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白装束集団パナウェーブ(千乃正法会)の教義に不可欠な影響を
与えたGLAの開祖・高橋信次の著書には多くの矛盾や食違いや
虚偽が存在する。
ところが、虚偽は『心の発見』『心の原点』をはじめとする著書のみ
ならず、自身が語るエピソードにも充満していることが判明した。
こういうウソつき教祖をいただいたGLAがどんな教団か、またその
教義を基礎に独立立教した「幸福の科学」「千乃正法会」が、なぜああ
いうオカシナことになったのか、よく理解できる。
ウソつきのウソ教義を「真理」と思いこめば、どんな人間でも狂気
になってしまうのは明白だろう。
★ニセ軍人・高橋信次
信次には、「南洋に出征して飛行機が撃墜され、海上を漂っている
うちに、イルカに助けられた」という「武勇伝」があることを、
元GLA信者の人から聞いたことがある。また、GLAに在籍中も同様な話
を聞いた。
少なくとも、信次は下記の著書の内容からも、てっきり「戦場」へ
行って「前線ではなばなしく戦った」のだろうと、私もながらく信じ
てきた。
『心の発見・神理編』P23-24
「軍人志望の私は、小学を終えると中学に入ったが、その道(陸軍生徒
と後述)への受験勉強を講義録によって求め、やがて希望通りの目的の
学校に入った。集団生活の第一歩である。(中略)やがて戦争は激しく
なり、その虚しさを私は友人の死によって痛切に知った。(中略)終戦。
私は幾度か生命を危険にさらされた生活から解放され」
「現証編」P22-23
「遂に中学を中退して軍人志願に踏み切ってしまったものであった。
軍隊ではしつけが厳しく規則正しい生活であった。(中略)国から給料
をもらいながら学ぶのであるから(中略)上級学校に行くにしたがって、
基礎学問の程度は、飛行機乗りに必要なものに変わっていった」
『真創世記』地獄編P81(高橋佳子)
「昔の父は、陸軍幼年学校から戦地へ向かった典型的な軍人かたぎ」
信次の元高弟・園頭広周氏の「正法」サイト(八起正法・管理人)より
「(昭和二年生まれの)信次は平賀小学校(現・城山小学校)を卒業
すると野沢中学校(現在の野沢北高校・進学校で名高い)に入学するが、
二年で中退、仙台陸軍幼年学校にはいる。この時、両親は合格通知が
来て初めて、試験を受けたことを知った。そして、中学より始めた剣道
は以後、信次の生涯に少くなからず影響を与える。やがて戦争は激しく
なり、そのむなしさは友人の死によって倍加されていった。信次十八歳
の時、信次に親切にしてくれた女性に片想いをするが、恥ずかしがって
何も言えなかった。少年時代の思い出のひとこまであった。信次は陸軍
幼年学校から士官学校に進んで航空士官となって出兵。その時、十二
時間、海に漂い海防艦に救われる。それは不思議とイルカが信次のそば
に寄って来てくれたので、米軍の機銃掃射を免れたことによるが、信次
の身体には弾丸の破片が残った」
「『信次は、航空隊で沖縄に出撃したことがあると聞いた』と園頭氏は
書いている」
『週間大衆』昭和50年2月27日号 P56 「シリーズ・新宗教の
"生神さま"は語る」(11)GLA(神理の会)=宗教ではないという驚異
の教団:レポーター/猪野健治より
「小学校を出ると長野県立野沢中学に入り、軍隊時代は飛行士として
南方を転戦した」
さてこの信次と佳子と元弟子のかたる「軍歴」を検証してみよう。
昭和二年生まれの信次が、仙台陸軍幼年学校に入ったのが、事実だ
としよう。当時の陸軍幼年学校といえば、全国に6校だけ、1学年の
定員は各校わずか50人しかいないというエリート幹部候補生の教育
機関。入学の機会は、ときの法律の定めるところに従って、中学1年
と2年の2回しかない。試験は12月、合格発表は、翌年3月に合格
者への通知の封書でもって知らされる。
信次は、その2回目の最後のチャンスにかけたわけだ。9月生まれ
の信次は、受験・合格当時14歳だったことになる。すると、入学は
昭和16年の4月1日。
さて、陸軍幼年学校は、将校となるための学科や訓練を3年間受ける。
次いで陸軍予科士官学校(いわゆる陸士)に入学する。ここは、陸軍
士官学校と陸軍航空士官学校の予科を独立させたもので、今の大学の
教養部にあたり、陸軍における飛行機乗りの養成コースでもあった。
したがって、信次が航空兵になるための初歩的な知識は、ここで得ら
れたわけだ。
この「予科士官学校」は、卒業まで2年間。さらに飛行機乗りに
なるためには、陸軍航空士官学校に進んで、また2年間を士官候補生
として訓練しなければならない。それが終って、はじめて「戦場」へ
配属される。
信次が、南洋の戦場で海にたたき落とされて、イルカに助けられる
ためには、どうしても、「幼年学校3年+予科士官学校2年+航空士官
学校2年=約7年の学業・訓練」が必要となる。するとどうなるか?
信次が、幼年学校を卒業し、予科士官学校に入学したのは昭和19
年の17歳。予科士官学校の卒業予定は、「昭和21年」ということ
になり、そのときには戦争がとっくに終り、次にすすむべき「航空士
官学校」自体がなくなっていた。
つまり、信次は「戦場」になど行っていないのである。
そのことにつき、「軍歴詐称」疑惑を質問した先の戦友連の方も、ちゃん
とご回答を下さり、証言していただきました。
「146 No.145,高橋某氏ご照会について
2003年 5月 8日(木) 12時 5分
昭和二年生まれで、中学から仙台陸幼に入られた方は、陸士では
最後の61期に当たり、予科在学中に終戦となり、勿論航空仕官など
には、任官されていません」
すると、佳子のこの話もまっかなウソ。何から何まででたらめの
「つくり話」になる。
『真創世記』地獄編P103-104
「ミカエルは(信次の戦友の)友人の口を借りて語った言葉を父に
思い出させました。その友人が特攻に出撃する日に、父に告げた言葉
です。『魂は永遠だよな、高橋』『人間は肉体だけじゃない。いま
日本は世界を相手に戦争してるが、こんなことはちっぽけなことだ。
すべての人間は、本当はひとつのものなんだよな』父の記憶にはっ
きりと刻み込まれていた友人の言葉が、ミカエルの通信だったのです」
これから導き出される結論はこうだ。
1. 信次に特攻行きを見送るような「友人」はいなかった。
2. 架空の友人の言葉も架空である。
3. 架空の友人の言葉を伝えたというミカエルも架空である。
4. 信次も佳子もウソつきである。
すなわち、『心の発見』にあることも、『真創世記』にあることも
「戦場に行った」「命を何度か危険にさらされた」「友人の特攻出撃
の場にいあわせてメッセージをもらった」という各場面も、まったく
の「ウソ」「つくり話」である。高橋信次と佳子(すなわちGLA総合
本部)は、このように「戦争」についても大きなウソをかたり、いま
だ何も恥じずにいるのである。
これが「天上界」だの「霊太陽」だの「大天使」だの、「愛と慈悲」
「正法神理」を説教する人のやることだろうか?
<参考>
驚愕! 宗教法人GLA・高橋佳子講演会の収益試算。
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/144.html