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(回答先: 近代の闇─1─ 訪朝をスケープゴートにした支配階層の深い闇 投稿者 保存版 日時 2003 年 7 月 19 日 15:24:10)
朝日新聞の闇
今年5月12日、沖縄タイムスに次のような記事が載った。
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「沖縄戦」と「有事法」 沖縄タイムス 2003年5月12日 夕刊1面
沖縄戦の実相を伝える新たな資料がまた、白日の下にさらされた。関東学院大の林博史教授(日本の戦争責任資料センター事務局長)が米国立公文書館から入手した旧日本軍の作戦要領で、住民を装って米軍に奇襲攻撃を仕掛けることなどを指示していたことが明らかになった。
米軍の上陸を待って地上戦に突入すれば、そこに住む人々はどうなるか。旧日本軍の指揮官は多くの犠牲が出ることを想定しながら、戦争に勝つためには、住民でも何でも利用する「作戦」を練っていたことがうかがえる。もともと、住民の生命を守るという発想がなかったともいえる。
おりしも、国会では有事関連法案の審議が大詰めを迎えている。自民党と民主党の間での修正協議がたけなわで、早ければ今週中にも同法案が衆院を通過する。六月には、憲法で戦争放棄を宣言したわが国で、初めて戦争を想定する法律がつくられる見通しだ。
同法案をめぐっては、国民の間でさまざまな意見があり賛否も分かれている。それなのに、国民的な議論が十分尽くされたとはとても思えない。国民の側も、自らの生命と財産に大きくかかわっているにもかかわらず、関心が高いようには見えない。
沖縄戦では、地上戦に巻き込まれた住民を含む二十万人余が犠牲となった。今回見つかった旧日本軍の資料からは、戦闘になれば、軍隊は住民を守るどころか、戦場へ駆り出すこともいとわないことが如実に示された。有事関連法案の審議のさなかだけに、一層考えさせられる資料内容だ。(平良武)
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(引用終わり)
朝日新聞も変節し、有事法制の成立に加担した後、その国の流れをおしとどめることは沖縄の一地方新聞には出来なかった。
次に紹介するのは、[沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか/安仁屋政昭著・日本近代史の虚像と実像3]の中の一節。
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人工六十万、軍隊十五万程ありて、初めは軍に対して皆好意を懐き居りしも、空襲の時には一機飛び立ちたるのみにて、他は皆民家の防空壕を占領し、為に島民は入るを得ず、又四時に那覇立退命令出て、二十五里先の山中に避難を命ぜられたるも、家は焼け食糧はなく、実に惨澹たる有様にて、今に至るまでそのままの有様なりと。而して焼け残りたる家は軍で徴発し、島民と雑居し、物は勝手に使用し、婦女子は陵辱せらるる等、恰も占領地に在るが如き振舞いにて、軍規は全く乱れ居れり。指揮官は長某にて、張鼓峰の時の男なり。彼は県に対し、我々は作戦に従い戦をするも、島民は邪魔なるを以て、全部山岳地方に退去すべし、而して軍で面倒をみること能わざるを以て、自活すべしと公言し居る由。(細川護偵「細川日記」昭和二〇年一二月一六日付)
沖縄戦では、各地で「集団自決」がおきたといわれているが、これは中南部の激戦地と周辺離島にかぎられている。「日本軍と住民が同一地域に混在」した地域でおきている。住民の「集団死」は、日本軍の圧倒的な力による強制と誘導によって発生した。
渡嘉敷島の「集団自決」事件を取材して「ある神話の背景」というノンフィクションを書いた曽野綾子氏は、教科書裁判の国側証人として出廷し、「住民は自発的に死んだ」と主張した。軍による自決命令はなかったことを強調して皇軍を擁護した。曽野綾子氏の取材に協力した渡嘉敷村の元兵事主任・富山真順氏は、教科書裁判の沖縄出張尋問が終わったあと、次のように述べている。
「玉砕場のことは何度も話してきた。曽野綾子氏が渡嘉敷島の取材にきた1969年にも、島で唯一の旅館であった[なぎさ旅館]で、数時間も取材に応じ、事実を証言した。あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になっていわれるとは夢にも思わなかった。事実がゆがめられていることにおどろいている。法廷のみなさんに真実を訴えるためにも、わたしの証言を再確認するしだいである」
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(引用終わり)
この[沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか]の全編を読んで思うのは、死者に対する誠実さである。このような研究者には深く敬意を表したい。
ところで、その沖縄では1995年に日本中を震撼させた事件が起きた。
次のような凶悪な事件である。
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米軍人による女子小学生暴行傷害事件に関する沖縄県議会抗議決議 1995/9/19
去る9月4日午後8時過ぎ、沖縄本島北部の住宅街で、3人の米軍人が買い物帰りの女子小学生を車でら致して暴行するという事件が発生し、県民に大きな衝撃を与えている。
戦後半世紀が経過したというのに、最近の米軍による事件・事故の多発は目に余るものがあり、米軍に対する県民の不信と不満は頂点に達している。
特に今回の事件は、行為そのものが人道にもとる極悪非道の野蛮な行為であるだけでなく、所属部隊の異なる3人の兵士が示し合わせた上で、基地内レンタカーを使用して実行した計画的な犯罪行為であり、県民の間には憤激の声が沸き起こっている。
しかも米軍は、このような凶悪犯罪についてもなお日米地位協定を盾に県警への被疑者の身柄引き渡しを拒否し、県民の怒りに油を注ぐ結果となっている。
(略)
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(引用終わり)
この時ばかりは、日本中のメディアが連日大きくこの事件を取り上げた。無論冒頭に記した朝日も。それは正しいことである。
しかし…。
この米軍人のレイプ事件は9月4日に起きたが、テレビ朝日系列の琉球朝日放送の沖縄での開局が10月1日に控えていた。琉球朝日放送は開局そうそう、この凶悪な米軍人のレイプ事件の報道を繰り返し、報道機関の名を売ることとなった。
実はこの時、東京のテレビ朝日の社長室で、ほっと胸をなで下ろしていた人物がいた。同じその沖縄で、1989年に朝日新聞の起こした「珊瑚落書き捏造事件」の際の当該の部署の編集局長だった伊藤邦男氏であった。このレイプ事件が起らなければ、かならず週刊誌ネタになって大きな話題になっていたはずだからである。
この米軍人のレイプ事件の直前には、東宝が沢口靖子主演の「ひめゆりの塔」という映画で沖縄ロケも行っていた。また、上に記した「集団自決」の裁判が沖縄では話題となっていた矢先の事件でもあった。あらゆる意味で『乾坤一擲』……そういう事件であった。
それにしても、「珊瑚落書き捏造事件」の時、当該編集局長だった伊藤邦男氏が、どうしてテレビ朝日の社長にまで昇りつめることが出来たのか、世間は謎だと思わないのだろうか。以前は新聞からテレビに移るのは栄転でも何でもなかったが、近年はテレビの方が新聞より収益がいいという商売上の理由から、新聞からテレビ局の方に移ってその社長になるなどというのは大層な出世なのである。
伊藤氏が西武の堤氏や田中角栄氏らの権力者らと通じていたから?
