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哲学クロニクル 第391号 (2003年6月30日)
『マトリックス』の解読
『マトリックス・リローデッド』は大変な宣伝を展開していますね。一作目ほど
には感心できなかった第二作ですが、フランスの週刊誌のヌーベル・オプゼルバ
トゥールの2015号では、大々的にこの作品を特集しています。今回はその記事の
中から、ボードリヤールのインタビューの概要をご紹介します。
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『マトリックス』の解読
ジャン・ボードリヤール、ヌーベル・オプセルバトゥール、2003年6月19日号
【問】『マトリックス』の製作にあたっては、あなたの現実とヴァーチャルにつ
いての考察が土台とされていました。意外に思われたましたか。
【答】えーと、どうも誤解がありましてね。それでこれまで『マトリックス』に
ついては話さないようにしてきたのです。監督のウォシャウスキーは第一作の製
作の後で、わたしに連絡してきて、後の作品の製作に関与しないかと尋ねて
きたものです。冗談じゃないです(笑)。
一九八〇年代のニューヨークのシミュレーション芸術家たちの場合と同じ誤解が
あるようです。これらの芸術家たちは、ヴァーチャルについての仮説を事実のよ
うにみなして、これを視覚的な幻覚に変えたわけです。しかしこの宇宙の特質は、
宇宙について語るために、もはや現実的なものというカテゴリーを使えないとい
うことなのです。
【問】でもこの映画と、『完璧な犯罪』などのご著書で展開しておられるビジョ
ンの近さは驚くほどのものでした。「現実の砂漠」への言及、まったくヴァーチ
ャルな亡霊人間、これらは思考をかきたてるものですよね。
【答】たしかに。でも現実的なものとヴァーチャルの間が区別できなくなってい
ることを示したのは、「マトリックス」だけではなく、『トゥルーマンショー』
『マイノリティー・レポート』、それにリンチ監督の傑作の『マルホランド・ド
ライブ』などの作品もあります。『マトリックス』は、これらの作品をその頂点
においてまとめたものと言えるでしょう。
でもこの映画の装置そのものは粗雑なもので、ほんとうの意味では問題はないの
です。というのは、登場人物はマトリックスの中にいるか、その外部にいるだけ
です。マトリックスの内部では完全に数値化されていますが、レジスタンスの町
ザイオンはマトリックスの完全な外部にあるのです。ほんとうに興味深いのは、
この内部と外部の接点で何が起きるかを描くことなのです。この映画で困るのは、
シミュレーションが引き起こした新しい問題が、プラトン以来のごく伝統的な幻
想の問題と混同されていることです。これはまったくの誤解に基づくものです。
根本的な幻想としてみられた世界という問題は、すべての偉大な文明で登場する
問題で、これは芸術とシンボル化で解決されてきました。この困難な問題に対処
するためにわたしたちが発明したのは、シミュレーションされた現実、ヴァーチャ
ルな宇宙という概念でした。危険なものや否定的なものはここに遺棄されていま
した。ところがこれがいまや現実に取って代わったわけで、これが最終解決なの
です。そして『マトリックス』はこの方式を採用しているのです。夢、ユートピア、
幻覚の次元のものが、現実化されて、見えるように描かれているのです。『マト
リックス』という映画は、マトリックスを作り出すことができたはずのマトリッ
クスについての映画のようにみえます。
【問】この映画では、技術による疎外を告発しながらも、同時に数値化された宇
宙と合成された画像の魅力によって戯れていますね。
【答】『マトリックス 2』で驚いたのは、観客が巨大なSFXを逆転させるこ
とができるようなイロニーの光が欠けていることでした。ほんとうのイメージに
直面させられる本物のトリックのシーンが一つもなかったのです。ただこの映画
で示された兆候は興味深いものでした。このスクリーンの技術の宇宙では、現実
的なものと想像的なものの区別がもはや存在しないので、この宇宙そのものへの
フェティシズムが生まれています。
これについては『マトリックス』は異様な作品で、率直であるとともに、倒錯し
ているのです。マトリックスの世界の手前もないし、その彼方もない。わたしは
ある時点で、マトリックスを再プログラミングし、異様な事態を方程式のうちに
取り込むべきだったと思います。映画の最後で語っている擬フロイト的な人物は
そのことをうまく示していました。そしてそれに反対する者も、その一部に参与
しているのです。だから完全なヴァーチャル・サイクルが形成されて、閉じてい
るようでした。もはや外部はないのです。これについてもわたしは理論的には同
意できません(笑)。
『マトリックス』は、現実の状況を独占する完全な能力のイメージを提示しなが
ら、これを希釈することに協力しているのです。基本的にこの映画が世界全体で
放映されたということが、その映画の一部を構成しています。マクルーハンは
「メッセージとはメディアだ」と行っていたことを思い出しましょう。『マトリッ
クス』のメッセージとは、制御できない形で汚染が増殖していくということです。
【問】最近成功したアメリカ映画はどれも、それが推進しているシステムを批判
する作品のようにみえるのですが。
【答】こうしてこの時代は息苦しいものになります。システムがめくらましのネ
ガ(否定像)を作り出し、見せ物としての作品そのものにこれを統合してしまい
ます。工業的なオブジェには、もはや使われなくなった廃物が含まれているの
と同じです。これは、本当に異なる道を閉ざす効果的な方法なのです。この世界
について考えることのできる外部のオメガ点のようなものも、対立する機能も、
もはや存在しません。魅惑されただけの固着しか残されていないのです。
しかしあるシステムが完璧に近づくと、全体的な事故に近づいていることを忘れ
てはなりません。これはある種の客観的なイロニーのようなものです。もちろん
九月一一日のテロは、その一例です。テロは今の権力に代わる一つの権力ではな
く、西洋の権力がみずからのもとに、ほとんど自殺的な形で、たち戻ってくるこ
との隠喩にすぎないのです。わたしはあの時点でそう指摘したのですが、わかっ
てもらえませんでした。システム、ヴァーチャルなもの、マトリックス、これら
はどれも、歴史の屑籠への回帰なのです。
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(c)中山 元
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