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サウジ自爆テロと中東大戦争への道 行政調査新聞社
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投稿者 力なき市民 日時 2003 年 7 月 04 日 03:45:17:


サウジ自爆テロと中東大戦争への道


ロードマップの不安

 5月12日深夜(日本時間13日早朝)、サウジアラビアの首都リヤドで4件の爆弾テロが発生し29名が死亡、200人近くが負傷するという事件が起きた。ちょうど中東を歴訪中だったパウエル米国務長官は直後に「この犯行にはテロ組織アル・カイダの特徴がある」と指摘した。

 さらに4日後の5月16日夜(日本時間17日早朝)、モロッコ最大の都市カサブランカでも4回にわたる自爆テロが発生し、39名が死亡、100人が負傷するという事件が起きている。この事件にに関してモロッコのサヘル内相は「国際テロ組織による犯行の可能性が高い」と、サウジの首都で起きた爆破テロ同様、国際テロ組織アル・カイダが関連していることを匂わせている。

 そして6月21日にはAP通信が、「覆面姿の男がこれら自爆テロのことを語っているビデオを入手した」と発表。この覆面男の正体はAP通信によると「アル・カイダのスポークスマンとされるアブ・ハリス・アブドル・ハキム」と説明されている。

 だが、これらのテロは真にアル・カイダの仕業だったのだろうか。中東和平のために米国が進めてきた「ロードマップ=道筋」(中東和平政策)との関連を含め、検討を加える必要があると思われる。「ロードマップ」に関しては、以下の新聞記事がその深奥をよく語っている。

「中東和平『ロードマップ』思惑に相違、実効性懸念
イスラエル 暴力停止要求、多数留保へ/パレスチナ『予定通り』堅持

 米国と欧州連合(EU)、ロシア、国連の四者がパレスチナ和平に向けて策定した『ロードマップ(道筋)』が三十日、イスラエルとパレスチナ自治政府の双方に提示された。だが、イスラエルのシャロン政権はすでに公表前から核心部分について多数の留保をつける姿勢を示しているのに対し、パレスチナ側は原案通りの実施を求めており、実施は『入り口』でつまずく懸念が強い。
 ロードマップは二〇〇五年を期限に和平への手順を三段階に分ける。第一段階で、イスラエル、パレスチナ双方による二国家共存の受諾やユダヤ人入植地の拡大凍結、パレスチナの『暴力とテロ』の停止を実現、第二段階として年内にパレスチナ暫定国家を樹立。二〇〇四〜五年の最終段階でパレスチナ国家とイスラエルとの間で双方が首都だと主張するエルサレムの帰属や最終的な国境線の画定、パレスチナ難民の帰還権の問題解決を図り、パレスチナ紛争の最終的決着を狙う。
 だが、イスラエルのシャロン首相は、第一段階からパレスチナ難民の帰還権放棄を求めてゆく方針であるほか、ユダヤ人入植地の拡大凍結など、ロードマップ全体のプロセスに入る『前提』として、テロをはじめとするパレスチナ側のいかなる『暴力』の停止を強く求め、入り口で『拒否権』を握ろうとしている。
 これに対し、パレスチナ側は、プロセスすべての要素を字義通りに同時進行で実現してゆくとの立場を堅持する。その背景には、入植地の拡大凍結など、和平交渉に入ることによる何らかの『果実』を示すことができなければ、二〇〇〇年秋から続いた戦闘で、和平への絶望感に駆られ、武力衝突に走るパレスチナ住民を抑えることができないとの懸念がある。(中略)
 こうした構図は、すべて入り口で失敗に終わった過去の停戦調停とまったく変わっておらず、ロードマップを実効性ある和平案とするには、米国や欧州など同案の作成者を中心とした国際社会が計画実現に強い意思を示し、どれだけ両当事者に強い『圧力』をかけられるかにかかっている」
(5月2日付『産経新聞』朝刊)


9・11テロの真相

 ひと言でいえばイスラエルとしては「ロードマップ」は受け容れられない。受け容れればパレスチナは主権国家となり、もし主権国家パレスチナが攻撃してきた場合、これをテロ攻撃と難癖つけることが難しくなる。ところが米国主導のロードマップを拒否すればイスラエルは孤立してしまう。したがってイスラエルとしては、「テロが続く現状ではロードマップは受け容れられない」とただし書き付きで曖昧な形にしておきたいのだ。