僕はやはり「珊瑚落書き捏造事件」がヤラセ事件だったからというのが本当の理由だろうと思う。
この眩暈をおぼえる「ヤラセ」は、リクルート事件当時の朝日新聞社社長だった一柳東一郎氏が、リクルート株を10000株譲渡されていたことが検察にバれて、検察との裏取り引きにおいて、彼が社長を辞任する「理由」として、朝日新聞が計画的に故意に仕組んで作った「事件」だったと言われている。陰謀と呼ぶに相応しいものだ。(朝日新聞では、一柳東一郎社長の他に、その一柳東一郎氏の後任として朝日新聞社長となった中江利忠代表取締役・専務[当時]なども譲渡を受けていた。読売新聞の渡辺恒雄社長も一柳東一郎氏以上のリクルート株譲渡を受けている)
朝日新聞には、永田町と霞ヶ関と俺たちが国を動かしているのだ、と豪語する者もいるということだが、上のようなヤラセを考えればあながちそれも大袈裟だとも思えない。
リクルート事件が表沙汰になったきっかけは、神奈川県警の共産党員宅の盗聴事件で最初動いていた朝日の川崎支局の人間に、その神奈川県警の捜査ニ課の警部が「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」と言ったことが発端となって、川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関連して便宜を計った見返りとして株を譲渡された収賄事件が明るみになったことである。
しかし、それ以降の日本を揺るがせたリクルート事件の進展に見られたものは株の問題であり、それはリクルート事件の本質と全体像からいえば一部のものに過ぎないものだった。
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そんなことに思いを馳せると、「ロッキード事件で軍用機のP3Cの代わりに、民間機のトライスターに焦点が移されて、しかも、五億円が田中首相の外為法違反に倭小化」したり、「リクルート事件ではスーパーコンピュータが介在し、これは主に軍事的な用途で使われるのに、真藤や江副の起訴にはスパコン疑惑に触れず、もっぱら株の間題に倭小化」されているのがなぜか疑間になってくる。
そこに共通しているのは軍事問題であり、それは六〇年前にあった「満洲某重大事件」と共通する、国家機関の中枢が関与する重大機密に対して、権力が総がかりで張作霧の擾殺を隠蔽した、あの謀略事件を思い出させてしまうのである。[平成幕末のダイアグノシス/藤原肇著(1993年刊)]
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(引用終わり)
凄惨な「赤報隊事件」(これには「神奈川県警共産党員宅盗聴事件」にまつわる、神奈川県警現職警察官[「赤報隊事件」当時]が関与していたようだが)でも”中曽根”や”リクルート”が出てくるが、軍事周辺には「暴力装置」があることを思えば、”リクルート”がらみで凶悪な「暴力装置」が動くのも偶然ではないかもしれない。しかも、この「暴力装置」はアメリカも含めた国際的な権力、支配層を背景にもったものでもあり、その種の事件が解明などに到ることなどはありえないというものである。
ともあれ、『朝日と読売の火ダルマ時代』藤原肇著(1997年刊)には、その「リクルート事件」と「珊瑚落書き捏造事件」のつながりの裏舞台が描かれている。この著書は既に絶版になっているので、少し長くなるが、その部分を引用しておきたい。
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『朝日と読売の火ダルマ時代』藤原肇(1997.11.01刊)より
歴史の証言:『朝日が包み込まれた不透明な霧』
中曽根内閣から竹下内閣時代にかけての時期は、日本列島をバブル経済による狂乱の渦が包み、それを象徴していたのがリクルート事件だった。政界、財界、官界に加えて報道界も汚辱に巻き込まれ、国をあげてカネの亡者になった日本は、この事件を境に急転直下破綻の色合いを深め、亡国の淵に向かって転落の軌道をたどった。
ジャーナリズムが勇気を持って挑まない限り、権力犯罪は絶対に糾弾できないという点で、この事件は若い世代に対し宿題を残したが、20世紀に生きた人間としての務めとして、出来る限りの証言を記録に残す必要がある。
普通なら口を閉じて証言をあの世に持ち去り、仲間の不始末に封印する立場にいるのに、敢えて協力して下さったOBの心痛は、インタビューする私にひしひし伝わった。
日本の報道界がビジネスになったために、新聞が社会の木鐸でなくなったのであり、慙愧に堪えないと最後に心情を漏らしたが、この発言にたどり着くまでに長い会話があった。
最近の朝日の幹部の具体的な堕落について、同僚や後輩の名を具体的に示しながら、苦しげな表情で語ったサワリの部分に関し、相手の名をGとして以下の対話再現した。
▼朝日の幹部を蝕むリクルート事件の影
G 沢山の先輩たちが残した伝統を受げ継いで、ジャーナリストの責任を果たす職場に恵まれたのは、朝日での仕事が天職だったこともあり、何物にも代えられない名誉と誇りでした。[ペンは剣よりも強し]という理想を求めて、その実現のために朝日に入社した人も多く、これが朝日マンに共通の生き甲斐です。だが、そういった理想像も組織の巨大化のために、官僚的な機構の締め上げのために崩れたし、村山社主事件の後の朝日はすっかり変わってしまった。
F ベトナム戦争とロッキード事件が一段落して、物質的な繁栄が急速に拡大して行き、日本が経済大国といわれるようになると、記者の問題意識が低下したのは知っています。
それに、こんなことを言ったら失礼だと思うが、現在の朝日新聞の官僚主義は実に酷くて、20年前のような自由な空気は消えているし、読むに値する記事がないという気がする。
これまで色んな新聞記者にインタビューしたが、横柄でも朝日の記者は人材として優れており、朝日がダメになったら終わりだと感じました。それに、皆が民主主義に対して期待していたし、朝日には権力に立ち向かう気迫があり、教養主義と批判精神が息づいていました。
G 朝日の組織的な落ち込みはリクルート専件後で、特にサンゴ事件の影響が強烈でした。リクルート事件は朝日の大スクープとして、横浜支局が大活躍したと考えられているが、現場がハッスルしたのと逆に本社の上層部は、会社の存続を問われるほどの危機感を持ち、何とも陰鬱な気分が支配していました。
F 朝日だげでなくマスコミ界のトップの多くが、リクルート株を貰って私益を肥やしたのに、事件が矮小化したと言われてましたからね。
G リクルート事件は政財界のターゲットと共に、環境破壊の点でマスコミを取り込む必要があり、口封じのために撒かれた株も多かった。なかんずく、不動産開発で環境破壊する行為に対して、マスコミで最も手強いのは朝日であり、これは朝日が誇るべき実績だったのに、幹部が株を貰ったとしたらとんでもない話です。
だから、サンゴ事件を理由にして責任を取った形で、一柳社長が辞任して中江に社長交替したが、あれはサンゴではなくてすり替えであり、うまい具合に誤魔化したリクルート事件という噂で、社内の空気が沈滞したというわげです。
F サンゴ事件の責任を取って社長を辞めたのなら、直接の責任者が昇格して社長になったのでは、責任を取ったことの説得力がゼロになる。それだのに、誰もそれがおかしいと言わなかったのは、巨大な陰謀が関係していたせいでしょうか?。
G よく[天の声]といわれているものであり、政治権力の奥深い所と結んだ検察が絡み、その威力で事件がもみ消されたそうです。日本のマスコミ界の中枢が深く関係していたが、とりわけ朝日が危ないということになって、幹部が一蓮托生で株の利益に関係していたために、秘密の取引が行われたと言われています。
F でも、そんな噂だけで推論するのは軽率ですよ。
▼検察当局がマスコミに貸しを作った状況証拠
G しかし、その背後には信じるに値する情報があり、単なる噂とは違う状況証拠も揃っていて、その可能性を否定するわけに行かない。現在テレ朝の社長をやっている伊藤邦男は、朝日に入社した最初の任地が八王子で、昭和28年(1953年)頃に地検の八王子支部にいた、前田宏検事と八王子会の仲間でした。また、同じ仲間だった佐伯晋専務たちと一緒に、その後も八王子会で親しく付き合っている。たまたまその縁を使って伊藤が使者に立ち、「理由は他のことになるかも知れたいが、うちは社長が辞めるから勘弁して下さい」ということで、取り引きが成立したと言われています。
F そういえば、確かに前田検事長の捜査干渉に腹を立てて、特捜検事が辞表を叩きつけたり反抗した話が、真神博の『虚報の構造』(文芸春秋)に書いてあるし、内部では色んな問題があったようだが…。
G 特捜部の若手の中には骨のある検事もいて、「それはおかしい。朝日を始め読売や文春の上層部の大物を逃がして、日経の森田や読売の丸山だけを挙げ、後の連中を見逃したのでは筋が通らない」という議論もでたが、検事総長は「まあ、そう言うな。ここはマスコミに対して貸しにしておき、政治の汚染をマスコミを使って掃除し、世論を納得させなければいけない」という話になったと聞いています。
F あなたの立場でそう聞いているのなら、その情報の信頼性は確かと言えるでしょう。実はNHKの幹部をしている人と話した時に、リクルート事件の時に職員の汚染を調べて、十人近くが問題になり地方に飛ばしたそうだから、日本ではそうやって汚れた連中を逃がしたり、犯罪を組織ぐるみで隠蔽するのでしょうね。
G 最後まで面倒を見てやるということで、それが慣習になって定着したのが天下りであり、現役時代の貸し借りを後で始末してやるのです。これが続く限りは公私混同の悪習は続くから、私が朝日を辞めた時にスッパリ手を切り、傍系の会社に再就職という話を断って、自分の考えに従って新しい人生を始めたのです。
F 全く同感ですね。
(インタビューの引用はここまで)
※(註)
” 官僚が定年後の天下り先を確保するために、特殊法人を作って税金を無駄遣いしたり、その下に子会社を幾つも作って系列化して、付け回しをしていたことの露見が物語るように、日本は役人たちによって食い荒らされて来た。それと同じことを新聞社もやっており、系列化したメディアが天下り先になって、退職金の稼ぎ場所として利権化している。
