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■2003/05/05 (月) クラスター取材
日中、ダウラ地区とハイフラート地区でクラスター爆弾に関する取材をした。全身に7つも子爆弾の破片を受け、右目を失明した男性が、私たちを案内した上、昼食に招待してくれた。豆と肉のスープがすごく美味しかった。
報道によると、ヨルダン当局は五味記者が持っていた爆発物をクラスター子弾とほぼ断定したという。クラスター子弾は一見爆発物と分かりにくいために、子供などに二次被害が広がりやすく国際人権団体などから非人道的兵器と非難されている。五味記者のケースも、五味記者にも空港職員にも五味記者の助手にもそれが爆発物であると分からなかったことが悲劇に繋がった。それがクラスター爆弾だとすると、まさにその非人道性が明らかになったわけだ。爆発することが分からなかったのは五味記者のプロフェッショナルとしての技量に問題があるのか?それとも米軍がそれほど巧妙に爆弾に見えない爆弾を使用し、無差別殺傷を狙ったのか?件の爆弾そのものを見つけて検証するしか、回答を得る方法はない。
五味記者が持っていたものは釣鐘型をしていたそうだが、私が見せてもらったクラスター子弾はテニスボールぐらいの球状だった。住民によると、他に数種類があり、形も細長いの、突起が出ているものとさまざまだが、釣鐘型は知らないとのことだった。神崎くんがナジャフで見た「テープ・ボム」と呼ばれるものが釣鐘型といえなくもない。それもクラスター爆弾の一種なのか?
クラスター爆弾は母弾の爆発とともに飛び散った子弾が広く拡散して周囲の人を殺傷する。現場は住宅地で、子弾は市民の住宅の中まで入り込んで被害を広げていた。家の中に子弾がバウンドして跳ね回ったあとがあった。
黒焦げの地対地砲が転がり、激しい戦闘のあとが残る空き地で、子供たちが遊んでいた。どこからか不発弾だか未使用弾だかを見つけてきて、分解して遊んでいる。取り出した火薬を空薬莢に詰めて、ライターで火をつけている。はたして、ドラゴン花火みたいに空薬莢から火柱が上がった。子供たちは大喜びで大声を上げる。私は背筋が寒くなった。
夜、ホテルに戻って田中う〜さんたちと裏のダウンタウンで夕食を食べた。夕食を終えてデザートにアイスクリームを食べていた私たちの背後で、暴徒がカラシニコフ自動小銃を撃ち鳴らしていた。暗闇にノズルフラッシュが見えた。
http://www2.diary.ne.jp/user/61383/