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日本政府の説明によると、いわゆる「有事」とは「外部からの武力攻撃を受ける事態」だという。「有事」というあいまいな言葉を使って、国家が外部からの武力攻撃を受ける事態の代名詞とする背景には、戦後の政治史に原因があり、日本の政治家が口にはしにくい戦略や計算が含まれている。
21世紀に入って、日本政府は米中枢同時テロ事件後に現れた米国の反テロの動き、朝鮮の核問題などを利用して国家の安全の危機だと誇張。周辺事態法など1990年代に成立した一連の安全保障に関する法律に続いて、再び軍事力拡大の歩みを加速している。残念なのは、冷戦終結後の革新政党の衰退、国民の保守的思考の強まりにより、平和憲法に公然と背く「有事立法」が意外にも社会に受け入れられていることだ。保守派の議員たちはついに憲法の約束を迂回して、想い焦がれた軍拡の夢を実現した。
「有事法制」の衆議院通過はまた、今日の政党政治のいくつかの特徴を反映している。政治学の一般原理から言えば、同じ階級的立場や政治信条を持つ保守政党であっても、政権を奪取するために異なった綱領、政策を打ち出すものだ。「55年体制」崩壊後、野党の国会対策としては、自民党など政権政党が提出した法案に連携して反対し、政権交代に向け努力したものだ。ところが今回、野党である民主党、自由党は自民党に抱き込まれ、かつての「正しい法にも必ず反対する」という方法を放棄。国会で新旧の保守政党が連携して革新勢力を押しつぶす「特例」を作り、日本の国家発展の道を選ぶ上の危険性を増大した。
警戒すべきは、「有事法制」の確立により、日本が「集団的自衛権」を持てるようになったことだけでなく、東南アジア地域も今後、新たな安全保障上の潜在的危機に直面するということだ。日本の好戦派の政治家の眼中にあるいわゆる「有事」には、すでに指摘した「武力攻撃を受ける」だけでなく、「事態が切迫し、攻撃を受ける局面が予想される」、「攻撃される危険がある」などもすべて入っている。このため、日本が事態に対する自身の予測と判断により、「専守防衛」の原則を破り、「潜在的脅威」を取り除くための先制攻撃することが可能となる。こうした「防衛論理」は明らかに「国連憲章」の主旨に反するだけでなく、暴力には暴力で応じ、恨みを抱いて報復し合うという悪循環をもたらしかねない。
軍事大国化を追い求める日本の戦略のこれまでの経緯は長く、世界の一極を目指すと遠大な目標からいえば、今日の「有事立法」は1つの「段階的任務」に過ぎない。明日の日本がどこへ向かうかは、人々の関心の焦点となっている。
歴史の悲劇により、人々は日本が平和発展の道を歩み、複雑で変化の多い現在の国際環境の中でプラスの役割を果たすことを望んでいる。アジアの人々がかつて流した血の教訓に報いるためにも。
「人民網日本語版」2003年5月27日
http://j.people.ne.jp/2003/05/27/jp20030527_29226.html