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対ゲリラ作戦・クーデター・強制
ラテンアメリカにおける帝国の歴史
ダグ・ストークス
2003年4月2日
ZNet原文
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
ラテンアメリカにおける米国政策についての通常の理解では、米国は、防衛的・対応的な立場に立っていたということになっている。冷戦時代の米国の基本戦略は「封じ込めドクトリン」であると一般に理解されており、これは、ソビエト帝国の拡大を阻止し巻き返すことを目的としていたとされている。冷戦の最後の10年だけをとってみても、ニカラグアのコントラとエルサルバドル政府に対して大規模な軍事援助が提供され、その正当化として、ソ連という「悪の帝国」に対する巻き返しの必要性が説かれていた。米国大統領ロナルド・レーガンは次のように述べている。「我々米国自身の国境の安全は、[中米に]どんな社会が存在するかにかかっている。改善を求める不完全な民主社会か、拡大を求める共産主義独裁社会かである」[1]。
第三世界におけるソ連の侵略と称するものに対する対抗と巻き返しと言われるものの中で、米国は、しばしば、秘密戦争と政府の不安定化工作を行ってきた。米国はまた、ソ連の支援を受けたゲリラ活動と言われるものに対する堡塁として、ラテンアメリカ中に多くの親米独裁を据えたり支援したりしてきた[2]。米国が支援したこうした政権は、ほとんどが反民主的で人権侵害を犯すものであったが、ソ連体制が権力を掌握した場合に米国と世界に対してもたらされる負の結果を避けるために、こうした政策は必要であるとされてきた。保守的な「現実主義」的学者たちは、それは不幸なことであるが、ソ連製共産主義が世界中に広まるのを阻止するために必要な政策であると論じた[3]。進歩的な学者たちは、ときに、米国の恐怖は誇張されていると述べた。政策手段を巡る保守派と進歩派の間の見解の相違は、政策目標を巡っての相違には至らなかった。どちらも、米国がそうした目標を達成する固有の権利を有しており、そして冷戦下の米国海外政策は善良なものであるという点では一致していたのである。
けれども、こうした図式は、ラテンアメリカのリアリティとはかけ離れている。プロパガンダとは異なり、ソ連の拡大は、米国の政策立案者たちにとって、ほとんど周辺的な関心事でしかなかった。この重要な点を示すためには、政府内部の政策計画記録を検討する必要がある。
米国が、ソ連の拡張主義に対する対策と称して最初にラテンアメリカに介入したのは、1954年のグアテマラのクーデターを米国が支援したときである[ラテンアメリカに対する米国の介入は、はるか昔に遡る。ソ連の拡張を正当化に使った最初の介入が1954年]。このクーデターで、米国は、民主的に選ばれたハコボ・アルベンス政権を転覆した。アイゼンハワー大統領はアルベンス政権を「共産主義独裁」と非難し、「すべての米州諸国を害するために米大陸にもうけられた」前哨地点であると述べた。国務長官ジョン・ダラスは、アルベンス政権下で、グアテマラの人々は「共産主義型のテロリズム」のもとでの生活を強いられていると述べた[4]。けれども、こうした宣言とはまったく逆に、ソ連はグアテマラに外交代表部を設けておらず、軍事援助も提供していなかった。アルベンスの連立政権は、幅広い政治的立場を含んでおり、連立政権が占めた合計51の議席のうち共産主義グアテマラ労働党は最小の政党でその議席は4議席にすぎなかった[5]。アルベンスが行なったのは、不耕作地を数十万人の土地なし小農民に分配すること、また、労働組合の合法化や基本的な成人識字キャンペーンを含む社会改革である。アルベンスの経済政策は、国を中心とした資本主義であり、将来的に海外企業と競争できるようなグアテマラの産業育成を目標とする混合経済であった。
