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三上章(一九〇三 〜 一九七一)生誕百年。ようやくその真価が認められる気運が生まれた。
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投稿 平成15年07月05日00時55分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)七月四日(金)
(第六百二十八回)
○東京新聞、平成十五年七月四日夕刊。九頁。文化欄。
○ここに、「鬼才の日本語文法学者 − 三上章生誕一〇〇年」
(益岡隆志神戸外国語大学教授)と言う一文あり。
○三上章(一九〇三 〜 一九七一年)、については、小紙(週刊日本新聞)
で、何度も取り上げ、また、日本義塾でも、講義した。
○今年は、三上章生誕百年、と言うことで、多少、三上章評価が、
成されては居る。
○三上章は、東京帝大工学部を卒業して居り、戦後、高校で、数学を
教えた。
○日本語文法とは、まるで、無縁の立場である。
○このひとが、何故、日本語文法に志すようになったか、それは謎で
ある、などと、この益岡と言う学者は書いて居る。
○しかしこのひとの読みはおそろしく、お粗末で貧相だ。
○三上章は、戦前、東大工学部を出て居るが、そもそも、三上と言う
ひとは、西洋文明の輸入を事とする近代日本のアカデミズム、その
学問の在り方に、非常に強い疑問を抱いた。
○それが、彼の日本文法研究の根っこにある思いである。
○日本文法学を研究すると、西洋式文法学を日本語にあてはめる明治
以来のやり方は、根本的におかしい、と、三上は直観した。
○三上日本語文法の源泉はここに由来する。
○三上の生前、日本のアカデミズムは、三上の説を、鼻の先でせせら笑う。
○むしろ、アカデミズムの外側の人々が、三上説を高く評価した。
○更に、欧米の言語学界の一部は、三上章を、日本語文法学の最高峰、
とまで評価した。
○日本のアカデミズムの「権威者たち」としては、おもしろくない
ことこの上ない。
○しかし、三上章死後三十二年。
「権威者」でない、文法学者たち、日本語学者たちの間に、少しづつ、
三上を評価する気運が生まれて来る。
○学界の、エライ、エライ、エライ最高権力者学者たちから見れば、
「雑魚」としか見えない、学者、研究者たち。
○まだまだ、戦いはこれからだ。
(了)
●[注]
○三上章説の一つは、日本語には、西洋語文法の「主語」は存在しない
と言う、主語否定論、とされるが、それはイロハのイ。
三上理論の奥は深い。