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最近日本のプロテスタントの教会の中では、
「教会のカルト化」ということばがよく用いられています。
そう聞くといかにもカルト化している教会が多いように聞こえますが、
そうでもありません。というより、どうもこれは「しかけられたブームくさい」ようです。何か隠れた意図がありそうです。
教会のカルト化を大騒ぎすることに関して、リバイバル新聞では、以下のような
懸念を表しています。
ー引用ー
http://www.revival.co.jp/ame/index0622.html
▼さて、今週号では「教会のカルト化」の問題を取り上げた。以前も書いたが、教会に対して「カルト」という言葉を使うのには、どうも賛成できない。ただ現在、「あの教会はカルトっぽい」「あの牧師はカルトの教祖」などの言葉が普通に使われている ▼私が懸念するのは、幅広い意味を含む「カルト」という言葉によって、安易なレッテル張りが行われる可能性。本紙は括弧付きで表記する。人や団体を評価するときには、なるべくその具体的内容、具体的行為を指摘する必要があろう
▼悪いとされる個人や団体に対しては徹底的に悪く言い、良いとされるものに対しては無条件で絶賛する。これは私たちマスコミが陥りやすい過ち。また、幼い個人や社会がしてしまうことでもある。「教会のカルト化」を回避するために、一人ひとりが自立した大人のクリスチャンになることが求められている
ー引用終わりー
この文の中の「人や団体を評価するときには、なるべくその具体的内容、具体的行為を指摘する必要があろう」との指摘は
適切ですね。
現在、日本の教会の中で、「教会のカルト化」「信仰の虐待」云々という
ことがよくいわれることの裏には、日本のあちこちで、この題でセミナー
やらをいろいろ精力的に開いている、ユダヤ系の人達がいるようです。
しかし、彼らのいう「虐待」は、ほとんど、具体性に欠けています。
「牧師が信徒をこたつの金具のある方で、叩いた」等の彼らのことばを
ハーザー誌はそのまま掲載していますが、「本当にそんなことが、一体ど
この日本の教会に起きたのか?」、確認する義務が、雑誌編集者には、
必要ではないかと思われます。
失礼ですが、「宗教的妄想に基づいてパレスチナ人を虐殺している
イスラエル(ユダヤ)人の虐待、虐殺」の方がよっぽど深刻なことがらなので、
ユダヤ人の方は日本くんだりまで来て、日本の
教会の信仰虐待、カルト化を大げさに問題にするより、
先にすることがあるように思えるのですが..。
自分の同胞の所へ帰って、彼らの頭を冷やさせた方が良いのでは...。