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吉岡忍が描く驚愕の近未来 「個人情報保護法」で嗤う男 Web現代
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投稿者 小耳 日時 2003 年 6 月 06 日 21:09:38:

Web現代トップ > News Web Japan > メディア > 2003.05.07

吉岡忍が描く驚愕の近未来 「個人情報保護法」で嗤う男
http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2003_05_07/index.html

文:吉岡忍(ノンフイクション作家)

5月6日、「個人情報保護法」は衆議院本会議を通過し、参議院へと送られた。参議院でも与党が過半数を押さえていることから、同法案の今国会成立は確実と見られている。
しかし、「個人情報保護法」というソフトなネーミングとは裏腹に、その実態は市民生活を管理し、民主主義の根幹である報道の自由をしばる“世紀の悪法”である。著名作家やジャーナリストのみならず、消費者、市民団体の間からも反対の声が挙がり、一度は廃案に追い込まれている。
その悪法が今国会に、若干の化粧を施されて、より悪臭漂う“政治家スキャンダル保護法”としてしつこく再登場。脛に傷を持つ野党の及び腰もあって、とうとう成立してしまう。
同法案は成立後、直ちに施行される。すぐの悪用は控えるだろうが、ごく近い将来、“物言えぬ社会”“官の暴走する監視社会”となり、暗黒の市民社会が訪れることは必至だ。「個人情報保護法」によって、悪徳政治家たちが謳歌する「この世の春」はどんな世界だろうか。ノンフィクション作家・吉岡忍氏がシミュレーション小説で、この法案をつくった男たちの本音を抉る!
■■■
国会議員が堕ちはじめたら、早い。週刊誌が火をつけ、テレビがあおって、新聞が図解入りで報じたら、それがトドメと思え――“政界のセレブ”を自認する某中堅議員も、それはよく承知している。

ところが、このところ身辺がざわついている。週刊誌記者が、愛国心教育についての考えを聞きたいと訪ねてきたくせに、質問の中身は選挙事務所や地元後援会のことばかりだったし、テレビの討論番組で出番を待っていたときも、番組とは関係のない新聞やテレビの記者が寄ってきて、妻に役員をやらせている不動産会社の名前を口にして、こっちの顔色を探るような目つきでうかがっていた。

昼間の秘書の報告によれば、インターネットのおしゃべりサイトでおれのアメリカ留学時代の行儀悪さ話題になっているという。くだらない。向こうじゃマリファナなんか、みんなやってる。ろくに英語も強しなかったやつらが、帰ってきて、おおげさに言ってるだけだ。

身ぎれいな政治家なんて面白くもない。役所に口利きしてやれば、企業が政治献金したり、小遣いくらいは包んでくるのが当たり前だ。株をやってるやつなら、議員だろうが誰だろうがとびっきりの情報に飛びつくだろう。それを四角四面にインサイダー取引だと非難する連中は、市場経済の自由競争をつぶすつもり……。それとも、あれか?
二年前、議員会館のこの部屋に運び込まれたあの段ボール箱詰めのカネのことか?
あのことを知っているのは……。

胸の奥がポッと白んで、若い女の顔が浮かんだ。あいつの仕返しだろうか、とセレブは顔をしかめた。県連事務局にいて、前回の選挙を手伝ってくれたオンナ。選挙は人を狂わせるというが、おたがいチョイの間のゲームのはずが、ちょっと引きずりすぎた。

セレブは暗い窓の外を見た。目と同じ高さに首相官邸が見える。五階東側にある首相執務室の明かりは消えていた。
■■■
それから数日間、セレブは精力的に動いた。傷は小さいうちにふさいでおくこと。これが政界の鉄則だ。傷を作るな、ではないのがいかにも永田町だ、と彼はにやっと
する。

