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米国ネオコンの正体を日本人が全く見ることが
出来ないで居る、その理由と背景。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
〜参考〜
ヴァイスハウプト網領(一七七六年)を「発展」させた、アルバート・パイクの網領(一八七〇年)とは。 [週刊日本新聞]
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/320.html
投稿 平成15年06月10日23時42分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)六月十日(火)
(第六百四回)
○ウィリアム・G・カーは、「サタン、この世の君主」の中で、
ルシファー主義なるものの教義(クレド)について、詳しく
述べて居る。
○しかし、その要点は何かと言うと、それは、ひと握りの主人と、絶対
多数の家畜人間的奴隷、と言うシステムである、と成るであろう。
○アレクサンドル・コジェーブ(一九〇二〜一九六八年)が、
レオ・シュトラウスと共に米国ネオコン派の主要な思想的基盤と
成って居ることについては、既に小紙(週刊日本新聞)上で述べた。
○コジェーブの主著は、『ヘーゲル読解入門 − 「精神現象学」
を読む』(邦訳、国文社、一九八七年、上妻、今野訳、フランス
原著は、一九四七年)である。
○シァディア・B・ドルーリー女史の「アレクサンドル・コジェーブ −
ポストモダン的政治の源泉」(一九九四年)は、今、ネオコン問題
に関心を抱く日本人有志にとって、必読の書。
○コジェーブは、ヘーゲルの精神現象学の「主人と奴隷」の論理を突き
詰めて行く。
○しかし今や、西洋は、この主人と奴隷の階級闘争の採集段階に入る。
かくして、歴史は続ける、と言う。
○フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」も、日本人にとっては、
一過性の流行の一つに過ぎなかった。
○このフクヤマは、れっきとした、レオ・シュトラウスとコジェーブの
弟子であう。
○歴史の終わり、とは何のことか。
それは、主人と奴隷の階級闘争の終わり、を意味すると。
○それはまた、言うことか。
○それは、ズバリ、端的に言って、主人と奴隷の半分の固定である、と。
○と言うよりも、「奴隷」を、非人間化する。奴隷を人間でないもの、
「家畜」へと、決定的に突き落とすこと、である。
○家畜は飼い主に反抗はしない。
○反抗しようと言う気持ちそのものが生まれないように作られて居る。
○まさしくここで、我々は、W・G・カーの言う、いわゆる、ルシファー
主義の教義(クレド)の核心に突き当たる。
○いわゆる米国ネオコン派の正体を、今の日本人は、完全に、見誤って
居る。
○この超重大問題については、六月の日本義塾(六月二十六日)で
全面展開する。
(了)