そのために定年後の有利な役職を得ようとして、人事を巡って醜い派閥争いが罷り通り、新聞社でも酷い追従が横行しているために、記者たちの士気に影響を及ぼしている。特にこの傾向が著しく目立つようになったのは、報道界の幹部が巻きこまれ網紀弛緩が顕在化した1988年のリクルート事件の後からである。[「朝日・講談社巻き込む大激論」の欠落した部分/藤原肇(稿)/月刊「創」]”
” 日本の新聞が手を出したサイドビジネスは、公益法人の一角に陣取って系列を作り、利権の巣窟になった公団が顔負けの状態で、公私混同の悪どい利権漁りに終始している。”[朝日と読売の火ダルマ時代/藤原肇著]
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(引用終わり)
ちなみに、やはりテレビ朝日が1985年にやってバレた「女子中学生ヤラセ・集団リンチ事件」の時のディレクターは、局の上層部と警察にまんまとはめられ、一人で罪を被った結果になったと後に語っている。この集団リンチは性的な色彩を帯びたものだった。被害者の女子中学生の母親は、後に自殺をしている。
前掲の『朝日と読売の火ダルマ時代』には次のような一節もある。けだし、もっともだと思う。
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W 朝日新聞の首脳陣の腐敗を指摘して、あなたはそれを堕落だと嘆いておられる。だが、新聞を商品として作ることを目指したり、今のように販売部数の拡大を競う限りでは、そんなものを新聞だと考えるのが間違いで、日本のジャーナリズムに対しての幻想です。自力で取材もせずに記者クラブに安住したり、相手が反撃しないと分かってから批判記事を書くし、新聞は自分や仲間の不祥事は報道しません。
これが新聞を含めた日本のメディアの正体であり、私は一生をビジネスに費やして来たお陰で、表に出ないそんな世界を目撃しました。朝日や毎日は新聞として大阪で始まったのに、東京に進出して肥大症の病気にかかり、実力より学歴や学閥を重んじたせいで、お役所みたいに硬直して巨大化しました。だが、商売のコツをすっかり忘れてしまい、商売を広げ過ぎると屏風と同じであり、広がって倒れることが分からなくなって、売り上げは伸びても利益の少ないことばかりします。
F 新聞社が発行部数の大きさを競い合って、記事の質を軽視しているのは情けないが、そこまで決めつけられると身も蓋もなくなり、東京の人間として話が続けられなくなります。日本の週刊誌を見れば明かなことだが、あれだけ低俗で扇情的な内容の記事と、あられもない裸の写真や劇画を売り物にし、それを商売にして経済大国が成立している。これは悪あがきをしている姿だと思うが、新聞は週刊誌やテレビほど堕落しておらず、未だ救いがあるし希望が持てると思うのです。
W お気の毒だが日本の現状に無知なために、あなたは幻覚に支配されているのであり、そんな綺麗ごとを言って済まないほど、日本の現実は汚れ果てているのです。
田中角栄のロッキード事件に始まり、リクルート事件やイトマン事件を経て、佐川急便事件や証券スキャンダルに至ったが、一連の疑惑が納得できる形で解決したとか、巨悪が捕まったということがありましたか。ないでしょう。
権力者と言われている者だけでなく、メディアが共犯であるために、問題は何ひとつ明らかになりません。それはロッキード事件の頃から同じでして、そこで私は全ての分野から身を引き、何にも関与しないことにしたのです。
F そうでしたか。悲しいですね。
W 悲しくても耐えるのが勇気であり、長生きはしたくないという気持ちになるが、没落は沈黙の中で味わうものらしいですな……。
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(引用終わり)
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以下、朝日新聞珊瑚礁事件当時の朝日新聞の記事。
■■■朝日新聞珊瑚礁事件の本記事■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1989年(平成元年)4月20日 土曜日
朝日新聞夕刊1面
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写’89 地球は何色?
サンゴ汚したK・Yってだれだ
これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、直径8メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。
巨大サンゴの発見は、七年前。水深一五メートルのなだらかな斜面に、おわんを伏せたような形。高さ四メートル、周囲は二十メートルもあって、世界最大とギネスブックも認め、環境庁はその翌年、周辺を、人の手を 加えてはならない海洋初の「自然環境保全地域」と「海中特別地区」に 指定した。
たちまち有名になったことが、巨大サンゴを無残な姿にした。島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ。それもたやすく消えない傷なのだ。
日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。
百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。
にしても、一体「K・Y」ってだれだ。
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■■■朝日新聞の最初の謝罪文■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1989年(平成元年)5月16日 火曜日
朝日新聞朝刊1面
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おわび
本社取材に行き過ぎ 西表島沖のサンゴ撮影
四月二十日付の朝日新聞夕刊一面に掲載した写’89「地球は何色? サンゴ汚したK・Yってだれだ」に関し、地元の沖縄県竹富町ダイビング組合員から「サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」 との指摘がありました。本社で調査をした結果、取材に行き過ぎがあったことがわかりました。
西表島崎山湾沖にあるアザミサンゴの周辺一帯に、いくつかの落書きがありました。この取材に当たったカメラマン二人のうち一人が、そのうちの「KY」という落書きについて、撮影効果を上げるため、うっすらと残っていた部分を水中ストロボの柄でこすり、白い石灰質をさらに露出させたものです。
同海域は巨大なアザミサンゴが見つかったため、海中特別地区に指定されております。
この取材は本来、自然破壊の現状を訴え、報道することが目的でしたが、この行為は、明らかにこれに反する行き過ぎであり、朝日新聞社として深くおわび致します。
朝日新聞社は十五日付で、取材カメラマンと責任者である東京本社の編集局長、写真部長に対し、処罰の措置をとりました。
(3面に編集局長の「反省」を掲載しました。)
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■■■伊藤邦男氏の「反省」文■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1989年(平成元年)5月16日 火曜日
朝日新聞朝刊3面
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サンゴ撮影 行き過ぎ取材について
朝日新聞東京本社編集局長 伊藤 邦男
四月二十日付の本紙夕刊一面「地球は何色? サンゴ汚したK・Yってだれだ」の写真について本日、一面に「おわび」を掲載いたしました。読者、関係者はじめ、みなさまに大変申し訳なく、心からおわびするとともに、この事件について、本社の考えを述べさせていただき、ご理解を得たいと思います。
今回の報道には、大きく分けて二つの点で誤りがありました。
まず、報道する「事実」に人為的に手を加えた、ということです。いうまでもないことですが、私たち報道人の使命は、事実をありのままに読者にお伝えすることです。取材対象に食い込み、新しいニュースを早く正確に伝えることに努力してきました。どんな目的があろうと、新聞人として、事実に手を加えるなどは許されることではありません。
一市民としても、守るべき環境、天然記念物、文化財に傷をつけるといったことが許されないことはいうまでもありません。自然を大切にしよう、という運動はますます広く、大きくしていかねばなりません。これは新聞記者やカメラマンの問題としてでなく、人間としての務めだと思っています。まして「自然を守ろう」という企画記事の中でのこのような行為は、弁解の余地のないものです。
今回のような間違いをなくすため、取材にあたっての基本的姿勢、環境や文化財の保護について、全編集局内で再教育することをお約束いたします。
この事件がテレビで報道されて以来、「朝日新聞には環境問題を報道する資格がない」といった、多数の厳しいご意見もいただきました。おしかりは当然であり、深刻に受け止めております。私たちはこれまで紙面などを通じ、緑や文化財を守るためにさまざまなキャンペーンを行ってきましたが、今後もその姿勢は保ち続け、いっそう力を尽くすことをお誓いします。
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■■■朝日新聞の処分人事─(1)■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1989年(平成元年)5月17日 水曜日
朝日新聞朝刊1面
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本社、編集局長を更迭
写真部長も 「サンゴ取材」で責任