こうした穏健なグアテマラの国内改革は、米国の利益に対するあからさまな脅威と見なされた。1953年に、汎米問題局のチャールズ・R・ブローズは、グアテマラの経済改革は、近隣諸国に対して代替の開発モデルを提供していることにより、米国の利益を脅かしていると論じた。彼は次のように述べている。「グアテマラはホンジュラスとエルサルバドルの安定に対するますます大きな脅威となった。グアテマラの農業改革は、強力なプロパガンダ兵器となっている。上流階級と海外企業に対する闘いの中で得られた、労働者と農民を補助するグアテマラの広範な社会プログラムは、同様の状況が広まる中米の近隣諸国の人々にとって強くアピールするものである」[6]。貧困層と疎外された人々を支援することは、ラテンアメリカでは危険な先例と見なされた。そのため、1954年、アルベンス政権は、米国の後ろ盾によるクーデターで転覆されたのである。このクーデターによりグアテマラの民主主義は終焉を迎え、その後の40年間続いた米国が支援する独裁政権は、10万人以上のグアテマラ人を殺害してきた。1980年代、米国の全面的な支援により行われたグアテマラ政府による市民の殺害について、国連は、ジェノサイドの規模に達していると結論した[7]。チリでも、同様の記録が見られる。
1970年、チリで、サルバドール・アジェンデ大統領が選出された。米国の内部政策立案文書記録によれば、米国政策立案者たちは、チリがソ連と同盟するかどうかについては特に心配していなかったことがわかる。1970年11月6日に召集された米国国家安全保障会議で、米国大統領リチャード・ニクソンは次のように宣言した。「アジェンデがロシアや中国の助けを借りることができるなら、そうすればよい。けれども、我々はチリが我々の助けを借りることは望まない。実際のものでも見かけ上のものでも」。彼はさらに続けて、米国が主に心配しているのは、「彼[アジェンデ]が自分の立場を教化し、世界に示される図式が彼の成功を示すことである・・・」と述べている。「もし南米の指導者に、チリと同じようにやることができ、利益だけを得ることができると考えるならば、我々はトラブルを抱えることになる」。さらに彼は次のように続けている。「こうした状況を処罰なしにやり遂げることができるなどという印象をラテンアメリカに与えてはならない。このようにすれば安全だと思わせてはならない」。ニクソンは、米国によるアジェンデ政権転覆について説明している。「この問題について、軍事関係に訴えたいと思っている。もっと資金を注ぎ込め。経済的には、アジェンデに経済的な断絶を行いたい。EXIM[米国輸出入銀行]と国際社会が締め付けを強化するようにしろ」。米国国務長官ウィリアム・ロジャースは、米国の「軍はチリの軍と連絡を取り、チリでの米国の立場を強化するようすべきである」と述べた[8]。アジェンデは1973年9月11日にクーデターで追放され、米国が支援する独裁体制が、アウグスト・ピノチェト将軍のもとで確立された。
米国がラテンアメリカにおけるソ連の拡張主義に突き動かされているという主張を擁護するために最も頻繁に持ち出される二つの国はキューバとニカラグアである。それでは、これら二国の例はどのようなものだろうか。キューバでも、革命後のキューバに対する米国の敵意は、キューバの国内政策により引き起こされたものであり、のちにキューバがソ連と同盟関係になったことにではない[9]。キューバ経済は、米国市場に対する砂糖の輸出に決定的に依存していた。米国は、キューバのこの依存を、キューバの国内改革を押し戻すための交渉材料の要として利用しようとした。その結果、そして米国に対する砂糖輸出の割り当てがカットされるという差し迫った脅威の中で、キューバ政府はソ連との貿易協定に署名し、砂糖と石油とのバーター取引を始めた。米国が所有する石油精製工場は、米国政府の奨励のもとで、エネルギー依存性の高かったキューバ経済に決定的に重要だったソ連製の原油の精製を拒否した。さらに、米国のキューバ産砂糖買い入れが完全にカットされるという恐れの中で、キューバは米国所有の大規模な精製工場の多くを国有化した。それにより、米国は、キューバ産砂糖の購入を完全に取りやめた。そこで、ソ連は、キューバの余剰砂糖の購入増大によりこの間隙を埋める提案を行なった。つまり、米国は革命後のキューバを経済的に絞殺しようとし、それを受けて、キューバがソ連と何らかの同盟関係を結ぶことになったのである。すなわち、米国は、キューバがソ連の腕の中に入っていくことの手助けをしたのである。それ以外に、キューバ経済が生き延びる方法はなかった。こうした一連の米国による挑発は、キューバに対するますます強まる軍事介入の脅しと、ケネディ政権下での好戦的な態度の中で続けられ、米国が後押ししたプラヤ・ヒロン[ピッグズ湾]侵略で最高潮に達した。
