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CFR Interview:長期的なイラク関与に備えよ 【仏は新安保理決議は必要ないと伝えていた/イラクですでにわれわれは袋小路のなかにある】
http://www.asyura.com/0304/war33/msg/743.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 5 月 06 日 19:14:02:


引用元:http://www.foreignaffairsj.co.jp/CFR-Interview/holbrooke.htm

リチャード・ホルブルック
元国連大使

  クリントン政権の国連大使を務めたリチャード・ホルブルックは、イラクの混乱、反米主義、そして社会的分裂からみて、この国を一つにとりまとめるには、アメリカの長期的なコミットメントが必要になるだろうと、楽観論をいましめ警鐘をならした。デイトン合意をとりまとめた外交手腕をもつ同氏は、アメリカ主導型のイラク軍事作戦を評価しつつも、戦争開始前の外交は列車事故のような大失策だったと批判する。ホルブルックは、戦争前の外交的局面で大きく損なわれた古くからの同盟諸国、独仏との関係修復を行うべきだとし、二〇〇三年六月に開かれるG8サミットが、その機会になるだろうと指摘した。

聞き手はバーナード・ガーズマン(www.cfr.orgのコンサルティング・エディター)


-------------------------------------------------------------------------------- イラク戦争も終盤にさしかかっている。これまでのブッシュ政権の対応をどうみているか。

 「軍事努力」、「軍事作戦前の外交努力」、「今後われわれはどうすべきか」の三つにわけて考えてみよう。
 第一に、軍事作戦はうまく立案されたと考えてよいだろう。戦争開始前にラムズフェルド国防長官と米軍指導層の間で戦略をめぐる見解の対立があり、かなりの議論が行われたと報道されたが、それがどのようなものだったにせよ、こうした論争の結果、最終的に計画はうまく実行された。とくに、トルコ側からの北部戦線を開けぬまま、戦争開始の決定をしたのは、かなり大胆な決断だった。今後詳細が明らかになっていくにつれて、中央軍のトミー・フランクス司令官が戦術面で非常に創造的な指導者だったことが実証され、ラムズフェルド長官のこの戦略立案プロセスにおける役割も評価されるだろう。あの状況で、実際にとられた戦略を実施するにはかなり勇気がいったはずだ。戦争が短期間で終わり、(米英)連合軍サイドの犠牲者が少なくて住み、イラク側にもひどい犠牲を強いずに済んだことを嬉しく思う。

米欧関係の修復を

 一方外交面での評価は難しい。ブッシュ大統領が二〇〇二年九月一二日に国連安保理に出向いたのは正しい決断だったし、大統領は、国連の場で就任以来最高の出来ともいえる優れた演説を行った。コリン・パウエル国務長官も、安保理決議一四四一号の全会一致採決にむけた外交環境の整備に大きな手腕を発揮した。ブッシュ政権が米議会から対イラク行動をめぐる承認決議を取り付けたことも評価できる。夏の段階では、チェイニー副大統領とパウエル長官の路線対立をめぐっての批判があったし、世論も混乱していたが、秋になってアメリカの政治状況は改善していた。
しかし、二〇〇三年に入ると、外交的な迷走が目立ち始めるようになる。国連で第二の決議をとりつける必要はなかったわけで、これを試みたのは間違いだった。第二の決議をめぐって国際社会が紛糾する六週間前に、その必要がないことを私はワシントンポストの論説ページに寄稿し、第二の決議を求めれば、列車事故のような外交的大混乱に直面すると指摘しており、ここで述べていることは何も後知恵ではない。

