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イラク戦争や有事法案をめぐる国会論議は、憲法解釈についての神学論争ばかりで、実際に戦争が起きたらどうするのかという戦略はほとんど論じられなかった。ある日突然、北朝鮮から核ミサイルが飛んできて、「対応を議論しているうちに東京にミサイルが落ちて一千万人が死んだが、憲法は守った」といったら、後世の人々はわれわれを評価してくれるのだろうか。
これに対して、本書のリアリズムは恐るべきものだ。本書の原型は、昨年フーバー研究所の機関誌に発表され、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」以来という大反響を呼んだ論文で、著者はブッシュ政権に強い影響力をもつ「ネオコン」(新保守主義)系シンクタンク、PNAC(新米国の世紀プロジェクト)の創立者である。イラク戦争の開戦をめぐって、単独先制攻撃も辞さない米国と国連中心を主張する欧州の亀裂が深まった背景には、両者の軍事力の違いがある。米国の軍事費は年間四千億ドルに近づいているが、欧州各国の軍事費は合計してもその半分に満たない。ボスニア紛争でもコソボ紛争でも、主力は米軍だった。欧州が国連や国際法を守ろうとしているのは、平和を愛好するからではなく、単独で自国を守る軍事力をもっていないからだ、と本書は断定する。
軍事的には米国に依存し、通貨の自主権さえもたない欧州各国は、もはや主権国家とはいえない。欧州は永遠の平和と「ポストモダン」の楽園を夢想しているが、現実の世界では「ならず者国家」やテロリストによって、ホッブズ的な「万人の万人に対する戦い」が起こっている。ここで秩序を維持する手段は、協調や説得ではなく米国の圧倒的な軍事力しかない。このように国際法や国家主権を否定する本書の思想は、政治的には正反対の立場で書かれたネグリ=ハートの『帝国』によく似ている。それは偶然ではない。ネオコンは、もともと米国の左翼が挫折する中で生まれたものであり、軍事力によって(米国独立)革命を世界に輸出する発想は、伝統的な保守主義よりもレーニンやトロツキーに近い。
軍事力がすべてを解決するという本書の発想の背景には、米国以外の文化圏を懐柔または征服の対象としかみない「自民族中心主義」がある。米国は「良心をもった怪物」だと本書はいうが、怪物であることは確かだとしても、良心をもっているとは限らない。ホッブズは「自然状態」を克服するために独裁国家という怪物(リヴァイアサン)を必要とした。戦後のあらゆる世界秩序を疑う著者が、米国が「自由で進歩的な社会」だという建て前を疑わないのは皮肉である。
私は著者の結論に賛成するものではないが、本書は危険な説得力に満ちている。日米間の認識ギャップは、欧米間よりもはるかに大きい。日米安保の傘の下で享受してきた「楽園」を米国がいつまでも守ってくれる保証はない。彼らの軍事行動の基準となるのは、米国の国益であって日米関係ではない。日本人は、本書の描く国際政治の冷酷な現実を直視する必要がある。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/kagan.html