同様に、1979年に米国に支援された独裁者アナスタシオ・ソモサを打倒した革命の後、左派サンディニスタ政権は、米国との間に良好な関係を維持しようと試みた。キューバはニカラグアに対して、米国との強力な外交・経済関係を維持するよう奨励した。「小国は・・・米国に反対するという贅沢を手にすることはできない」と認識していたためである[10]。メキシコは1984年に5億ドルを提供するなど、ニカラグアの最大の支援国であった[11]。西欧諸国は2億8290万ドルの支援を提供し、国連や世銀といった多国間貸付機関は、6億3220万ドルを1984年までに貸し付けた[12]。米国国務省向けに準備された報告は、次のように結論している。「西欧諸国と国連機関による援助は・・・大規模で決定的に重要である。さらに、ソ連が第三世界諸国に提供している援助全体から考えると、モスクワのニカラグアに対する肩入れはささやかなものである」[13](東側の援助は合計で、1984年までに6億560万ドルで、24.2%を占めるだけであった)。けれども、米国が貸し付け諸国と多国籍貸付機関に対して圧力をかけたため、ニカラグアのソ連依存は増大した。例えば、1985年にニカラグア政府は、汎米開発銀行に対し、私営部門農業開発のために1億ドルの貸付請求を出している。この請求が提出されたのちに、当時の米国国務長官ジョージ・シュルツは汎米開発銀行に手紙を出している。この手紙は、この貸付がなされるならば、同銀行に対する米国の支援を取り下げると脅している。汎米開発銀行のある上級職員は、後に、「私は過去4年間に行われたような政治的圧力が汎米開発銀行にかけられたことをこれまで見たことがなかった」と述べた[14]。
こうした米国の敵意にもかかわらず、ニカラグアは印象的な国内改革を追求した。1982年、世界保健機構はニカラグアに対し、「第三世界の中で公共保健部門における最も大きな達成をした」として賞を与え、その2年後には、ユネスコがニカラグアが1980年に行った識字キャンペーンに対して賞を与えている。この識字キャンペーンにより、成人の非識字率は50%から15%にまで低下した[15]。人権団体アメリカズ・ウォッチの1985年の報告では、ニカラグアでは政府による人権侵害はほとんどなくなったと報告している(その一方で、エルサルバドルでは、米国の支援に対応して指数関数的に人権侵害が増加した)。この報告は、さらに、「ニカラグアでは失踪や超法規的処刑、拷問などの、エルサルバドルのような[米国と]「友好的」な部隊が体系的に行っているような行為が体系的になされることはない」と述べている[16]。
米国の冷戦下におけるラテンアメリカ介入に関するこうした経験的な諸例から我々はどんな結論に到達するであろうか。第一に、これまで米国の政策として提示されていた図式は、現実と照らして維持できないことである。米国によるソ連封じ込めの試みを最もはっきりと示すとされていた2つの国、キューバとニカラグアの例では、いずれの国も、米国との良好な関係を持とうと試みた。これらの国に対する米国の敵意は、ソ連との同盟関係が結ばれる以前に、これらの国に向けられていたのである。軍事介入を含む米国の敵意は、標的国の国内的な改革により向けられた。こうした改革が、米国の経済利益に対する脅威と見なされ、また、他の発展途上国に対して「良い例」を示すために脅威となると見なされたからである。第二に、ソ連の膨張主義というのが、米国政策立案者が公に宣言した主な脅威であったが、上で見たように、内部記録は、米国政府の主な関心がまったく別のところにあったことを示している。米国政府が公に発表した関心事(ソ連の封じ込め)と実際の利害関係(独立した発展可能性の破壊)との乖離から、「ソ連の膨張主義」が、米国の市民をおびえさせて米国の政策を支持させるようにするためのプロパガンダとして使われていたことがわかる。第三に、開発途上国全般に対して向けられた米国の冷戦下政策は何百万人もの犠牲者を生み出したが、これは、超大国の競争の中で米国がラテンアメリカで親西洋独裁政権を支持することが必要な政策であったという正当化のもとでなされた。しかしながら、上で述べたような事情は、この正当化の理由に疑問を呈している。実際には、開発途上国で何百万人もの人々を犠牲にしたのは、米国の利益をあからさまに追求する過程においてであり、これまで言われてきた冷戦下の政策という理由付けは、この事実を曖昧にするために用いられてきたのである。