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占領を拒否する市民的不服従の闘いに支援を
アブドル・アミル・アルレラビ
イラクを占領したアメリカ帝国主義の軍政支配の下で、人民の抵抗が続いている。以下は、フセイン政権の弾圧を逃れてヨーロッパに滞在してきた二人の左翼活動家に、LCR(第四インターナショナル・フランス支部)の機関紙『ルージュ』編集部が行ったインタビューである。
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【編集部】アブドル・アミル・アルレラビは、イラク南部のナッシリアで一九四七年に生れた。一九六七年に共産党を離党し、イラク共産党中央指導部派の結成に参加、一九六八年の南部沼地での武装反乱の指導者になった。一九七五年にイラクを離れ、その後、シリアとレバノンで暮らした後、ヨーロッパにやって来た。イラク民族民主反政府潮流の創設者の一人で、現在はジャーナリストで作家。
われわれはヨーロッパの人々を、その日常からはかけ離れたあまりにも厳しいイラク問題の本質を意識的に無視しているとして非難することができるだろうか?
この十年間、あらゆる種類のフランス企業の列がヨルダンのアンマンとバクダッドをつなぐ道路にあふれた。これら企業の代表は、それぞれ目指すべきものは異なっても実入りのよい優遇的契約を求めて首都のホテルを満たしていた。このカーニバルの周辺では、百五十万人以上の犠牲者を出したイラクに対する禁輸措置の解除を要求する圧力がかけられていた。最近、フランスは、アメリカの戦争推進に反対しようと試みてきた。あるいは少なくとも対イラク戦争を遂行しようとするアメリカの意欲を抑えようとしている。だが、この立場は、ロシアや中国やドイツが支持しているにもかかわらず、遅すぎた覚醒か、個人的な頑固さであるように見えている。
戦争が最終的に勃発し、フランスとその同盟国の対応は効果という点では分りにくいものとなった。国連安全保障理事会でのフランスの立場が、国連とその憲章と第二次世界大戦後から継承されてきた国際的な安全保障上のすべての取決めを清算したいとするアメリカの意志の実行を促進することになったのではないか、と自問してみることは、今日全面的に正当である。これこそ、隠然とではあれ、アメリカが実際に追求しているものであり、これこそ、アメリカの「新世界秩序」という自らの考えに合致する世界の形成を可能にさせているものなのである。これこそ、拒否権の行使という脅しを思いとどまらせているものである。
真の問題は、反アメリカのフランス=ロシア陣営に政治的オルタナティブが欠けていることにある。いまのところ、査察計画の持続しか提起されていないのであって、これは技術的解決策でしかない。フランスにもしその気があったら、直接的な占領政府を通じては実現できない民主主義に向かうもうひとつの道のイニシアティブをとることもできていたであろう。しかも、こうした道こそわれわれが戦争勃発数カ月前に提案したものなのである。それは、「戦争を伴わない変革計画」とイラク社会を構成する勢力全体を代表する「救国政府」、立憲体制と総選挙へと導かれていく「臨時政府」の樹立を訴えている。これは、独裁体制と決別し、戦争を避ける手段であった。
この提案の実践的側面、すなわち、実行可能性があるかどうかという問題は、国際社会の責任に属している。われわれの側は、われわれの政策の中に含まれていたもの、すなわち、中核的担い手である異なるさまざまイラクの勢力の広範な枠組みを形成し、フランス外務省を含むヨーロッパの政治的、外交的レベルでの接触、その存在を公然化すること、を実行しようと試みてきた。
今日、戦争が行われている。現在の状況は明白に、今度は国際法に支えられた新しいイニシアティブの採用を正当化している。フランス、ロシア、中国が、占領の非合法性とそこから生じる結果、すなわち、サダム・フセイン体制の崩壊後にアメリカが樹立しようと目論んでいる軍事政府といった事態に関する、自らの立場を維持するとすれば、われわれの行動は現局面では国際的解決策をもつことになるだろう。なぜなら、われわれは、アメリカの占領に対する全国的抵抗を指導するために、場合によっては亡命政府を結成することになるだろう民族解放委員会の樹立を準備しているからである。