いい法律がある。政治家が都合よく使える法律だ。この個人情報保護法というやつ、成立するまでに一悶着あったが、できてしまえばこんな使い勝手のいい法律はな い。
セレブはまず先日の週刊誌記者を議員会館に呼びつけると、自信たっぷりに言い渡した。
「あの法律は、あんたらも騒いだから、よく知っているはずだな」

記者のけげんそうな顔を無視して、セレブはつづけた。
「じゃあ、五十条2に『不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること』と報道の定義があることもわかってるだろう。あんたが何を嗅ぎつけたか知らんが、これは議員個人のプライバシーにかかわることは報道できないってことだ」
「でも、国会議員は公人ですよ。公人のプライバシーは私人のそれとはちがいます」
「わかってるさ」と、セレブは落ち着いている。「マスコミが議員活動のあれこれを報道するのはかまわない。しかしだな、きみ、たとえば、ほら、よくあるだろう……カネとオンナというような話さ。あれは、この法律を厳密に適用すれば、できないことになった」
「どうしてですか」

「客観的事実じゃないからさ! 客観的ということは『見方が公正で、多くの人に理解されている状態』のことだぜ、きみっ。『状態』だよ。万々が一だよ、私にそんな噂があったとしても、多くの人が知っている事実の状態にないということさ」
「そんなこと言っても、あなたが段ボール箱入りの現金を受け取ったというのは事実ですよ。この部屋で、でしょう。証言もあります」
セレブはあわてなかった。やっぱりあのことだ。タレ込んだのは、たぶんあのオンナだな。彼は、フンと鼻を鳴らした。
「わかってないようだね、きみ。法律が言っているのは、あくまで『客観的事実』でなければ報道できないということだよ。たんなる事実じゃだめなんだ。事実はちゃんと手続きを踏んで、やっと客観的事実になれるんだ」
「何です、手続きって」
「さあな……」

「警察発表とか、そういうことですか。警察や行政が公表し、権威づけなければ、客観的とは言えないと……そんなことになったら、週刊誌だけじゃなく、新聞もテレビも行政の広報誌になっちゃいます」
「さ、もういいだろう。きみと法律論をやるつもりはない。そういう法律ができたんだから、きちんと守ってもらわないとな。そんなことはないと思うが、もしも記事にするようなことがあったらだね、こっちも個人情報保護法を根拠に法的手段をとらせてもらう。忘れないでおきたまえ」
■■■
新聞社やテレビ局への連絡は手間がかかった。あのカネのことを嗅ぎつけていそうな各社の上層部に電話し、また一人ひとりに「客観的事実」云々をくり返したことはもちろんだが、どの社の連中も、五十条第1項の一に「報道機関」が「報道の用に供する」目的で他人の個人情報を取り扱うことは許されている、と理屈っぽいことを言いやがる。そこから先は水掛け論だ。

セレブは攻撃の矛先を変えた。
「ところで、私のところにおたくの読者なのか視聴者なのか、しょっちゅう苦情がきていてね」
「ほう、どんな」
「それがいろいろあるんだ。新聞社の場合は……何だったかな、そうだ、流れ者の販売員がいるらしいな。Y紙の契約を取って歩いていたかと思うと、M紙やA紙の販売局に雇われて、今度はそっちの契約を取ってまわる渡り鳥みたいな連中が。そいつらが一軒一軒、どこの新聞を購読しているかという個人情報を勝手に 使っているらしい。販売員の管理は新聞社本体の責任じゃなかったのかね」

