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新帝国主義
http://www.diplo.jp/articles03/0305.html
イニャシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet)
ル・モンド・ディプロマティーク編集総長
訳・北浦春香
原文
「イラクにとって記念すべき日だ!」爆撃と略奪を受けたバグダッドに乗り込んだ米国人将校、ジェイ・ガーナーはこう宣言した。それはまるで、彼の厳かなる登場によって、かつてのメソポタミアの地を痛めつけた幾多の災いが、魔法のように終わりを告げるとでも言うかのようだった。この失敬な発言にもまして、さらに驚きを禁じ得ないのは、この「米国の総督」とでも呼ぶべき人物の着任を報じた主要メディアの現状容認的、かつ無感覚な姿勢である。まるで、国際法などもはや存在しないかのように。委任統治(1)の時代に舞い戻ったかのように。そして、米国政府が自国の高級将校(しかも退役軍人)を、主権国家の統治者として任命することまでもが、すっかり普通のことであるかのように。
敗戦国を管理するのに高級将校を任命するという米国の決定は、「同盟」内の影の薄いメンバーへの相談さえなしに下された。これは不愉快にも、植民地帝国時代の古いやり方を思い起こさせる。インドを統治したクライヴ、南アフリカを取り仕切ったキッチナー卿、あるいはモロッコを任されたリョーテの名を思い浮かべずにはいられない。こうした乱行は政治の道義と歴史によって永遠に葬り去られたはずではなかったのか。
それはまったく無関係の話であり、「イラクの体制移行」は、むしろ1945年以降の日本におけるダグラス・マッカーサーの経験にたとえるべきだと人は言う。
それこそ、いっそう憂慮すべき事態ではないか。米国が、敗戦した対抗国の管理にあたる将校の任命を決定するに至るには、広島と長崎の原爆による破壊という生き地獄が必要とされたのではなかったか。これは、国際連合がまだ機能していなかった時代の話だ
しかし今では、国際連合が存在する。少なくとも理論的には(2)。米軍(とそれを援護した英軍)のイラク侵攻によって、第三次ないし第四次世界戦争が完結したわけではまったくない。ジョージ・W・ブッシュ大統領とその側近が、2001年9月11日のテロを世界的な紛争に値するものだと考えるのをやめない限りは。
ガーナ−は今回の占領が永遠に続くわけではないとほのめかし、「我々は必要な限り留まり、できるだけ早く退去する」と述べてはいる(3)。しかし、その「必要な限り」が長引きかねないことは、歴史の教える通りである。1898年、米国は、フィリピンとプエルトリコの領土と住民を植民地支配のくびきから「解放する」という利他主義的な大義名分を掲げ、これらの国に侵攻すると、すぐさま旧来の支配勢力にとってかわった。フィリピンでは民族主義的な抵抗勢力の弾圧を行い、立ち去ったのはようやく1946年になってからである。そ の後も、新生国の内政に介入を続け、大統領選挙が行われる度に自国の意に沿った候補を支持してきた。その中には、1965年から86年まで政権の座にいすわり続けた独裁者フェルディナンド・マルコスも含まれている。そして、米国は今もプエルトリコの占領を続けている。日本やドイツにさえ、戦争終結から58年経った現在もなお、大規模な駐留米軍が置かれている。
ガーナーと450名の行政官がバグダッド入りする光景を見れば、米国はこの新帝国主義段階において、ルドヤード・キプリングが「白人の責務」と呼んだものを担おうとしているのだと考えざるを得ない。あるいは、すでに1918年の時点で、「近代世界という格別に困難な状況下で自ら身を処していくこと」ができない人々に対する「文明化という神聖なる使命」と列強が語っていたものを(4)。
米国の新帝国主義は、道義的支配というローマ的な発想の再来であり、自由貿易、グローバリゼーション、そして西洋文明の伝播が誰にとってもよいものだという信念に支えられている。それはまた、多かれ少なかれ劣っているとされる人々に対し、軍事力とメディアを通じて及ぼされる支配でもあるのだ(5)。
米国は忌まわしい独裁体制を転覆させた後、イラクに模範的な民主体制を打ち立てると約束した。そして、新たな帝国の後押しのもと、この新体制のすばらしい影響により、中東地域の専制政権はことごとく崩壊するだろうという。ブッシュ大統領とも親しい元CIA長官ジ ェ−ムズ・ウールジーは、その中にはサウジアラビアとエジプトが含まれるとはっきり述べ ている(6)。
このような約束に信憑性があるものだろうか。明らかにない。国防長官ドナルド・ラムズフェルドは、早くも告げている。「米国政府は、たとえそれがイラク国民の多数派の願いであり、投票の結果を反映したものであったとしても、イスラム政体をイラク国家として承認することはない(7)」と。ここには歴史の古い教訓が表れている。帝国は、敗北者に自らの法を課す。
しかし、歴史にはもう一つの教訓がある。帝国によって生きる者はまたそれによって滅び
るのである。
(1) 第一次世界大戦の終結時に考え出された「委任統治」体制は、「保護国」体制にとってかわるものである。米国大統領ウッドロー・ウィルソンは、「保護国」という用語が植民地主義的にすぎると考えたのである。
(2) リチャード・パールなど米国の最も熱狂的な「タカ派」の中に、既にその「失墜」を宣言している者がいるとしても。2003年4月11日付フィガロ紙参照。
(3) 2003年4月22日付エル・パイス紙(マドリード)。
(4) イヴ・ラコスト『地政学辞典』(フラマリオン社、パリ、1993年)964ページ参照。
(5) この点に関しては、イラク戦争に反対したフランスおよびドイツの姿勢により、アラブ民衆の目にこの戦争が「文明の衝突」と映ることを避けられた。
(6) 2003年4月8日付インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(パリ)。
(7) 上述エル・パイス紙。