朝日新聞社は十六日、写真部員が沖縄のサンゴ礁撮影で誤った取材をし、貴重な天然資源を傷つけたことについて、監督責任者である東京本社編集局長と写真部長を更迭する、次の人事異動を行った。
社長付(東京本社編集局長)取締役伊藤邦男
▽東京本社編集局長(同編集局次長)松下宗之
▽同編集局長付(同写真部長)梅津禎三
▽同写真部長兼務 同編集局次長夏目求
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天声人語
まったく弁解の余地のない事件が起きた。本社カメラマンがサンゴを傷つけ「落書き」を撮影した。何とも言えぬ気持ちだ。申し訳なさに、腹立たしさ、重苦しさがまじり合っている▼とんでもないことをしたものだ。KYと書かれた落書きを写し「サンゴを汚したK・Yってだれだ」という記事をつけた。自然を守ろう、汚すまい、と訴える記事である。ところがその写真の撮影者自身がサンゴに傷をつけていた。沖縄の西表島崎山湾沖は巨大なアザミサンゴがあり海中特別地区に指定されている▼読者から怒りの電話がたくさんかかった。もっともなことである。「長年、朝日新聞を読んでいるが裏切られた思いだ」と、多数の人からきつくしかられた。平生、他人のことは厳しく追及し、書く新聞だ。「身内に甘いのではないか」とも指摘された。「記者たちの高慢な気持ちが事件に表れている」との声が耳に痛い▼「自然保護に力を入れた報道姿勢に共感していただけに残念」という苦言も多かった。たしかに本紙も、またこの欄も、自然に親しみ、自然を愛する人々のさまざまな活動を紹介し、ともすれば失われゆく自然を守る努力がたいせつだ、と訴えてきた。常軌を逸した行動は、これまでの報道を帳消しにしかねない▼美しいサンゴに無残な傷が残る。どれほどの年月をへて育って来たものか。なかなか消えるものではあるまい。大自然への乱暴な行為を、本当に申し訳なく思う。同時に、本紙と読者との間の信頼関係に大きな傷がついたことが、まことに残念だ。これも、なかなか消えないだろう▼かつて「伊藤律との会見記」のような虚報を、紙面にのせたことがあった。そんな時に生ずる信頼感の傷を消すためには、報道の正確さを期して、長い間、地味で謙虚な努力を続ける以外にない。今回もしかり。厳しい自省に立ち、地道な努力を愚直に、毎日、積み重ねるほかはない、と考える。
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■■■朝日新聞の処分人事─(2)■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1989年(平成元年)5月20日 土曜日
朝日新聞朝刊1面
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サンゴ写真 落書き、ねつ造でした 深くおわびします
四月二十日付の本紙夕刊一面に掲載された「サンゴ汚したK・Yって誰だ」の写真撮影について、朝日新聞社はあらためて真相調査を続けてきましたが、「KY」とサンゴに彫りこんだ場所に以前から人為的な損傷があったという事実は認められず、地元ダイバーの方々が指摘されるように、該当カメラマンが無傷の状態にあった沖縄・西表島のアザミサンゴに文字を刻みつけたとの判断に達しました。
このため、本社は社内規定により十九日、撮影を担当した東京本社写真部員(当時)本田嘉郎を同日付で退社処分としたほか、関係者についての処罰を行いました。自然保護を訴える記事を書くために、貴重な自然に傷をつけるなどは、新聞人にあるまじき行為であり、ただ恥じいるばかりです。関係者、読者、並びに自然を愛するすべての方々に、深くおわびいたします。
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取材の二人退社・停職 監督責任者も処分
この事件につき、朝日新聞社はさる十五日付でとりあえず関係者三人を処罰するとともに、東京本社編集局長、同写真部長を更迭するなどの措置をとりました。しかし、本田写真部長(十六日付で編集局員)らの行為は当初の報告よりもはるかに重大・悪質であることが明らかになったため、さらに十九日付で本田を退社処分にしたほか、水中撮影に同行し、本田の行動に
気づいていた西部本社写真部員村田昇は停職三カ月としました。
また、監督責任、出稿点検不適切などで専務取締役・編集担当中江利忠、東京本社編集局次長兼企画報道室長桑島久男、西部本社写真部長江口汎、東京本社写真部次長福永友保はそれぞれ減給、西部本社編集局長松本知則は譴責とする処置をとりました。本田に対する退社は、いわゆる懲戒解雇に当たる、もっとも厳しい処分です。
(3面に、本社がこれまでに行った調査結果を掲載しました)
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■■■「珊瑚落書き捏造事件」の”直接の責任者が昇格して社長”に■■■■
1989年(平成元年)5月27日 土曜日
朝日新聞朝刊1面
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一柳社長が辞任 サンゴ事件で引責 後任に中江専務 朝日新聞社
朝日新聞社は二十六日に開いた取締役会で、沖縄・西表島沖のアザミサンゴに本社カメラマンが傷をつけた事件について、社としてのけじめをつけるため、一柳東一郎社長が責任をとって辞任し、後任社長には中江利忠代表取締役・専務(編集担当兼国際担当・アエラ発行室長)を昇格させることを決めた。社長交代は六月二十四日の同社株主総会の機会に行われる。
取締役会で、一柳社長は「今回の不祥事は単なる誤報の域を超えたものであり、捏(ねつ)造された写真をもとに、逆に世の中を戒めるという異常なものである。作為的に世の中を欺いたものといわれても弁明の余地はない。社としては、すでにカメラマンの退社処分を含む関係者の処罰、東京本社の編集局長の更迭などを行い、紙面の上で繰り返し読者におわびしたが、これは当然のことであり、決して十分ではない。この際、社としてのけじめをつけるために社長が辞任し、新しい社長のもので読者の信用を回復するための努力を重ねる以外にない」と述べ、中江専務を後任に指名、取締役会全員の了承を得た。
一柳社長は昭和五十九年十二月に社長に就任した。
中江 利忠(なかえ・としただ)東大卒、昭和28年朝日新聞社入社、東京本社経済部長、同本社編集局長などを経て、57年取締役、58年総務労務担当取締役、59年常務、61年編集担当常務、62年専務、63年6月から代表取締役・専務。59歳。
日本新聞協会の次期会長を辞退 一柳社長
朝日新聞社の一柳東一郎社長は二十六日、社長辞任に伴い日本新聞協会次期会長の就任辞退を小林与三次同協会長(読売新聞社社長)に申し出た。一柳社長は、協会内の選考委員会で協会長就任が内定しており、六月七日の同協会総会で、正式に選出されることになっていた。
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辞任にあたって 社長発言の要旨
本社カメラマンによる西表島のアザミサンゴ損傷事件について、朝日新聞社としての責任にけじめをつけ、これから会社を挙げて信用回復の歩みを進めて行くため、私はこの際、社長を辞任し、六月二十四日の株主総会終了の時点で、中江利忠専務と交代することにしました。
今回の事件が表面化した十五日、私は大阪から夜に帰京しました。羽田空港からの車の中で事件の第一報を聞き、それ以来、対応に当たって来ましたが、事件そのものの異常さ、重大さを考えるとき、朝日新聞社として、この際行うべきことはすべて行ったといえるだろうか、という点がずっと心にかかっていました。
問題の四月二十日付夕刊の写真と記事「写'89『地球は何色』」を私は繰り返し読みました。写真を取ったカメラマンを記事を書いた記者は別人ですが、環境保全の大切さを訴えたキャンペーン的な報道であり、写真と記事は一体のものであります。貴重なサンゴを自ら傷つけた、いわばうそをもとにして世の中のダイバーを戒め、自然を大事にしない世の中の風潮に警告を発しているわけです。
どう考えても、普通の誤報といったものではありません。また、取材の行き過ぎといったことでもありません。まさに読者の皆さまを愚弄(ぐろう)するものであり、故意に世の中を欺いたものと言われても、返す言葉がありません。読者の皆さまから、また世の中の多くの方から、怒りの声が集中したのも当然です。
朝日新聞社はこの件に関して、カメラマンの退社処分を含む関係者の処罰、編集局長の解任などの措置を取りました、紙面では繰り返し「おわび」を載せ、社説や天声人語でも恥じ入って謝りました。
一応の処分は済んだと言えるかもしれません。しかし、読者の皆さま、世間の方からみればどうでしょうか。そうした処罰は当たり前すぎることでもあり、おわびもまた当然のことでありましょう。
今回の事件の責任というものは並大抵のものではありません。関係者の処分をし、おわびも載せました、で済む問題ではないし、朝日新聞はそれで済ませたつもりか、というのが読者の皆さまの偽らざるお気持ちだろうと思います。
この際、最高責任者である私が、そのポストを辞めることで責任の問題にけじめをつけ、新社長の下で、全社員が深刻な反省を踏まえつつも、前向きに踏み出してもらうのが一番いいのではないか、という結論になりました。
昭和二十五年に「伊藤律架空会見記」という、思い出すのも忌(い)まわしい「虚報事件」がありました。これによって朝日新聞の信用は大きく傷つきました。その事件と比べても今回の方が、より深刻であります。
何度も心の中で反芻(すう)し、辞任を決断しました。
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次のものは、珊瑚礁事件当時の朝日新聞の記事の時系列順一覧。
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1989年(平成元年)4月20日 土曜日
朝日新聞夕刊1面
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写’89 地球は何色?
