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1963年ケネディが11月に暗殺された瞬間、私はFENを聞いていた。すごく悲しかった。その前の年にキューバ危機をうまく切り抜けてくれた大統領というイメージを持って居た。フルシチョフとアイクがバドミントンに興じる様子を見て、「平和共存」という観念を強くした。
当時の中学生はみな同じ思いをした。
しかし、ベトナム戦争は大人になりかかった私に重くのしかかった。
それ以前は、と問われれば朝鮮戦争だろう。私は直接は知らないが、朝鮮で多くの人たちが殺されているという話が伝わってきていた。私のふるさとでも「警察予備隊」が訓練をしていて、訓練のあとはドラム缶の風呂に入っていた。私も遊びに行ってからかわれたが、今から思い返せば、彼らは仕事がなくてその先頭に借り出されて居たのだ。
ベトナム戦争もしかり、ベトナムは昼夜を分かたぬ米軍の攻撃によく耐え、独立を果たしたが、最近「憎まれ口」で知ったことだがここにも新聞記者の嘘偽りがまかり通っていたことはショックだった。
例の「耳削ぎ事件」である。当時、朝日新聞で連日ベトナムの真実が伝わってきていたが、信頼できたメディアは朝日しかなかった。その朝日が、本多カメラマンの「見てきたような嘘」に惑わされ、そのまま掲載していたということが、当時本多さんを信頼していた私たちに大きなショックを与えた。目の前で米兵がみやげ代わりに死んだベトコン兵士の耳をナイフで切り落として持ち帰るというシーンがあった。
この記事は毎日固唾を呑んで戦争のゆくえを注視していた私たちの世代を欺くものだった。嘘だったのだ。
本多氏の言い分は単に感情的反論に終わるのみで、内容的な反論は私も見ていない。
南京事件(というできごとは事実です)で「同一の刀(日本刀?or軍刀?)で100人をキリ続けることが可能かどうか?
このようにして時は過ぎ、ソ連は消滅し、アメリカ一国による世界支配が現実のものとなり、歴史の苦味を味わう。
でも私は思う。歴史の担い手は私を含めた民衆である。
イラクの民衆であり、中国、北朝鮮の民衆なのだ。アメ公や小泉政権などの権力者のほしいままの歴史であろうと、長い歴史においては民衆が最後の勝者である。
アフガンはその好例である。イラクもおそらくは、アメリカの意のままにはなるまい。
日本は?
民衆の力だ。