「うちはテレビですから、関係ないでしょ」
「そうかそうか」セレブは笑った。「テレビもなあ、いろいろあるぞ。懸賞に応募したときに書き送った
住所氏名が使いまわされるのか、やたらダイレクトメールが送られてきて気持ちが悪いとか、番組内容がおかしいと電話したときに担当者がメモした紙がゴミ箱に捨てられたらしく、知らない人から電話がかかってくるようになったとかな。こういうのはいくらマスコミでも、『報道の用に供する』個人情報とは言えないなあ」
「それは担当部署によく言っておきます」
「いや、私の方から主務大臣に言って、一度ちゃんと『報告の徴収』なり『命令』を出してもらってもいいんだよ。あれは三十二条から三十四条あたりだったかな。テレビ局なら、担当は総務省だったな。いや、単純な個人情報の不正取り扱いだろうから、わざわざ大臣の手をわずらわせることもない。三十六条の1を使って、国家公安委員会が主務大臣となって、所轄の警察が訪問させてもらうことになるかもしれんがね」
「うちから洩れているとはかぎらないでしょう」
「そうとも。だからまず、警察が『報告の徴収』をさせてもらう。言っておくがね、これを無視すると、不正状態がずっとつづくというわけで、状態犯になる。これは関係者の現行犯逮捕の理由になるということは知っておいた方がいい」

電話口の向こうから聞こえるうめき声を聞きながら、セレブは電話を切った。表現や報道の自由などというやっかいなことを口にしなくても相手を黙らせることができる、何とすばらしい法律だ、とつぶやきながら。
■■■
留学中の行状の悪さが話題になっているというサイトには、セレブは管理者宛の強い調子のメールを送った。

「私に関する噂はたわいのないものとはいえ、政治家としては看過できません。報道関係者でもない書き手が私の了解も得ず、また真偽もたしかめずに書き込むことは、個人情報保護法の二十三条『あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない』に違反していることが明らかであり、即刻削除するよう要求します。サイト管理者がこれに応じない場合は『懲役六月または三十万円以下の罰金』の行政処分を課されることをご覚悟ください」

数時間後、秘書が、先生に関する書き込みは全部消えています、と報告に来た。

セレブは腕組みをし、電話しようかどうか迷っていた。別れたのは一年以上前のことだから、相手の電話番号は忘れてしまっていたが、ケータイのメモリーには入っている。最初にどんな言葉をかけようか。
オンナはなかなか出なかった。液晶画面でかけてきた相手をたしかめ、迷っているのだろう。セレブはいらいらした。
「おれだ」と押し殺した声で言ったとき、彼は強く出るのだと決心していた。「説明しなくてもいい。弁解は聞きたくないんだ」。
「聞いてよ」 なつかしい声がした。「会えないの?」。
「まだ県連の事務所に勤めているのか?」
「そうよ」
「なら、ますます好都合。県連が何千、何万の党員や支持者のリストを保管していることはわかってるな。そこに、私に関する個人情報も入っている。そこで働いているんだから、きみは個人情報取扱事業者の資格十分だ。この法律に第三者提供や目的外使用の制限が決められていることは、知ってるだろう。よけいなことを第三者にしゃべるんじゃない。捕まるのは、私ではなく、きみなんだぜ」
「何を言ってるの? 私が何を……」
「あのことを知ってるのは、きみだけだ、マスコミに洩らすとしたら、きみしかいない」

数瞬、電波が途切れたような沈黙があった。つばを飲み込む気配がして、そのあとでふいに目覚めたようなハッキリした声が聞こえた。
「第三十五条の1。主務大臣は表現の自由などを『妨げてはならない』。同じく2。取材協力や内部告発などについては『その権限を行使しない』。私だって勉強したの」

セレブは笑った。大声で笑った。

「いまわかったよ。私はね、きみのそういう単純さが好きだったんだ。きみが会った記者連中に電話してみるといい。マスコミはもう私の……何というのかね、スキャンダルか、そんなものに関心を持ってないよ。私は直接聞いたんだ。あんなのは『客観的事実』じゃないし、新聞もテレビもね、個人情報の扱いに関しちゃ、いろいろ面倒なことを抱えていて、それどころではないんだってさ」

セレブはまた窓の外に目をやった。明るい日射しに首相官邸が輝いている。電話を切ったとき、その建物に一歩近づいた気がした。五階の東側の執務室。あと七年か八年。そうつぶやいて、あの部屋の主になっている自分の姿をちらっと思い描いた。

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