サンゴ汚したK・Yってだれだ
これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、直径8メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。
巨大サンゴの発見は、七年前。水深一五メートルのなだらかな斜面に、おわんを伏せたような形。高さ四メートル、周囲は二十メートルもあって、世界最大とギネスブックも認め、環境庁はその翌年、周辺を、人の手を 加えてはならない海洋初の「自然環境保全地域」と「海中特別地区」に 指定した。
たちまち有名になったことが、巨大サンゴを無残な姿にした。島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ。それもたやすく消えない傷なのだ。
日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。
百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。
にしても、一体「K・Y」ってだれだ。
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1989年(平成元年)5月16日 火曜日
朝日新聞朝刊1面
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おわび
本社取材に行き過ぎ 西表島沖のサンゴ撮影
四月二十日付の朝日新聞夕刊一面に掲載した写’89「地球は何色? サンゴ汚したK・Yってだれだ」に関し、地元の沖縄県竹富町ダイビング組合員から「サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」 との指摘がありました。本社で調査をした結果、取材に行き過ぎがあったことがわかりました。
西表島崎山湾沖にあるアザミサンゴの周辺一帯に、いくつかの落書きがありました。この取材に当たったカメラマン二人のうち一人が、そのうちの「KY」という落書きについて、撮影効果を上げるため、うっすらと残っていた部分を水中ストロボの柄でこすり、白い石灰質をさらに露出させたものです。
同海域は巨大なアザミサンゴが見つかったため、海中特別地区に指定されております。
この取材は本来、自然破壊の現状を訴え、報道することが目的でしたが、この行為は、明らかにこれに反する行き過ぎであり、朝日新聞社として深くおわび致します。
朝日新聞社は十五日付で、取材カメラマンと責任者である東京本社の編集局長、写真部長に対し、処罰の措置をとりました。
(3面に編集局長の「反省」を掲載しました。)
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1989年(平成元年)5月16日 火曜日
朝日新聞朝刊3面
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サンゴ撮影 行き過ぎ取材について
朝日新聞東京本社編集局長 伊藤 邦男
四月二十日付の本紙夕刊一面「地球は何色? サンゴ汚したK・Yってだれだ」の写真について本日、一面に「おわび」を掲載いたしました。読者、関係者はじめ、みなさまに大変申し訳なく、心からおわびするとともに、この事件について、本社の考えを述べさせていただき、ご理解を得たいと思います。
今回の報道には、大きく分けて二つの点で誤りがありました。
まず、報道する「事実」に人為的に手を加えた、ということです。いうまでもないことですが、私たち報道人の使命は、事実をありのままに読者にお伝えすることです。取材対象に食い込み、新しいニュースを早く正確に伝えることに努力してきました。どんな目的があろうと、新聞人として、事実に手を加えるなどは許されることではありません。
一市民としても、守るべき環境、天然記念物、文化財に傷をつけるといったことが許されないことはいうまでもありません。自然を大切にしよう、という運動はますます広く、大きくしていかねばなりません。これは新聞記者やカメラマンの問題としてでなく、人間としての務めだと思っています。まして「自然を守ろう」という企画記事の中でのこのような行為は、弁解の余地のないものです。
今回のような間違いをなくすため、取材にあたっての基本的姿勢、環境や文化財の保護について、全編集局内で再教育することをお約束いたします。
この事件がテレビで報道されて以来、「朝日新聞には環境問題を報道する資格がない」といった、多数の厳しいご意見もいただきました。おしかりは当然であり、深刻に受け止めております。私たちはこれまで紙面などを通じ、緑や文化財を守るためにさまざまなキャンペーンを行ってきましたが、今後もその姿勢は保ち続け、いっそう力を尽くすことをお誓いします。
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1989年(平成元年)5月16日 火曜日
朝日新聞朝刊3面
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本社に抗議電話相次ぐ
朝日新聞社には十五日、抗議の電話が多数寄せられた。
全国四本社にかかった電話の本数は、同日午後十時までに合計三百本を超えた。
電話の主な内容は、「長年信頼していたのに裏切られた思い」との怒りや、「自然保護に力を入れた報道姿勢に共感していただけに本当に残念」との苦言がほとんど。
沖縄の那覇支局には、北海道、東京、四国など全国から電話があった。
新石垣空港建設反対など自然保護運動を進めている人たちからは「本当とは信じられない」との不信、空港建設推進の立場の人たちからは「紙面でずいぶん厳しいことを書いていたのに、どういうことか」との非難の声もあった。
また、「社内でしっかり反省し、厳正に処分して二度とこのようなことが起きないようにしてほしい」などの注文も相次いだ。
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「環境保全法に違反」と環境庁
環境庁は、今回の行為は自然環境保全法に違反するもの、と受け止めている。同法に基づく管理、違反に対する処分などは、施行令によって知事に委任されており、同庁は「当面は沖縄県の判断を待つが、相談があれば応じる」としている。
小笠原豊明保護管理課長は「このサンゴの貴重さを認めて特別地区に指定していたので、それが傷つけられたのは重大なこと。それも自然保護を訴える取材の際に傷つけられたというのは、裏切られた思いだ。サンゴの保全が注目を集めている時だけに残念だ」と語っている。
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1989年(平成元年)5月17日 水曜日
朝日新聞朝刊1面
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本社、編集局長を更迭
写真部長も 「サンゴ取材」で責任
朝日新聞社は十六日、写真部員が沖縄のサンゴ礁撮影で誤った取材をし、貴重な天然資源を傷つけたことについて、監督責任者である東京本社編集局長と写真部長を更迭する、次の人事異動を行った。
社長付(東京本社編集局長)取締役伊藤邦男
▽東京本社編集局長(同編集局次長)松下宗之
▽同編集局長付(同写真部長)梅津禎三
▽同写真部長兼務 同編集局次長夏目求
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天声人語
まったく弁解の余地のない事件が起きた。本社カメラマンがサンゴを傷つけ「落書き」を撮影した。何とも言えぬ気持ちだ。申し訳なさに、腹立たしさ、重苦しさがまじり合っている▼とんでもないことをしたものだ。KYと書かれた落書きを写し「サンゴを汚したK・Yってだれだ」という記事をつけた。自然を守ろう、汚すまい、と訴える記事である。ところがその写真の撮影者自身がサンゴに傷をつけていた。沖縄の西表島崎山湾沖は巨大なアザミサンゴがあり海中特別地区に指定されている▼読者から怒りの電話がたくさんかかった。もっともなことである。「長年、朝日新聞を読んでいるが裏切られた思いだ」と、多数の人からきつくしかられた。平生、他人のことは厳しく追及し、書く新聞だ。「身内に甘いのではないか」とも指摘された。「記者たちの高慢な気持ちが事件に表れている」との声が耳に痛い▼「自然保護に力を入れた報道姿勢に共感していただけに残念」という苦言も多かった。たしかに本紙も、またこの欄も、自然に親しみ、自然を愛する人々のさまざまな活動を紹介し、ともすれば失われゆく自然を守る努力がたいせつだ、と訴えてきた。常軌を逸した行動は、これまでの報道を帳消しにしかねない▼美しいサンゴに無残な傷が残る。どれほどの年月をへて育って来たものか。なかなか消えるものではあるまい。大自然への乱暴な行為を、本当に申し訳なく思う。同時に、本紙と読者との間の信頼関係に大きな傷がついたことが、まことに残念だ。これも、なかなか消えないだろう▼かつて「伊藤律との会見記」のような虚報を、紙面にのせたことがあった。そんな時に生ずる信頼感の傷を消すためには、報道の正確さを期して、長い間、地味で謙虚な努力を続ける以外にない。今回もしかり。厳しい自省に立ち、地道な努力を愚直に、毎日、積み重ねるほかはない、と考える。