アメリカは既成事実を押しつけることはできない。まさにその反対に、それは毎日、袋小路を作り出している。一大問題は、アメリカのメディアが執拗に訴えているように、占領軍の前進につれて生じる「サダム後」の問題である。それは、現在の軍事作戦の成功を判断する基準のうちの最も厳しいものである。
イラク当局によって組織された米軍に反対する抵抗と市民やイラク軍が支払った犠牲は、交渉による一切の政治解決の扉を閉ざしてしまった。これは、アメリカをしてアメリカ軍政の樹立へと向かわせる。イラクのさまざまな政治勢力が抵抗を準備している。その第一歩は、占領の拒否であり、アメリカの一切の軍政や占領下に樹立される一切の軍政のボイコットである。
この立場は民族抵抗戦線の出現を可能にするだろう。それは、少なくとも最初は、市民的、平和的なものになるだろう。それは、その宗派や道徳的権威に関係なく、宗教界の人々の間に支持を見出すだろう。宗教指導者は、占領軍、アメリカ軍政、占領下に樹立された軍政とのいっさいの関係を禁ずるファトゥー(指示)を出すだろう。南部およびすべての占領地域における自主管理委員会の結成を市民に訴えるアピールが出され、亡命中の反政府勢力がこの抵抗に参加するためにイラクへの帰国を準備するだろう。こうした努力は、国際的キャンペーンに支えられた市民的不服従の組織化へと到達するだろう。
以上が、将来に向けてわれわれが計画しているものである。しかしながら、われわれの立場がそれに値する支持を伴わなければ、いかなる重大な結果を得ることもできないだろう。なぜなら、それは国際的大義を代表しており、人類史の現局面に対応したものだからである。この大義は、ヨーロッパや世界の国家だけでなく、その精神、反グローバリゼーションと反戦のすべての運動を揺り動かすものである。
ヨーロッパの人々はわれわれを崩壊するがままに放置して、自身を裏切るのだろうか? われわれには自ら絶望しているぜいたくは許されない!(「ルージュ」03年4月10日号)
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アメリカにも国連にも新政府を樹立する正当性はない
イラク・フォーラム議長ワタビ・アル・サーディに聞く
イラク革命派のかつての活動家で、一九六八年のバース党のクーデター後にフランスに亡命したワタビ・アル・サーディは、一九九〇年のイラク・フォーラムの創設者の一人であり、現在その議長を務めている。
――あなたはどのような状況でイラクを離れたのですか?
私はこの体制の最初の政治犯だった。バース党と軍情報局長のアブドゥラ・ラザク・アル・ナイス将軍によって組織されたクーデターの最初の日、一九六八年七月十七日から逮捕されることになった。将軍は、その当時CIAの人間だったのだ。私は革命派の政党に属しており、われわれは、一九六七年の大学の選挙の時に、バース党とサダムから襲撃された。連中も私と同じ大学に通っていたのだ。
私は、バース党が自らの同盟者であるラザク・アル・ナイス首相に対して起こした二回目のクーデターの後の一九六八年七月三十日に釈放された。その後たちまち、私の友人の多くが、逮捕され、殺害され、拷問を受けるようになった。
一九六二年に、われわれは革命的プロレタリア機構を結成した。一九六八年、イラク共産党内で親ソ派と革命派との分裂が起こった。われわれは後者の潮流と合同し、革命的共産党を結成した。われわれは、他の小さな組織とともに、最初の弾圧の波の犠牲となった。他方、親ソ派のイラク共産党は、一九七三年から一九七八年までバース党の政権に参加した。一九七八年、この派は政権から追い出され、その後、アラブ民族主義派やクルド諸政党やイスラム派とともに、苛酷な弾圧の犠牲者になった。
――イラク・フォーラムの立場はどのようなものなのでしょう?