最後に、そして今日の世界秩序にとって最も重要なことは、冷戦下で見られたような米国と開発途上国との関係は、ほとんど今日もそのままであることである。すなわち、米国は今や民主主義と開発を促しているという主張とは逆に、ラテンアメリカに対する米国の冷戦後の政策は、冷戦下の政策と大きな連続性を有している。米国政策の目的は、以前と同様に、心事ゆう主義の国際経済秩序を維持し防衛し、その秩序に敵対すると見なされる社会的運動を破壊することにある。米国の冷戦政策と冷戦後の政策の継続性については、米国の実際の利益に対して最も直接的な脅威となる国において、はっきりと目にすることができる。現代ラテンアメリカでは、それは、武装ゲリラが活動を続けるコロンビアと、大規模な石油資源を擁するベネスエラである。
米軍南方軍司令部の総司令官ピーター・ペース将軍は、南米における米国の冷戦後政策を導く3つの決定的に重要な米国の国家的利益について語ったとき、こうした関心事を、はっきりと明らかにしている。第一の国家利益は、「米国南方軍の責任地域における戦略的国家資源に対する妨害のないアクセスを今後も保証すること」である。ペースは、米国に対するコロンビアとベネスエラの石油資源の重要性を述べ、米国が石油を「完全に中東に依存している」という「よくある誤り」を指摘し、実際には、「どの月においても、ベネスエラ産石油が米国の石油輸入の15%から19%を占めている」と述べている。ペースはさらに、「コロンビアの内戦は地域の安定に対する直接の脅威となっており」、「コロンビアのゲリラ活動が国境地帯で活動するために」、「ベネスエラとエクアドル、パナマ」の3国が「不安定化に対してもっとも脆弱である」と述べている。ペースは、第二の決定的利益について、「米国南方軍司令部の責任地域における市場へのアクセス」を安定的に提供するためのラテンアメリカにおける親米政権の維持を述べている。市場へのアクセスは「米国の経済的拡大と繁栄の継続にとって決定的に重要である」。第三の決定的に重要な利害は、米国による航行の自由であり、とりわけ、「パナマ運河への邪魔のないアクセスの継続」である[17]。つまり、米国のラテンアメリカにおける重要な利益とは、ラテンアメリカ産石油への自由なアクセス、親米政権の支持と米国主導の新自由主義政策を脅かすかも知れない政府の転覆(公式の言説においてはこれは「安定」と呼ばれる)、戦略的な地上・海上路に対する自由なアクセス、である。では、ベネスエラの改革派政権とコロンビアのFARCゲリラに対して、米国はどのように対応しているだろうか。
ベネスエラでは、民主的に選出されたウーゴ・チャベス政権に対する米国の支援を受けた軍事クーデターが、チャベス追放にほとんど成功しかけた[18]。米国が設けたオーウェル風の機関「米国民主主義基金」が「チャベス氏に反対する米国とベネスエラのグループに対して何十万ドルもの資金を」提供した。「資金提供を受けた団体の中には労働団体も含まれており、その抗議行動がクーデターを触発した」一方で、米国海軍はクーデター計画を調整し支援していた[19]。IMFの対外関係主任トマス・ドーソンは、「適切なあらゆる方法で」新たな軍事暫定政権を支援する準備が整っていると発表した[20]。ブッシュ政権の報道官は極めて直裁に、チャベスは「民主的に選ばれた」人物ではあるが、政府の「正当性は単に有権者の大多数によってのみ付与されるものではない」と述べた[21][大統領の座をかすめ取ったブッシュ政権の報道官が言うにはぴったりの発言です]。大規模な路上デモの後で、チャベスが政権の座に戻ったとき、チャベス政権の閣僚の一人ミゲル・ブスタマンテ=マドリスは次のように述べた。「アメリカは我々が政権の座に着いていることを許さない。我々は新たな世界秩序に対する例外だからだ。もし我々がうまくいくならば、それは、米州地域のすべてに対して一つの例となるからである」[22]。アルベンスのグアテマラやアジェンデのチリと同様、ベネスエラは、自国の資源・財産を、「労働者と農民を支援する広範な社会プログラム」に用いようと試みており、それが成功するならば、「上流階級と海外企業に対する強力なプロパガンダ兵器として」拡散し、「同様の状況が広まる」ラテンアメリカの他の諸国の「人々」を汚染するかもしれない。