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1989年(平成元年)5月17日 水曜日
朝日新聞朝刊5面
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「社説」
痛恨の思いを今後の戒めに
四月二十日付の本紙夕刊に掲載した「サンゴ汚したK・Yってだれだ」と題した写真記事は、新聞人として絶対にしてはならない報道であった。
私たち朝日新聞社のカメラマンが、沖縄・西表島沖に生息する巨大なサンゴに自分で傷をつけ撮影したものだった。
これは、事実を報道するという新聞の使命に反する。報道の名のもとに、自然を傷つける行為も、許されるものではない。本紙の読者に、そして自然を大切にしようと願っている人びとに、心から、深くおわびする。
報道の姿勢、自然を痛めた行為などに対して、たくさんの批判が寄せられている。その一つひとつを、私たちは自省、自戒とともにかみしめている。
写真の掲載から「おわび」の掲載までに、事実の確認などでかなりの時間がかかった。この点も厳しく反省したい。
今回のカメラマンの行為は、良識ある人間のすることではない。かけがえのない地球を汚すふるまいである。弁明は、いっさい許されない。
さらに自然環境保全法にも違反する疑いがあり、処罰の対象になりうる。
「事実を正確に。なにより事実を」。私たちはつねに、みずからにそう言い聞かせて報道にあたってきたつもりだ。経験の浅い記者には、繰り返しそう教えてきた。それは、取材し報道する者の基本姿勢である。
「自分は事実に忠実だろうか」。全ての報道について、私たちはそう自問し、自戒するよう心がけてきた。事実と報道とに隔たりが生まれる恐れは、いつもつきまとっているからだ。
高さ四メートル、周囲二十メートルの現場のサンゴは、アザミサンゴとしては世界最大とされ、環境庁は周辺を、人の手を加えてはならない特別な地区に指定した。だが、付近にはダイバーの背負うボンベなどによって傷のついたサンゴもある。取材のもとの意図は、自然破壊の現状を訴えることだった。
ただ、目的のために手段を選ばないやり方では、批判は免れない。今回は、手段に致命的な過ちがあった。
先日の社説で私たちは、沖縄・石垣島の白保海域のサンゴについて「一刻も早い保護対策を」と訴えた。夏に増えるサンゴめあての観光客も念頭にあった。しかし、場所は違うが、サンゴを傷つけたのは同僚であった。私たちは強い衝撃を受けている。
こうした事態が、なぜ起こったのか。本社は事実調べに沿いながら、その点をさらに究明しているところだ。
ふたたび起こさないために、なにをすべきか。この課題に、私たちは力をつくして取り組んでいく。
環境破壊に関する記事だけではない。今度の問題によって、朝日新聞の報道全体に対する信頼が損なわれることを、私たちはおそれている。
一つの行為が新聞の信頼を大きく傷つける。その信頼を回復する道は平たんではないが、私たちは一歩一歩、進んで行きたい。
サンゴが目に見えて成長するには百年の単位の歳月を要する。西表島の海底十五メートルの巨大アザミサンゴには、きわめて残念なことだが、私たちを長く、厳しく戒める傷が刻まれたことになった。本紙の縮刷版にも、この記事は残される。
みなさんから寄せられた批判は、謙虚に受けとめたい。そして、これからの紙面の内容で、それにお答えしたいと思う。
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1989年(平成元年)5月20日 土曜日
朝日新聞朝刊1面
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サンゴ写真 落書き、ねつ造でした 深くおわびします
四月二十日付の本紙夕刊一面に掲載された「サンゴ汚したK・Yって誰だ」の写真撮影について、朝日新聞社はあらためて真相調査を続けてきましたが、「KY」とサンゴに彫りこんだ場所に以前から人為的な損傷があったという事実は認められず、地元ダイバーの方々が指摘されるように、該当カメラマンが無傷の状態にあった沖縄・西表島のアザミサンゴに文字を刻みつけたとの判断に達しました。
このため、本社は社内規定により十九日、撮影を担当した東京本社写真部員(当時)本田嘉郎を同日付で退社処分としたほか、関係者についての処罰を行いました。自然保護を訴える記事を書くために、貴重な自然に傷をつけるなどは、新聞人にあるまじき行為であり、ただ恥じいるばかりです。関係者、読者、並びに自然を愛するすべての方々に、深くおわびいたします。
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取材の二人退社・停職 監督責任者も処分
この事件につき、朝日新聞社はさる十五日付でとりあえず関係者三人を処罰するとともに、東京本社編集局長、同写真部長を更迭するなどの措置をとりました。しかし、本田写真部長(十六日付で編集局員)らの行為は当初の報告よりもはるかに重大・悪質であることが明らかになったため、さらに十九日付で本田を退社処分にしたほか、水中撮影に同行し、本田の行動に
気づいていた西部本社写真部員村田昇は停職三カ月としました。
また、監督責任、出稿点検不適切などで専務取締役・編集担当中江利忠、東京本社編集局次長兼企画報道室長桑島久男、西部本社写真部長江口汎、東京本社写真部次長福永友保はそれぞれ減給、西部本社編集局長松本知則は譴責とする処置をとりました。本田に対する退社は、いわゆる懲戒解雇に当たる、もっとも厳しい処分です。
(3面に、本社がこれまでに行った調査結果を掲載しました)
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1989年(平成元年)5月20日土曜日
朝日新聞朝刊3面
ねつ造だったサンゴ取材 弁明の余地ない行為
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事実の追及に甘さ 点検・教育のあり方反省
読者のみなさまへ
読者のみなさまに。あらためておわび申し上げます。
本日付の紙面でお伝えしましたように、四月二十日付の本紙夕刊の写真取材で、傷のないサンゴに文字を彫りつけたのは、撮影した本社カメラマン自身であったことが明らかになりました。
前回の説明に誤り
真実を伝えるべき新聞人がニュースを創作し、環境の保護を訴える記事のためにわざわざ自分で傷つけたのです。弁明の余地のない行為です。朝日新聞社は責任者の 社内処罰をあらためて行いましたが、カメラマンの行動などについては、さらに関係諸機関の調べを待ちたいと思います。
五月十六日付の紙面では、事実関係について「このサンゴには、もともと『KY』という傷がついていた。撮影効果を高めるため、その傷を深くした」とご報告しました。しかし、現地調査ともつき合わせてさらに調べたところ、十九日になって、サンゴに新しい傷をつけたのは、本社のカメラマン以外には考えられないとの結論に達しました。
朝日新聞社は、この問題について、現地調査をするほか、当のカメラマンに何度も事情をただしました。その過程で、五月十五日夕に「小さい傷を太くした」と認め、 「それ以上のことは絶対にやっていない」と述べました。
現場は沖合約五百メートル、水深一五メートルの海底であり、当事者の二人以外には、第三者のいない状況でした。
結果として、その追及に甘さがあったことを認めざるをえません。事実調べに時間がかかったこともあります。しかし、それ以上に、経験豊かな同僚カメラマンが「これが真相だ」と打ち明けた内容については、いささかの懸念を抱きながらも、信用せざるをえませんでした。
前回は、その時点での調査結果を紙面に掲載しました。読者に一日も早くおわびしたかったからですが、結果的に誤った説明をしたことはまことに遺憾です。
不祥事防げたはず
今回の不祥事はなぜ起きたのでしょうか。間違いを起こしたカメラマン個人の問題があることはもちろんですが、朝日新聞社の組織自体に問題があったことも、否定できません。
第一は、紙面づくりの上でのチェック体制です。取材に当たって、上司である写真部デスクが、記事のねらいや撮影の方法について、担当カメラマンと十分に話し合い、「適当な対象がなかったら、そのまま帰ればよい」と指示していれば、起こらなかったことかもしれません。
取材のあとも、上司が現場の状況を克明に聞いて、不審な点を問いただしていれば、このような不祥事に対する新聞社としての善後措置も、もっと適切・敏速にとることができたろう、と反省します。
次は、記者やカメラマンの教育についてです。
新聞記者の競争は、あくまでも、社会通念からみて許される範囲でなければなりません。今回のような「手段を選ばず」という取材が許されないことはいうまでもなく、自然保護を訴える記事を書くために、その自然を傷つけるなどとは、言語道断であります。
全社を挙げて対策
こうしたことが再び起こらないよう、全社を挙げて対策を考えます。十六日付の紙面で伊藤邦男・前東京本社編集局長が申し上げましたように、取材の基本的姿勢、モラルについて、一線の記者やカメラマンはもちろん、幹部にもあらためて教育をいたします。とりわけ、無用の功名心に走らないよう、節度ある取材態度を守ることにいっそう努めます。
今回の事件につきまして、これまでに全国の本支社、総・支局、通信局、販売店に、みなさまから多数の電話や手紙をいただきました。当然のおしかりと受け止めております。