 かつて、これと同じテロ事件があった。まさに「歴史はくりかえす」なのだ。そのテロ事件とは、オスロ合意に関するものである。

 オスロ合意とは何か。10年前に作られた中東和平合意である。

 オスロでの秘密交渉の結果、イスラエルとPLOが、1993(平成5年)年9月に調印したヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ人による暫定的な自治実施に関する合意のことで、正式名称は「暫定自治に関する原則宣言」。調印の翌年五月にガザとエリコで先行自治が始まり、アラファト議長らPLO指導部もガザ入りした。次いで西岸にも自治を拡大する自治拡大合意が1995年(平成7年)9月に調印され、翌1996年1月にはパレスチナ自治選挙が行われた。

 パレスチナによる暫定自治の期間は1999年春には終わることになっており、それまでに地位協定を結ばなければならなかったのだ。

 ところが、この期限が迫った1998年(平成10年)8月、タンザニアとケニアの米大使館が同時爆破テロに遭遇した。以下に当時の新聞記事の一部を引用してみよう。

同時爆弾テロ 死者は一四〇人に 負傷四二〇〇人 自爆の可能性

 ケニアの首都ナイロビと隣国タンザニアの首都ダルエスサラームにある米大使館をほぼ同時に狙ったとみられる七日の爆弾テロ事件は、八日夜(日本時間九日未明)現在、双方で死者が百四十人、負傷者が四千二百人以上に達する大惨事に発展した。ナイロビの事件では、アラブ系男性三人が乗ったトラックが現場で爆発したと報じられており、同事件は自爆テロだった可能性が強まっている。
(『産経新聞』平成十年八月九日朝刊)


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同時爆弾テロ 黒幕、サウジの富豪? ウサマ・ビン・ラディン氏 米への聖戦宣言

 ケニアとタンザニアの米大使館を標的とした爆弾テロ事件で、タンザニア当局が十日、容疑者グループを逮捕したが、事件の黒幕として、サウジアラビア出身の富豪、ウサマ・ビン・ラディン氏(四一)が浮上している。『米国への聖戦』を宣言し、イスラム過激派に資金を提供していると伝えられる。米国が最も逮捕したいテロリストの一人といわれる。
 ラディン氏が反米テロのからみで注目されたのは、一九九六年のサウジ・リヤドの米軍関連施設の爆破テロで、捕まった容疑者らが『ラディン氏の影響を受けた』と証言したときからだ。
 容疑者らは、アフガニスタン紛争に参戦したアラブ義勇兵だった。
(『産経新聞』平成十年八月十一日朝刊)


 ビン・ラディン率いるアル・カイダは「ならず者」「テロリスト」であり、パレスチナ自治機構のアラファトも同じテロリストである。……国際社会はイスラエルの主張に従い、結果として暫定自治後の地位協定は行われなかった。
 しかし、イスラエルの危機は続いた。ケニアとタンザニアの米大使館を標的とした爆弾テロ事件の容疑者として逮捕された17人中の9人がニューヨーク地裁で裁かれることになったのだ。これまでの裁判の過程で、容疑者の自供なども含め、全体としては〔ビン・ラディン率いるアル・カイダの仕業〕という状況証拠は積み重ねられていたが、決定的な証拠はなかった。いや逆に、弁護側は決定的無罪の証拠を掴み、それが次の裁判で公表される手順になっていた。

 その証拠とは何か。

 爆薬の化学的分析、容疑者の事件時の行動、爆破時及び爆破直後のイスラエル軍の行動等々から犯人グループがアル・カイダとは無関係であるという証明がなされたとされるのだ。これらは物証、化学分析文書等から成り立っており、9月12日の裁判で明らかにされることになっていた。

 ところが、である。このすべての証拠類、そして弁護団は、この世から完全に消滅してしまった。裁判の前日……すなわち2001年9月11日、弁護団は莫大な証拠とともにニューヨークの世界貿易センタービルで裁判の打ち合わせを行っていたのだった。

 かくしてアフガン一帯を攻撃するために、ブッシュ大統領によるメガ中東大包囲作戦が展開された。そして「対テロ戦」はついに米英軍によるイラク侵攻に行き着く。

 イラク戦争(米英によるイラク侵攻)が形としては収束したところで、世界は中東和平の基本点に再度立ち返った。パレスチナ=イスラエル問題の解決である。

 この解決のために作製されたのが「ロードマップ」である。それは実質的には米国が作製したものだが、形としては米国・EU・ロシア・国連という四者の合意によって進められることになっていた。米軍がサウジアラビアから撤退するという意思を確認したうえで、アラブ諸国はこの「ロードマップ」受け容れを支持した。

