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株式日記と経済展望:タマちゃんと欧米人と日本人との自然観の違い 欧米人の「自然」とは神が作った人工世界のこと [キリスト教と言うよりユダヤ−キリスト教だが]
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/507.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 28 日 16:47:27:


サイト:http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu49.htm

2003年6月28日 土曜日


(前略)
▼欧米人と日本人の自然観

ここで、彼我の自然観の違いに立ち入らざるを得ない。実は同じ「自然」と言っても、欧米人と日本人ではその内容が違う。そしてややこしいことに、日本人は近代以降に知った欧米人の「自然」概念も受け容れたために、現在では無意識的に「自然」という言葉をたいてい二重に用いている。だから、「動物愛護」と言っても二重なのだ。先に「無為自然」という言葉を使ったが、こちらが日本人本来の自然観を表している。

 それは、世界は無常であり変化して止まない、あるがままに任せるべきであるという自然観だ。また、自分が人間であることさえ巡り合わせであり、人間は特別な存在ではなく、動物も同じ生類(生き物)だという考え方である。現世における順序としては人間が優先されるのは当然であるが、一つ一つの命に関しては尊敬が払われる。それが万物への供養という思想であり、そこから自然にタマちゃんは「かわいそうな弱者」ということになる。

 「無為自然」に対する言葉が「人為自然」である。そんな卑小である人間が、あるがままに任せるべき世界にあえて介入することだ。欧米人が自然を操作することを日本人はそう見る。だが、実はそうではない。欧米人は「人為自然」とは別な思考軸で自然に介入している。「無為−有為」ではなく、「自然−人工」が欧米人の思考軸である。その「自然」とは何と、変化するものではなく、変化しないものなのだ。

 欧米人の「自然」とは、神が造った世界のことであり、天地の始めからある固定した秩序を指す。そして人間は神に世界を委託された者であり、世界を管理・保護し、必要に応じて操作すべき存在なのである。だから彼らは不変であるべき「自然」破壊に敢然と立ち向かい、クジラやイルカなど人間に近い「高等」生物を保護しようとする。しかしその一方で「下等」生物や人間の食物となる家畜には一顧だにしない。

▼日本人における二つの「自然」観の相克

いま述べてきたような、キリスト教をバックボーンとする本来欧米的な自然観が表層的に、つまり中途半端に日本人にも流入している。従来のあるがままに「自然」を放置するのではなく、「人為」的に(「人工」的にではない)自然に介入すべきだという意見が増しつつある。しかし「人為」によって自然を、言わば「ねじ曲げる」のにはまだまだ抵抗感があり、それが「タマちゃんを救え!」という声が多数派になれない理由だろう。

 日本人には日本人なりの、動物に対しての「階級」意識がある。それは、欧米人が自然世界の階級秩序に基づいて判断しているものを、「感情移入」で、つまり人間に似た仕草や表情、態度で直感的に判断しようというものだ。日本人のタマちゃんへの偏愛はこのようなものとして理解できる。同様に、パンダやコアラ、また最近流行のチワワなどもそうだろう。「かわいい」という言葉は、日本人にとって人間に近しいという意味だと解釈できる。

日本人が持つ二つの「自然」観が交錯した問題の例が、琵琶湖でのブラックバス問題であり、和歌山でのニホンザル雑種化問題である。どちらも本来そこには棲息しない魚やサルが人間によってもたらされ、以前の自然秩序が失われつつある。日本古来の自然観からはそれも無常と捨て置くべきなのだが、今はそうでもない。ブラックバスやタイワンザルを駆逐し、以前の「自然」を復旧することが積極的に試みられている。

 生物ではないが、実は文化財保存についても同様だ。日本には古来「保存」という思想はなかった。伊勢神宮の遷宮などでご存知の通り、「再築」こそが日本的思考である。しかし、いまは「保存」が主流思想である。それでも、いかなる目的のための保存なのかという哲学はない。このよじれのようなものをしっかりと自覚することがなければ、文化財保存もうまくいかないものと思われる。(後略)


基地外井戸のある村 日本人の試金石としてのタマちゃん:http://www.kcn.ne.jp/~tkia/kichi-ido/mki-60.html


小泉内閣は最近、三位一体という言葉を良く使う。キリスト教のトリニティーの事を言いますが、小泉内閣のはキリスト教とは関係がない。キリスト教では父ヤハウェなる神が天地を創造し、その子のイエス・キリストと精霊とで三位一体と言うように、欧米では神様が世界を作り、自然とは人工物であるらしい。

それに対し日本人は、「無為自然」と言うように、自然とはもともとそこに存在した。あらゆるものに神が存在し、八百万もの神が存在していると言う。庭園を見ても西洋式庭園は幾何学模様の整然とした庭であるのに対し、日本庭園は出来るだけ手が加えられていないような庭園を言う。つまり人為的に手が加えられている自然である。

欧米人においては自然とは人工物であるから、世界のあらゆるものを神に成り代わって世界を支配することは使命なのだろう。具体的にはコンピューターが発達して、全てのものに記号と番号が打たれ管理することは、天地を創造した神の意志を継ぐ事である。西欧人、特にアングロサクソンなどは、自らを神に一番近い姿をした民族として、世界を支配することを使命としているようだ。

それに対し、ドイツのゲルマン民族や、フランスなどのラテン民族は反発するのは当然だ。キリスト教を信仰する限り、天地を創造した神がおり、人工物である世界を管理することは、キリスト教の教義からして当然のことである。そしてアメリカは一極支配体制を築き上げ、ブッシュ大統領は聖書の言葉をやたらと引用している。

一極支配を完成させたアメリカがその正当性を、キリスト教の教義を元とすることは当然のことである。ヤハウエが築いた世界を、その子イエス・キリストの意志に基づきブッシュ大統領が管理するのだ。世界に展開されたアメリカ十字軍はキリスト教なしには存在し得ない。だからこそアメリカの小学校は「神」に宣誓の誓いをたてている。イギリスのブレア首相もその尻馬に乗ろうというものだろう。

それに対して、同じキリスト教徒でありながらヨーロッパやロシアなどのキリスト教徒は異論を述べるのは当然だ。ブッシュとその支持者が信仰している福音派とは教義が異なるからだ。この事は3月11日の「アメリカは何故戦争をしたがるか」( http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu45.htm )で書きました。福音派は聖書こそが真実であるとして、神が天地を創造したとし、進化論も認めてはいない。そして異教徒が死んでもやむをえないとする教義を持っている。

日本人やヨーロッパ人から見れば現在のアメリカ人は狂っているとしか見えないが、現在のブッシュは神がかりであるだけに誰にも止められない。まして日本人はキリストの神の天地創造の事など思いもよらないから、一極世界支配のイデオロギーがキリスト教と関係あることなど気がつかない。

日本人と西欧人とは自然観が根本的に異なるから、共通の世界観を持ち得ない。特にアメリカ人は神がかりであるから、神になり代わって日本にいろいろ命令してくる。だからこそ憲法から民主主義に到るまで押し付けてきた。彼らにとっては日本もヤハウェの神が作った世界の一部に過ぎないからだ。

タマちゃんとは話が大きくずれてしまったが、タマちゃんが東京近郊で生活するようになった事は、それだけ川の水がきれいになり、餌になる魚などが増えてきたからだ。それだけ自然が戻ってきた事になるのだ。タマちゃんも八百万もの神様のひとつと言うことになる。欧米なら動物愛護団体が捕獲して生まれ故郷に返せと言うことになるのだろう。

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