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「神殿の丘」をユダヤ教徒に解禁へ…イスラエル警察
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20030516id01.htm
【エルサレム=当間敏雄】イスラエルのハネグビ警察相は同国国会で14日、イスラム教徒が管理するエルサレム旧市街のユダヤ、イスラム両教の聖地「神殿の丘(イスラム呼称はハラム・アッシャリフ)」へのユダヤ教徒の立ち入り許可を、再開する方針を明らかにした。
同国の治安当局は2000年秋の紛争激化以来、ユダヤ教徒の訪問を禁じてきたが、立ち入りが再開された場合、宗教的対立感情に再び火がつき、武力衝突の一層の激化につながる懸念も高い。
同警察相は「神殿の丘で(ユダヤ教徒が)祈ることのできない状況が、長期間続くことに甘んじるわけにはいかない。(イスラム教徒側との)合意が得られなくてもすべての宗教の信者に開放されるべきだ」と明言、聖地を管理するワクフ(イスラム教徒聖地管理委員会)との合意がない場合でも、一方的に訪問を解禁する意向を示した。
パウエル米国務長官が11日、シャロン・イスラエル首相、アッバス・パレスチナ自治政府首相と個別会談して新和平案「ロードマップ」の早期履行開始を要請するなど、和平再生への微妙な時期に差しかかっており、警察相の新方針は、この動きを阻害しかねない。
そもそも、2年半以上に及ぶイスラエル・パレスチナの武力衝突は、2000年9月末の同聖地を巡る騒乱が発端だ。当時野党だった右派リクードのシャロン党首(現首相)がイスラエルの主権誇示のため治安要員と聖地訪問を強行、騒乱に発展した経緯がある。
ただ、当地報道では、警察相の発言はシャロン首相との事前調整なしに行われたとされ、同首相の真意や実際の再開時期は不明だ。 1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領、併合したイスラエルは、宗教対立を避けるため神殿の丘をイスラム教徒の管理とし、騒乱前は双方の個人的訪問が認められていた。
(2003/5/16/09:56 読売新聞 無断転載禁止)
※ 神殿の丘 ※
ユダヤ教、委すら苦境共通の聖地。丘の上に預言者ムハンマド昇天の地「岩のドーム」がある。丘の西側の壁は、古代ユダヤ王国の神殿跡で、ユダヤ教至聖の地「嘆きの壁」。1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領、併合したイスラエルは、宗教対立を避けるため神殿の丘をイスラム教徒の管理としていた。