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【転載記事の出典】
MYCOM PC MAIL 2003. 5.15 No.1346
[13] 東京バイツ 第128回 執筆=福冨忠和
マイケル・ムーア作品の読み方、そして日本で知られていない理由の推測
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2003/05/14/03.html
【ここから転載開始】
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●COLUMN [13] 東京バイツ 第128回 執筆=福冨忠和
マイケル・ムーア作品の読み方、そして日本で知られていない理由の推測
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前号のマイケル・ムーア資料編
( http://pcweb.mycom.co.jp/column/bytes/bytes127.html )は、ただの資料だけ
の内容だったのに、友人・知人を中心にそれなりの反響があった。『ボーリング・
フォー・コロンバイン』( http://www.gaga.ne.jp/bowling/ )が話題となっている
故だろうけど、せっかくなのでもう少し書いておこうと思う。
『ボーリング・フォー・コロンバイン』はコロンバイン高校での銃乱射事件とNRA
(全米ライフル協会)の動向を通して、銃社会であるアメリカをムーア独自のスタイ
ルで描いた作品だ。銃の問題をテーマにしたドキュメントということでは、1994年
ルイジアナ州で日本人留学生が射殺された事件を中心に銃社会の問題を描いた『世
界に轟いた銃声』(クリスティン・チョイ 1997年)があり、一部映画館で上映され
ている。なにしろ米国の日本人留学生で92年から95年までに射殺された人だけで5
人にもなり(板東弘美・服部美恵子『海をこえて 銃をこえて - 留学生・服部剛丈
の遺したもの』風媒社 1996年)、この問題は他国の話だとすましていられない。も
し関心があれば、こちらの映画や前回挙げた本などに触れてみて欲しい。
ところで、『ボーリング・フォー・コロンバイン』にアカデミー賞を受賞させてい
るのは、「銃」という米国の病巣とも言える部分を描いたこともあるが、それだけ
ではないと思う。『スターウォーズ』などのフィクションと同じ「映画」であるに
もかかわらず、ドキュメンタリーという分野は、映画批評では「テーマがよかった」
「着眼点がよかった」という程度の評価にとどまってしまう。しかしドキュメンタ
リーほど作家の資質が作品に影響する分野も無いのではないか。たとえばムーア監
督が尊敬しているという原一男監督は、神軍平等兵こと奥崎謙三という特異な人物
のドキュメント『ゆきゆきて、神軍』(疾走プロダクション 1987年)が評価された
が、作家・原一男本人のすごさはいまひとつ理解されなかったように思う。しかし
原氏の他の監督作品、『極私的エロス 恋歌1974』(1974年)、『全身小説家』(1994
年)などを観ると、『ゆきゆきて』もまたこの作家だから可能だった映像作品だっ
たことに気付く。
マイケル・ムーアについても同じなのだ。『ボーリング・フォー・コロンバイン』
については「いつも同じムーア映画」という批評もあるくらいで、最初の作品『ロ
ジャー&ミー(Roger & Me)』(1989年)から手法はそんなに変わらない。テーマに即
した過去の非常に多くの映像資料やデータを細かく編集し、それに自分自身での突
撃取材を組み合わせて、大きな物語、問題の存在を浮き彫りにしていく。本人が
「お笑い」ノリなので観客はさほど気づかないが、これらの取材はいろいろな意味
で「命がけ」だ。
過去映像の収集・編集という方法は、ムーアに映画作りを教えたというブッシュ大
統領の従兄弟・ケヴィン・ラファティらが作った『アトミックカフェ(The Atomic
Cafe)』(ジェイン・ローダー、ピアース・ラファティとの共同制作 1982年)直伝の
手法と言えるだろう(ラファティ、ムーアの関係については『アホでマヌケなアメ
リカ白人』(松田和也・訳 柏書房 2002年)を参照)。『アトミックカフェ』は核開
発から冷戦期までのアメリカの核、原子力のプロパガンダ映像やニュース他の関連
映像を編集して、アメリカ人がいかに核について無知で無謀だったかを浮き彫りに
したもの。タイトルは同時期に実在した飲食店の名によっている。
資料+突撃+お笑いによるムーア作品、その後TV番組『TV Nation』『The Awful
Truth』では主にその突撃取材ぶりに磨きをかけ、『コロンバイン』に結実。かた
やコメディ作家としての資質はジョン・キャンディ主演のフィクション『カナディ
アンベーコン(Canadian Bacon)』(1995年)という形でも展開されている。この作品
は冷戦以降侵略先を失った米国が、軍需産業の陰謀でこともあろう隣国カナダに戦
争をしかけるというハチャメチャなものだ。
すべて紹介することはできないけれど、少しだけ重要なポイントを書いておこう。
『コロンバイン』は、NRAを批判した映画ということでは、米国内では極めて政治
的な意味合いがある作品だ。ムーア一流のお笑いで、ストレートな反感を避けてい
るけれど、NRAは430万人の会員を抱く現在の共和党政権の重要な票田でもある。日
本人留学生の事件後クリントン政権が銃規制を打ち出したとき、強固な反クリント
ンキャンペーンを展開したのもこの団体なのだ。だから、現政権下でこの作品を
作ったムーア、さらにイラク戦争中に賞を与えたアカデミー委員会ふくめ、ちょっ
とした事件だと考えるべきだ。
ただ、逆に言えば、『コロンバイン』、は、銃の問題という幾分遠い話でもあり、
ムーア作品の中ではもっとも日本で公開しやすい内容だったことも確かだ。『ロ
ジャー&ミー』や『ビッグワン(The Big One)』(1998年)など他の映画作品では、最
初のものはGM、後者では大幅なリストラなどによって収益を上げたナイキほか米国
の大企業を直接やり玉にあげた作品で、日本ブランチがあるこれらの会社の存在と、
一種「会社人間社会」である日本の状況では、公開は簡単ではないかもしれない。
TV番組のほうでの企業批判はもっと過激であったため、最初の『TV Nation』はNBC
からフォックスへとネットワーク放送が移行した末、さらに高視聴率にもかかわら
ず打ち切りとなり、インディペンデントなチャンネル4などでの『The Awful Truth』
に受け継がれた経緯がある。『ロジャー&ミー』の段階ですでに評価が高く、TV番
組の評判も極めて高かったマイケル・ムーアが、傑作とはいえ、『コロンバイン』
でほとんど本邦初お目見えという状態なのは、日本映画界とか放送業界のスポン
サーしがらみ状態が影響しているのではないかと推測している。
福冨忠和(Tadakazu Fukutomi)
vwyz@jca.apc.org
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http://pcweb.mycom.co.jp/column/bytes.html
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【ここで転載おわり】