われわれは、二回の湾岸戦争にも、わが国に押し付けられている禁輸措置にも反対である。われわれは、イラクにおける民主主義と人権の尊重のために闘っている。
一九九一年のときと同様に、われわれはただちに戦争反対の立場をとった。われわれは、独自の行動を発展させつつも、戦争に反対する共闘に参加している。
――サダム・フセイン政権の崩壊に対してあなたはどのような感情を抱いていますか?
いくつかの感情が入り交じっている。われわれはこの戦争を非難しているが、政権崩壊の時に安堵感を覚えたのは明らかである。それでもやはりこの国が軍事的に占領されていることに変わりはない。アメリカは、たとえばモスルで見られたように、イラク人民の反感の最小限の表現さえ流血のもとに弾圧している。
略奪について言えば、それは、まず旧体制に対する民衆の怒りの表現であると同時に、十二年間の禁輸措置を経験してきた人々の貧しさの表現でもある。だが、同時に、そこには米英軍の実際の操作もある。この軍隊は石油省を保護しているが、ドイツ大使館やフランス文化センターへの略奪に対しては十分に寛大である。博物館への略奪は組織されたものである。それは興奮した群衆の仕業ではなかった。さらに、ブッシュの文化顧問は、少なくとも現場で米軍が共謀しているのではないかとの疑いを抱いたので、辞任した。
人道面では、状況は、禁輸措置と政権の政策のせいで戦争前からすでに危機的であったが、戦争が始まって以降、それは耐え難いものとなっている。このことは、今日、優先課題であるばかりでなく、さらに占領軍の責務でもある。だが、この軍隊は二週間、この責務を重んじていない。
――アメリカが、あるいは国連すら、新政府を樹立するというのは、正当ですか?
アメリカも国連もそのような正当性をもっていない。自らの運命を決定するのはイラク人民である。自由選挙を組織する前に、臨時政府が樹立される過渡期が存在するだろうということは明白だ。この臨時政府は、再建の契約や経済協定を含めて事態を管理しなければならない。この政府は、この国を民主主義の軌道に乗せるために真の法治国家であることを保証する政策を実施しなければならない。この政府はこの国の主要な政治的勢力を代表しなければならない。今日、三つの主要潮流とは、進歩的左翼潮流、アラブまたはクルドの民族主義潮流、イスラム派潮流である。
アメリカの占領に対するイラク民衆の包括的で全般的な反対が存在している。西側の報道機関は、自分たちがその代表にしたいと考えているシーア派イスラム潮流のような勢力のデモやスローガンだけを強調してきた。圧倒的多数派であるシーア派の間では、特に最貧層の間には、同時に左翼の運動への支持者も見出せる。これは、人民が発言手段をもっていることを示す非常に有望な情勢である。
イラク民衆を代表するこれらすべての勢力は、過渡期においてこの国の指導に対するオルタナティブを提案するために、バグダッドでの大会議の開催について討論している。この会議は、民主的変革の条件を作り出すという任務をもつ臨時政府樹立への道を切り開かなければならない。
これは、とても完全とは言い難いが、この国の将来に関する国民的和解の基盤となり得るだろう。民族主義派と左翼は、長い間、民主的な立場を保持し、民主的な経験を積んで来た。イスラム派が民主的勢力であると言うのは間違っているが、世界のイスラム派の圧倒的多数とは反対に、イラクではイスラム派が、民主主義を解決策として受け入れて来た。特に、教育を受ける権利、働く権利、民主的代表制の権利、女性の政治的・芸術的・文化的表現を保証する必要性については、そうである。たとえば、遺産相続問題は、この問題がコーランできわめて具体的に解決されている限りにおいて、制限を受ける。事態がどう進展するかは今後の問題だが、当面、主要潮流がすべて、イスラム体制を導入する意図はないと宣言している。
聞き手はポリーヌ・テルミニエール(「ルージュ」(03年4月24日)
http://www.jrcl.net/web/frame0362a.html