読者のみなさまの信頼を回復する道は、朝日新聞のすべての記者やカメラマンが、今回の事件の反省に立って、それぞれ自らのあるべき姿を問い直しつつ、日々の仕事にいっそう励むしかない、と思います。自然保護や環境問題についてはもちろん、あらゆるニュースや話題を今後も全力で追っていく決意であります。
朝日新聞社
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1989年(平成元年)5月20日 土曜日
朝日新聞朝刊3面
ねつ造だったサンゴ取材 弁明の余地ない行為
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現地での行動―本社の調査結果
傷がなかったサンゴにストロボの柄で刻んだ
朝日新聞社は、四月二十日付の夕刊一面に掲載した写’89「地球は何色? サンゴ汚したK・Yってだれだ」の写真について、十九日までに、取材にあたった元東京本社写真部員・本田嘉郎(四一)から撮影時の様子などについて詳しく事情を聴いた。その結果、落書きはもともとあったかどうか、疑わしく、本田が指でこすり、さらにストロボの柄で傷つけたと判断せざるを得ないとの結論に達した。
これまでの調査に対して本田は、四月十一日、「サンゴにつけられた落書き」を取材するため、西部本社写真部員・村野昇(四一)とともに、沖縄・西表島のサンゴ礁の海に潜水。世界最大のアザミサンゴの表面に「KY」と読める線を見つけて撮影した。しかし、はっきりと写っているかどうか自身がなく、手袋をはめた手でこすり、さらにストロボの柄をはずしてサンゴを傷つけた――と説明していた。
しかし、傷をつける以前に落書きがあったとする確たる証拠は現在までのところなく、本田も十九日までに「Kはあったが、Yについては自信がない」と、前言を翻した。また「K」についても、他のサンゴの落書きと違い、ポリプは柔らかく生きている感触で、えぐり取られたような感じではなかった、と述べている。
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<注>問題のアザミサンゴは一九八二年に見つかった。高さ四メートル、周囲二十メートル。表面に張り付いている直径一センチ足らずのポリプと呼ばれる円柱状の個体が一つひとつの生命を形成している。その土台になっているのが石灰質からなる骨格部分だ。今回、削られたのは表面のポリプとその下の石灰質部分。ポリプは数年で再生するといわれるが、石灰質部分の再生は極めて遅いという。
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1989年(平成元年)5月20日 土曜日
朝日新聞朝刊3面
ねつ造だったサンゴ取材 弁明の余地ない行為
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ポリプ、生きていた 「手加えたか」と、同僚も疑念
落書きに至る経緯
夕刊一面に掲載している「写’89」の企画で環境シリーズを始めることになり、本田はニ、三年前に西表島沖に潜った時、サンゴ礁に大きな傷痕があったことを思い出し、現在どうなっているのか、地元、竹富町ダイビング組合所属のダイバーに電話で問い合わせた。その結果「今も落書きはあるようだ」との返事を受け、四月十日、村野と西表島に入った。
海が荒れていたため、この日は世界最大のアザミサンゴのある崎山湾には行かず、ダイバーの案内で近くの鹿川湾に潜った。そこにもアザミサンゴがあり、「山下」「F」など引っかいたような傷がたくさん認められた。
翌十一日、二人はダイバーの案内で午前十時すぎから、崎山湾に入った。三人でアザミサンゴの周囲を十分ほど見て回った。この時は、サンゴの表面に傷のようなものを認めたものの、落書きは見つからなかった。このため、ダイバーは近くにある小さいサンゴに彫りつけられた「Y」の落書きのある場所に案内した。そこでの取材は約十分から十五分で終わった。
その時点でダイバーは船に戻ったが、二人は帰りがけにアザミサンゴに再び立ち寄った。本田は「同サンゴの側面に『K』と読めるような線を見つけた」という。本田は同僚の村野を呼び撮影させた。二コマ撮って船に戻った。
船上で、本田が「あんまり写真になるような傷はなかった」と話すと、ダイバーは「記憶違いで申し訳ない」という趣旨の話をした。
午後からは二人だけで海に潜った。本田は「海中では赤系の色が抜けて、文字がはっきりしない恐れがある」と「Kとみえるもの」を手袋を付けた右手で何回かこすった。手袋の先が擦り切れてしまうほど強くやった。また、「Yに見えるような薄い線」もこすった。本田は離れたところにいた村野を手招きし、サンゴのそばに指示して何回かシャッターを切った。しかし、なお自信が持てずに、今度はストロボの柄を取り外して金属部分でサンゴの表面の傷口を削った。紙面に掲載された写真はその翌日撮影したものだった。
問題の「KY」について、本田は「Kは確かにアルファベットのKと読めたが、Yの方は今から考えると、自信はない」といい、村野も「Kは分かったが、Yはよく見えなかった」といっている。
さらに「K」について本田は、他のサンゴにあった落書きのように、深く傷つけられてはおらず、表面のポリプを触った感触では、ぬるぬるとして柔らかく、生きているポプリだった。手袋でこすった時も生きているポプリを傷つけている感じだったという。
十二日も午前中、二人だけでこのサンゴ周辺の海に入り、撮影を続けた。
村野は、本田がサンゴに手を加えている現場は目撃していないと述べている。しかし、十一日の午前から午後、十二日午前までの間の傷の状況の変化は感じており、十一日の午後、傷の形を見たとき、「本田が手を加えたかな」と疑念が生じ、十二日午前に傷を見たときは「ギクッとした」と述べている。
サンゴに傷をつけるに至った動機について本田は、「『写’89』の環境シリーズ企画の写真取材で、同僚らが苦労していたのを知っていたので、ここは一つ、よい作品を出したいとの思いにかられていた」といい、「海中の圧迫された状況の中で、判断力、認識力が鈍り、報道カメラマンとしてあるまじき行為に走ってしまった」と話している。
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1989年(平成元年)5月20日 土曜日
朝日新聞朝刊3面
ねつ造だったサンゴ取材 弁明の余地ない行為
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撮影の直後に落書きを確認
竹富町ダイビング組合経過報告書の要旨
2年前に、西表島の崎山のアザミサンゴに落書きされたことがあった。
これは後からの調査によると、現地のダイビングサービスを使わないダイバーが、自分たちだけで地元の船を雇って潜り、傷を付けていたことにほぼ間違いの無いことが分かった。
朝日新聞東京本社写真部の本田カメラマンは、かつて自らこの時のアザミサンゴの傷を見ており、ダイバーのモラルに警鐘を鳴らしたいと考えて、4月10日に朝日新聞西部本社の村野記者と2人で、西表島に来た。
同11日、午前中にダイビングチーム「うなりさき」の下田一司氏のガイドで、アザミサンゴに潜り、3人で、傷を探すために丹念に調べたにもかかわらず、作為的な傷らしい傷は見つけ出すことは出来なかった。ただ、今回問題になっているアザミサンゴとは別の、少し離れたところにある小さいアザミサンゴには「Y」らしき文字が確認された。
この潜水の後、本田カメラマンらは、「これじゃ写真にならない」と下田氏に話しており、傷が残っているかもしれないと思ってガイドした下田氏は自分の記憶違いをわびた。
アザミサンゴの傷の再生力についての話などをした後、白浜港で、昼食とボートの燃料供給のために、約2時間の休憩をする。
この間に、本田カメラマンは、民宿に水中カメラのレンズを取りに帰る。
11日の午後、下田氏は、なにかしらの傷痕をなぞり、写真を撮りたいという彼らをもういちどアザミサンゴのポイントまで連れていく。
このとき下田氏は、サンゴのポリプは軽く触れるだけでも一時的に白くなるので、その程度のことだろうと思っていた。午後からのダイビングは、潮流も出てきており、カメラマンらは流されかけていたので、下田氏は、アザミサンゴまで一緒に潜り連れていったが、午前中に一度一緒に潜っているので、先にボートに戻っていた。
潜水終了後、特に新たな傷の発見があったという話はなかった。
12日午前。この日は、ヨナラ水道に行く予定であったが、本田カメラマンらが急きょ、もう一度アザミサンゴに潜りたいというので、再び彼ら二人だけで潜り、下田氏は船上でワッチをしていた。
この潜水終了後も、新たに傷の発見及びそれを撮影したことについて、話はなかった。
このとき、ユースダイビングの関暢策氏が、ダイバーを連れて潜っており、撮影中の本田、村野両記者を目撃している。そして撮影直後のアザミサンゴに近づくと、問題の「KY」の文字と削り取られたばかりの白いサンゴの破片が落ちていたことも確認している。
そしてこの12日の午前のダイビングを最後に本田、村野両記者は西表島をたった。2日間で計3回のダイビングをした。
4月20日に矢野維幾氏が、21日に笠井雅夫氏がそれぞれアザミサンゴの傷を確認。
と同時に、二人のもとに東京の知人から、朝日新聞の記事についてつぎつぎと電話で連絡が入る。