 しかし実際のところ、米国はサウジアラビアから自軍を撤退させる気など毛頭ない。中東がこのまま平和に向かって驀進するなど、米国自身が考えていないことなのだ。

 そうしたなか、サウジアラビアの首都リヤドで四件の爆弾テロが発生したのだ。


メガ中東大激震

 わが国にとって中東は遠く、そして危険な国家・北朝鮮が隣にあるものだから、どうしても目は極東アジアに向いてしまう。それは当然のことである。だが米国は、北朝鮮と事を構えるつもりは今のところまったくない。当面、米国は国連安保理が北朝鮮の核廃棄を求めるような形をとっていくだろう。

 2001年9月11日のテロを受けてブッシュ大統領は「イラク・イラン・北朝鮮」の三カ国を「悪の枢軸」と非難した。そのうちの一つ、イラクは米英軍の軍門に下った。残るは北朝鮮とイランである。そして……北朝鮮には石油がないがイランには石油があるのだ。

 EU(欧州連合)を訪問したブッシュ米大統領は6月末、共同記者会見で、「米国とEUは北朝鮮とイランによる核拡散の試みに対抗するために、緊密に協力していく」と強調している。ブッシュはさらに、ハタミ大統領が宣言した核燃料サイクル開発に強い懸念を表明。核疑惑に関して国際原子力機関(IAEA)による抜き打ち査察を認める追加議定書への署名をイランに強く要求。国際的な圧力によってイランに核開発断念を迫るのが効果的との見方を示した。

 米国の真の狙いは中東大混乱(中東戦争)を経た後の中東制圧にある。アフガン、イラクを制圧した次のターゲットがイランである可能性は強い。

 じつはわが国は古代からイラン(ペルシャ)と密接な関係を結んできた国だった。奈良の正倉院御物のなかにイラン製の品々が数多く残されていることからも、その関係の深さは理解できるだろう。また、鎖国を解いた明治維新後には、対ロシア政策のためにイランとの関係が重要視されるようになった。

 第1次世界大戦(大正3年=1914年)前後は、イランは日本の綿花購入の顧客であり、綿花貿易では日本と英国がイランを舞台に大貿易戦争を展開したこともある。第2次大戦後もわが国はいち早くイランに公使館を開設し両国関係の緊密化に努めてきた。混乱し政権が次々と移り変わる「モザイク政権下」でも日本とイランの関係には破綻が見られなかった。米国の強力な後押しでパーレビ国王が誕生したが、パーレビはとくに日本贔屓で、日本に留学した者を経済閣僚に抜擢するなど、両国の関係は良好だった。

 この当時、イラン人はビザ無しで日本に入国することができたほどだった。

 この両国の関係にヒビが入ったのは、昭和54年(1979)に起きたイラン革命(パーレビ国王の追放)と、その後のイラン=イラク戦争(昭和55年〜昭和63年)のために合弁企業の「イラン日本石油」が撤退してからだった。米国はイラン封じ込め政策を展開し、わが国も基本的には米欧に倣ってイランとの関係を冷めたものにしていった。だがそうしたなか、主に民間企業(三井物産等)を中心に、水面下での交流は続いていた。外務省では、極秘のうちにイラン政府高官から情報を入手していたほどだ。

 9・11テロ後のアフガン侵攻では、わが国は米軍が手に入れることができないアフガンの人的情報を入手し、これを米軍に流したが、こうした情報はイラン政府筋から得たものだった。

 ところが、わが国が独自に持っていたこの情報取得ラインが最近、消えてしまったという。理由は明確ではない。わが国外務省が極秘情報ルートを持っているということをゴア前副大統領がイラン政府に通報し、この結果、情報流出ルートが消滅したと見られている。

 こうして、イラン内部の情報がまったくわからなくなったところで、米情報筋は「5月に起きたサウジの自爆テロとモロッコのテロの背後にイランが関与している可能性がある」と公言するようになった。米CIAの情報しか入手できないわが国にとって、この情報以外信じるものは存在しないのだ。

 対テロ戦の名目の下、サウジを中心に中東大包囲網を完成させている米国の次の標的はイランに間違いない。そして最終的には中東大戦争が引き起こされる可能性が高い。

 なぜフセイン大統領が生き延びているのか……。「フセインはうまく逃げたなぁ〜」と関心している脳天気な御人には、それ以上の推測が不可能かもしれないが、しかし少しだけ考えていただきたい。あれほど見事にピンポイント攻撃までできる米軍が、家族ぐるみで逃げだしたフセイン一家を見逃すなどということがあるだろうか。

 では、何のためにフセインは生き延びたのか。

 ビン・ラディンをなぜ捕まえないのかと同じ理由なのだ。

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