一方、コロンビアでは、米国はもっとあからさまに暴力的な手段を用いて、FARCゲリラを破壊しようとするだけでなく、対ゲリラ作戦により市民社会を平定しようとしている。コロンビアは、今や米国軍事援助第三の受け取り手であり、新たに選出されたウリベ大統領は、敵に対する焦土作戦的な全面戦争を強力に押し進めている。コロンビア軍は、コロンビアの民間人に対してテロ暴力を用いる準軍組織と長い間の密接な関係を維持している。ウリベ政権と準軍組織の間の交渉が進められており、司法大臣フェルナンド・ロンドニョは、双方は「非常に誠実に交渉を行っている」と述べている。AUC[準軍組織の統合集団・コロンビア自衛軍連合]のある地方司令官は、「[元コロンビア大統領]パストラナと比べるとウリベは天国のようだ」と述べている[23]。レーガン大統領時代のラテンアメリカ特使だったゴードン・サマーは、コロンビア政府の対ゲリラ戦争に準軍組織を公に組み込む最上の方法について述べている。「まず、法を尊重させ、麻薬を切り離し、人権を擁護させ」、それから「テントの下に連れてきて、最大の脅威であるゲリラに対して戦わせる」。彼は、コロンビアでは「戦いで友好的な側が多かったことはない」と述べている[24]。コリン・パウエルはウリベの政策を大枠で支持し、米国は「ウリベ大統領とその新たな国家安全保障戦略に対して断固として献身する」と述べ、ブッシュ政権は「コロンビアに対するさらなる資金提供を議会に求める」と述べている[25]。
米国のウリベ政権支援は、コロンビア政府による恐ろしい国家テロの中で行われている。2002年にコロンビアでは8000以上の政治的暗殺が犯され、そのうちの80%は準軍組織により犯されている。世界中で殺害される労働組合員の4人に3人はコロンビアで準軍組織により殺されており、270万人もの人々が、強制的に住む家を追われて国内難民化している。国連によると、講師や教師が「殺害や脅迫、暴力による移送の影響をもっとも大きく受ける労働者である」[26]。準軍組織は、定常的に、人権活動家や先住民指導者たち、コミュニティ活動家を標的としている[27]。準軍組織によるこの弾圧は、コロンビア経済に対する米国主導の新自由主義「改革」に対する市民社会の抵抗をすべて犯罪に仕立てあげ、また、コロンビアの現状に対する政治的・経済的な挑戦をすべて押し殺すものである。準軍組織の指導者カルロス・カスタニョは、準軍組織は「これまで常に、ビジネスの自由とコロンビア及び国際的な産業セクターの防衛者であると宣言してきた」と述べている[28]。世銀によると、こうした弾圧の中で、コロンビアの半数以上の人々が貧困生活を余儀なくされており、最も影響を受けているのは「あらゆる年齢層にわたる子供たちである」[29]。
従って、米国のラテンアメリカにおける政策目的には、極めて明瞭な継続性を認めることができる。この継続的な政策により、米国主導の新自由主義経済を脅かす社会運動は破壊されることになる。ラテンアメリカの貧しい大多数の人々を封じ込めることにより米国に有利な社会秩序を再生産し続ける体制のことを、米国政策立案者たちの婉曲話法では「安定」と言う。貧しい多数派の人々を利するように、現在の社会経済構造を脅かすような、深刻な挑戦が生じると、米国は、状況を「安定化」させるために介入する。米国が好むのは、IMFや世銀といった強力な金融機関を用いて、政府の政策を新自由主義のアジェンダに合うよう「監禁」することである。しかしながら、それが機能しない場合、米国は、これまでに何度も試され信頼の置けるクーデターという処方に訴える。戦略的な考慮がどのようなものであれ、いずれにせよ、米国の最終的な目的は、現金が北に流れ込むような「安定」を維持することにある。
1 Ronald Reagan. Radio Address to the Nation on Central America. March 24, 1984. <http://www.reagan.utexas.edu/resource/speeches/1984/32484a.htm>
2 David F. Schmitz, Thank God They're On Our Side: The United States & Right-Wing Dictatorships, 1921-1965 (London: The University of North Carolina Press, 1999).