4月26日、竹富町ダイビング組合として、事態の真相究明に動きだす。
ボートを使わなければ潜ることの出来ないポイントなので4月11日と12日の両日にこのポイントに行くことの出来るサービスの動向を調べた。
というのも、11日の午前中に、傷を探す目的で潜ったにもかかわらず、落書きが見つからなかったからである。
(中略=各ダイビングサービスの両日の行動)以上のような状況から、アザミサンゴの「KY」という文字は、朝日新聞社の本田、村野両記者による自作自演である疑いが非常に濃厚になったため、27日夕方、下田氏が東京本社の本田カメラマンに問い合わせの電話をするが、本人に笑って否定された。
同日夜、笠井氏がもう一度電話をしたが丁重に尋ねたにもかかわらず、窓口の人間が「朝日にかぎって絶対そんなことはない」と非常に乱暴な対応をした。
(5月15日付)
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1989年(平成元年)5月20日 土曜日
朝日新聞朝刊5面
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「社説」
厳しい批判を糧として
沖縄・西表島沖の海底にある巨大サンゴの写真記事の取材・報道について、朝日新聞社は本日、二度目の「おわび」を掲載した。
その後の調査によって、四月二十日付夕刊に掲載された写真の「KY」という「落書き」は、取材したカメラマンが自分で、落書きがなかったサンゴの表面に傷をつけ、撮影したとの判断に達したからだ。現場にいたもう一人のカメラマンも、部分的にこの事実を知っていたと考えざるを得ない。
これは取材の「行き過ぎ」といった事態ではない。ニュースの「ねつ造」であり「虚報」といわねばならない。きわめて悪質な自然破壊だ。いかなる弁明も、通用しない。
本社は今月十六日付で、この問題について「おわび」を載せたが、その段階では「カメラマンの一人が、落書きの撮影効果を上げるため、うっすらと残っていた部分を水中ストロボの柄でこすり、白い石灰質をさらに露出させた」と説明した。これは、本社カメラマンが落書きした、とする地元のダイビング組合などの主張と大幅に食い違っていた。
最初の本社の調べは、いわば身内に甘く、結果的に誤りだった。事実の追及を使命とする報道機関としてまことに残念であり、この点も心からおわびしなければならない。
さらに、私たちの報道によって多大のご迷惑をかけたダイバーはじめ地元の人たちに、深く謝罪する。豊かな自然に恵まれた西表島で、世界一とされる巨大アザミサンゴの周辺はとりわけ「聖域」である。その保護に地元ではつねに気をくばっている。そうした人たちの証言の重さを大切にすべきだったのに、当初の私たちの事実調査は、本社カメラマンの主張に比重をかけすぎた。
地元からカメラマン個人に対して最初に抗議があったのは、四月二十七日のことだ。なぜ、事実の確認にこれほど長い時間を要したのか。そうした疑問が出るのは当然である。
ひと言でいえば、問題の重大さについての認識が私たちの組織に足りなかったためだと思う。それが、社内連絡の悪さにもつながり、事実調査の不徹底、遅れをも招くことになった。今回の報道は事実と相違する、との指摘があったにもかかわらず、私たちの組織は敏感に反応しなかった。
最初の「おわび」で、本社は「取材に行き過ぎがあった」と書いた。しかし、その時点までの調査でも、取材の名のもとにサンゴを傷つけた事実ははっきりしていた。「行き過ぎ」という表現はすでに、私たちの認識の甘さが表れていたと自省している。
その点をふくめ、多くの厳しい批判が続いている。東京都内のある読者の投書は次のような内容だった。「判断の基準になっていた新聞が信頼しにくくなった。私たちにとって、これは大変な事件です。これは、単なる個人の行き過ぎでしょうか。そのような土壌はなかったのでしょうか。この問題についての朝日新聞の報道が簡単すぎるのも、大いに気になります」
サンゴを削って撮影するなど、考えもおよばぬ、常軌を逸した行為だ。しかし、これを例外的、突発的とだけみることは、許されない。地元から「ねつ造」と指摘されたあとの対応をもふくめれば、本社の組織のあり方になんらかの問題があるのは確かである。できうるかぎりの点検と対策を緊急に実行し、過ちを重ねないようにするほかはない。
前回、十七日付の社説の結びをあえて繰り返させていただきたい。
――私たちは批判を謙虚に受けとめるとともに、今後の紙面の内容で、それにお答えする決意である。
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1989年(平成元年)5月27日 土曜日
朝日新聞朝刊1面
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一柳社長が辞任 サンゴ事件で引責 後任に中江専務 朝日新聞社
朝日新聞社は二十六日に開いた取締役会で、沖縄・西表島沖のアザミサンゴに本社カメラマンが傷をつけた事件について、社としてのけじめをつけるため、一柳東一郎社長が責任をとって辞任し、後任社長には中江利忠代表取締役・専務(編集担当兼国際担当・アエラ発行室長)を昇格させることを決めた。社長交代は六月二十四日の同社株主総会の機会に行われる。
取締役会で、一柳社長は「今回の不祥事は単なる誤報の域を超えたものであり、捏(ねつ)造された写真をもとに、逆に世の中を戒めるという異常なものである。作為的に世の中を欺いたものといわれても弁明の余地はない。社としては、すでにカメラマンの退社処分を含む関係者の処罰、東京本社の編集局長の更迭などを行い、紙面の上で繰り返し読者におわびしたが、これは当然のことであり、決して十分ではない。この際、社としてのけじめをつけるために社長が辞任し、新しい社長のもので読者の信用を回復するための努力を重ねる以外にない」と述べ、中江専務を後任に指名、取締役会全員の了承を得た。
一柳社長は昭和五十九年十二月に社長に就任した。
中江 利忠(なかえ・としただ)東大卒、昭和28年朝日新聞社入社、東京本社経済部長、同本社編集局長などを経て、57年取締役、58年総務労務担当取締役、59年常務、61年編集担当常務、62年専務、63年6月から代表取締役・専務。59歳。
日本新聞協会の次期会長を辞退 一柳社長
朝日新聞社の一柳東一郎社長は二十六日、社長辞任に伴い日本新聞協会次期会長の就任辞退を小林与三次同協会長(読売新聞社社長)に申し出た。一柳社長は、協会内の選考委員会で協会長就任が内定しており、六月七日の同協会総会で、正式に選出されることになっていた。
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辞任にあたって 社長発言の要旨
本社カメラマンによる西表島のアザミサンゴ損傷事件について、朝日新聞社としての責任にけじめをつけ、これから会社を挙げて信用回復の歩みを進めて行くため、私はこの際、社長を辞任し、六月二十四日の株主総会終了の時点で、中江利忠専務と交代することにしました。
今回の事件が表面化した十五日、私は大阪から夜に帰京しました。羽田空港からの車の中で事件の第一報を聞き、それ以来、対応に当たって来ましたが、事件そのものの異常さ、重大さを考えるとき、朝日新聞社として、この際行うべきことはすべて行ったといえるだろうか、という点がずっと心にかかっていました。
問題の四月二十日付夕刊の写真と記事「写'89『地球は何色』」を私は繰り返し読みました。写真を取ったカメラマンを記事を書いた記者は別人ですが、環境保全の大切さを訴えたキャンペーン的な報道であり、写真と記事は一体のものであります。貴重なサンゴを自ら傷つけた、いわばうそをもとにして世の中のダイバーを戒め、自然を大事にしない世の中の風潮に警告を発しているわけです。
どう考えても、普通の誤報といったものではありません。また、取材の行き過ぎといったことでもありません。まさに読者の皆さまを愚弄(ぐろう)するものであり、故意に世の中を欺いたものと言われても、返す言葉がありません。読者の皆さまから、また世の中の多くの方から、怒りの声が集中したのも当然です。
朝日新聞社はこの件に関して、カメラマンの退社処分を含む関係者の処罰、編集局長の解任などの措置を取りました、紙面では繰り返し「おわび」を載せ、社説や天声人語でも恥じ入って謝りました。
一応の処分は済んだと言えるかもしれません。しかし、読者の皆さま、世間の方からみればどうでしょうか。そうした処罰は当たり前すぎることでもあり、おわびもまた当然のことでありましょう。
今回の事件の責任というものは並大抵のものではありません。関係者の処分をし、おわびも載せました、で済む問題ではないし、朝日新聞はそれで済ませたつもりか、というのが読者の皆さまの偽らざるお気持ちだろうと思います。
この際、最高責任者である私が、そのポストを辞めることで責任の問題にけじめをつけ、新社長の下で、全社員が深刻な反省を踏まえつつも、前向きに踏み出してもらうのが一番いいのではないか、という結論になりました。
昭和二十五年に「伊藤律架空会見記」という、思い出すのも忌(い)まわしい「虚報事件」がありました。これによって朝日新聞の信用は大きく傷つきました。その事件と比べても今回の方が、より深刻であります。
何度も心の中で反芻(すう)し、辞任を決断しました。
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