現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ27 > 306.html ★阿修羅♪ |
|
明治天皇が皇室の神的結界を破ってその外へ
遷都した、その演出者の真の意図。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
投稿 平成15年06月08日23時46分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)六月八日(日)
(第六百二回)
○月刊誌「ムー」(学研)、平成十五年七月号。十四頁以下。
○ここに、明治天皇以後の皇室が、やまと姫の作った霊的神的
結界を破ってその外へ、つまり、江戸(東京)に遷都したこと
について、色々と、論評されて居る。
○この件は、既に二、三十年前から、異色の神道家、金井南龍さん
が説いて居られることで、筆者はそれを、良く知って居る。
○ここで、「やまと姫」の神事とは、厳密に言えば豊鍬入姫命と、
やまと姫の命と、二代に亘る神事、である。
○豊鍬入姫命は、崇神天皇の皇女。
やまと姫命は、垂仁天皇の皇女。
○記録では、皇女二代に亘り、八十年をかけて、天照大神をお祭り
する場所を探したとある。
○この件については、拙著「天皇破壊史」でも、「縄文日本文明一万
五千年史序論」(七月上旬刊、成申書房)でも、述べて置いた。
○更に、今、執筆中の「代表的縄文日本人」、二十人の中に、豊鍬
入姫命とやまと姫命が収められて居る。
○前出、「ムー」七月号の記事は、中々、良い線は突いて居るが、
しかし、これでは、いかにも読みが浅い。
○明治天皇が、あわただしく京都を出て江戸(東京に)に遷都した
のは何故か。
○ここで、鹿島昇史観を参照することが必須であろう。
○鹿島昇史観、と言うよりも、鹿島さんが参考にされた、山口県の
郷土史家のグループである。
○この郷土史家たちの研究によれば、
(1)長州には、南朝の家系大室家が続いて居り、
(2)幕末、長州藩は、この南朝系と言われる大室家の大室寅之祐を
天皇にかつぎ出す謀略を立てた。
(3)この謀略の一環として、孝明天皇を弑逆し(慶應二年十二月
二十五日)、
(4)更に、孝明天皇崩御のあと即位した皇太子睦仁親王(新天皇)を
も弑逆し、
(5)そして、長州の大室寅之祐を、明治天皇にスリ変えた、と言う
ことに成る。
○大室寅之祐の「明治天皇」は、本物の孝明天皇の皇太子の睦仁親王
とは、まるで別人であるから、これでは「京都は危ない」、となる
であろう。
○かくして、大急ぎで、京都を脱出して、江戸(東京)に行幸される
必要が孝明天皇弑逆の国賊長州以下の謀略私党の一味には存在した、
との説明が可能である。
○この件は、続報する。
(了)
●[注]
この件については、二冊の故鹿島昇著が必読である。
新国民社で入手可能か。