が君たちを守ってあげる」というメッセージを出し、その上で是々非々をしっ
かりと入れてゆくことでしょう。

まして「この世の中に奇麗事はない、自他の自尊心と生存本能の間を遊泳するのが人
生だ」というようなメッセージを社会が発信しているのだとすれば、それ自体が12
歳の生存権を踏みにじっていると言って良いのでしょう。人間という生物には色々な
欠陥がありますが、そんなに捨てたものではないと思わせて人生の次の段階への安心
感をつけるのが社会教育だと思うのです。

加害者の人権と被害者の人権のアンバランスの問題については、近代司法制度の大原
則である「権力は冤罪を作り出すという前提へのチェック装置が社会への信頼を生む」
というロジックを壊すわけにはゆきません。被害者の人権と名誉は、刑事罰の報復効
果で足りない分は、民事裁判でバランスを取り、なおかつ社会全体が同情心を持って
支えるべきだと思います。

その意味で、「打ち首」だとか「どっちが加害者だか」という鴻池大臣の発言は全く
の的外れだということが言えるでしょう。ここには子供を守るという姿勢が全く欠け
ています。それ以上に、この発言自体が「偽悪的」な薄汚い情念にまみれて近代的な
秩序の概念を馬鹿にしており、12歳以下に原理原則を教える上での毅然とした姿勢
の対極にあるからです。

同じことは社民党の福島幹事長にも言えるでしょう。「(子供たちが)渋谷へ行った
のが悪い、男について行ったのが悪いという風潮が問題だ」などという発言を新聞社
系のニュースで見ましたが、子供たちが「渋谷へ行ったのは悪い」のです。それは絶
対に悪いのです。

ですが、これは子供の話ですから「悪いことをしたから被害に遭ったのは仕方がない」
のではないのです。「悪いことをさせたことも含めて、させないようにしなくてはい
けない」のです。この場合は子供の自己決定権より生存権を優先すべきなことは明白
でしょう。事件に絡んでくる大人達が重罪なのは言うまでもないことです。

長崎の事件もそうです。悪いのは社会です。ですが、それで何もかもウヤムヤにすれ
ば良いのではないのです。様々な心の屈折が性的な倒錯になった(報道を鵜呑みにす
ればですが)とすれば、12歳の子供にそうした行動をさせた背景には、やはり性的
な情報の氾濫があると思います。無用な刺激を与え過ぎて、子供が刺激に麻痺したこ
とが真因なのであって、その性格や家庭の背景などは二次的な問題だと思います。

一連の事件に関して、政治家たちが「子供たちにも困ったものだ」という感情を露わ
にしているのは何よりも問題です。12歳の子供を守るのではなく、悪人や邪魔者の
ように扱う、あるいは馬鹿げた人権概念から危険なところへ放り出す、これではこの
社会の10年後、20年後が無くなっても良いと言っているようなものです。更に心
配なのは、今回の事件を知って、子供を持ったり、子供と関わる仕事につくことを躊
躇する人が増えることです。こちらも大変に心配です。


冷泉彰彦:
著書に
『9・11(セプテンバー・イレブンス)―あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093860920/jmm05-22

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