3 For the classic conservative articulation of this perspective, see Jeane J. Kirkpatrick, Dictatorships and Double Standards: Rationalism and Reason in Politics (New York: American Enterprise Institute, 1982); See also Alexander M. Haig. Jr, Caveat: Realism, Reagan and Foreign Policy (New York: Macmillan Publishing Company, 1984).
4 Eishenhower and Dulles quotes taken from William Blum, Killing Hope: US Military and CIA Intervention Since World War II, (Maine: Common Courage Press, 1986), p.73.
5 Manu Saxena, United Fruit & the CIA, March 17, 1999. <http://eatthestate.org/03-26/UnitedFruitCIA.htm>
6 Burrows quote taken from James F. Siekmeier, '"The Most Generous Assistance" U.S. Economic Aid to Guatemala and Bolivia , 1944-1959', in Journal of American and Canadian Studies, 11, 1994, pp. 26.
7 The Commission for Historical Clarification, Guatemala: Memory of Silence http://shr.aaas.org/guatemala/ceh/report/english/default.html.
8 Nixon quote taken from White House, National Security Meeting on Chile Memorandum of Conversation, November 6, 1970. <http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB8/nsaebb8.htm>
9 Carla Anne Robins, The Cuban Threat (Philadelphia: ISHI publications, 1985), p. 17.
10Carla Anne Robins, 'Examining the "Cuban Threat"', in Abraham F. Loenthal and Samuel F. Wells, Jr. (eds.) The Central American Crisis: Policy Perspectives (Washington: The Wilson Center, 1985), p. 110.
11 Robert Armstrong, Marc Edelman and Robert Matthews. Sandinista Foreign Policy: Strategies for Survival. NACLA Report on the Americas. May/June 1985, p. 36.
12 Robert Armstrong, Marc Edelman and Robert Matthews. Sandinista Foreign Policy: Strategies for Survival. NACLA Report on the Americas. May/June 1985.
13 Report prepared by Carl. G. Jacobsen for the US Department of State. The Jacobsen Report: Soviet Attitudes Towards, Aid To, And Contact With Central American Revolutionaries. June 1984., p. 21.
14 John Lamperti, What Are We Afraid Of? An Assessment of the 'Communist Threat' in Central America (Boston: South End Press, 1988), p. 54.
15 Thomas W. Walker, Nicaragua: The First Five Years (New York: Praeger Publishers, 1985), pp. 14-16.
16 Americas Watch. Report on Human Rights in Nicaragua. July 1985, p 3.
17 Peter Pace, Advance Questions for Lieutenant General Peter Pace. Defense Reforms. United States Senate Committee on Armed Services. 2000. <http://www.senate.gov/~armed_services/statemnt/2000/000906pp.pdf>
18 Greg Palast, 'OPEC Chief Warned Chavez About Coup,' The Guardian, May 13, 2002.
19 Duncan Campbell, 'American navy helped Venezuelan coup,' The Guardian, April 29, 2002.
20 Thomas C, Dawson, Transcript of a Press Briefing, International Monetary Fund
Friday, April 12, 2002, <http://www.imf.org-external-np-tr-2002-tr020412.htm>
21 Terry Jones, 'If You Want A Free Vote, Ask Nicely'. The Observer, April 21, 2002.
22 Quote taken from Greg Palast, 'A Tale of Two Coups,' New Internationalist, June 29, 2002.
23 Quotes taken from Steve Salisbury, 'Colombia War Takes Right Turn', in Washington Times, 28 Jan 2003
24 Gordon Sumner quote from Steve Salisbury, 'Colombia War Takes Right Turn', in Washington Times, 28 Jan 2003.
25 Powell quote taken from Steven R. Weisman, 'Powell Says US Will Increase Military Aid For Colombia', in The New York Times, 05 Dec 2002
26 UN High Commissioner for Human Rights. Report 2000, February 8, 2001.
27 State Department. Human Rights Report 2000. Colombia, February 26, 2001.
28 CNN.com. 6 September 2000. <http://www.cnn.com/2000/WORLD/americas/09/06/colombia.paramilitary.reut/>
29 Christopher Neal, Sustained Growth and Improved Social Safety Nets to Fight Poverty, Says World Bank (Bogata: The World bank Group, 2002). <http://lnweb18.worldbank.org/external/lac/lac.nsf/Countries/Colombia/CC081B1813AF278985256BA300824DE6?OpenDocument>
益岡賢 2003年5月5日