 だが、ワシントンが、イギリスの立場を考えて、第二の決議を取りつけようとしたの明らかではないか。

 むしろブッシュ政権は、第二の決議を求める口実として、トニー・ブレア英首相がそれを必要としていると語っていた部分がある。最終的には、第二の決議なしでイギリスは参戦したわけでは、それは必要なかった。ブレアが本当に決議を必要としていたとすれば、そうすることで、彼は結局自らを傷つけただけでなく、アメリカを不必要なプロセスに引き込み、その課程で様々な悪影響がでた。
 第一に、これによって、欧米諸国間の共有基盤ではなく、対立要素が表に引き吊り出されてしまった。第二に、(米英間の)小規模な国際的連帯と大規模な国際的反対連合という対立構図を現出させ、安保理決議一四四一号の価値を低下させてしまった。第三に、国連、そして安保理を大きな危険にさらしてしまった。第四に、現在の対イラク制裁措置の解除をめぐる対立からも明らかなように、欧米間に感情的しこりを残してしまった。これは、かなり重大な外交的失策だ。
 現在、ブッシュ政権の高官たちは、これを二つの要因で説明しようとしている。一つはあなたが指摘した「イギリスが第二の決議を必要としていた」という主張だ。少なくともわれわれはブレア首相に対して、第二の決議を取り付けようとする試みには大きな危険が伴うこと、どんなにうまくいっても、決議一四四一号の時のような全会一致の採択など望みようもないこと、最悪の場合には否決されることを伝えておくべきだった。
 現政権の高官たちは、この点をいまも議論しているが、私にいわせれば、これは当時から自明だった。現政権の高官たちは、フランスが、現実にみせたのとは違う行動をとっていれば、アメリカは第二の決議への支持を確保できていたかもしれないと考えている。そうかもしれなかったし、そうはならなかったかもしれない。しかし、ワシントンとパリが、事前に第二の決議をめぐる共通の立場をとりまとめられなかったために、おそらく、一九五八年のスエズ侵攻をめぐる分裂以来の、大きな亀裂を大西洋関係に生じさせている。

フランスは第二の決議は必要ないと伝えていた

 ボスニアときよりも今回の米欧対立のほうが深刻だと。

 ボスニアをめぐっても深刻な米欧対立は起きたが、われわれは少なくとも危機を管理できた。ボスニア、そして次にコソボを空爆したとき、われわれは安保理の承認を得ずに行動に踏み切った。ロシアが拒否権を行使するであろうことが分かっていたからだ。国連のシステムを壊さないために、われわれは、バルカンのケースをめぐっては安保理を迂回するという行動に出た。
 駐米フランス大使で、シラク大統領の外交顧問だったジャン・ルベットは、三週間前に私が司会を務めた外交問題評議会のミーティングで、「自分はホワイトハウスに出向き、ブッシュ政権の国家安全保障担当の高官たちに、『アメリカは第二の決議を取り付けようと試みるべきではない、むしろ、コソボのときと同様に、安保理を迂回すべきだ』とフランス側の意向を伝えた」と語った。「フィナンシャル・タイムス」を別とすれば、ルベットの評議会での発言をメディアはさほど大きく取り上げなかったが、これは非常に重要な洞察だと思う。
 安保理の紛糾の原因をフランスの「不意打ち」に帰す考え方は、真実を言い当てている分もあれば、言い逃れ的な部分もある。事実からみれば、フランスがアメリカの官僚に不意打ちをくわせ、ワシントンがバランスを失して、まるで列車事故のような外交的大失策を犯したのは事実だろう。しかし、同盟関係を維持するには、全てのレベルでコミュニケーションを取る必要があるのに、これをアメリカ側が怠っていたのは事実だろう。こうしたことを繰り返してはならない。フェリックス・ロハティンのような人材がパリで駐米大使を務めていた時代であれば、このような事態は起きなかっただろう。

米欧関係の修復に向けて

 いずれにせよ、「同盟関係にある諸国の外相の行動規範からみれば、大きな逸脱とみなさざるを得ない」フランス外相の立ち回りによって、パウエル長官が不快感を覚えることになった。この点は私も十分理解できる。こうしたフランスのやり方ゆえに、アメリカでは、フランス・バッシングが、フランスでは反米主義がわき起こった。だが、いくらフランス・バッシングをしても、それが政策の代わりになるわけではないし、フランスと抗争を繰り広げて、われわれの国益が高まるわけでもない。フランスの行動は間違っていたし、自滅的だったと思う。しかし、米仏、米独関係の改善のためには、そのようなことを指摘しても無益だし、アメリカは仏独を許すべきだし、そうすることがわれわれの利益にもなる。
 G8が六月にフランスで開催される以上、こうしたテーマを取り上げるにはいまが最善のタイミングだと思う。(シラク大統領、ブッシュ大統領だけでなく)、シュローダー首相、プーチン大統領、さらには、ブレア首相も、コフィ・アナン事務総長もフランスのエビアンに会することになる。世界中の人々が、各首脳が握手をし、抱擁を交わす様子、そして各首脳間の個人的関係の機微を判断しようと、テレビの画面を見守ることになる。アメリカの首脳は不機嫌に振る舞うのではなく、自国の国益を踏まえた態度を取るべきだろう。そうした国益のなかには、主要なNATO(北大西洋条約機構)同盟諸国との関係を強化することも含まれるし、これには、当然フランスとの関係修復・強化も含まれれる。最近ブッシュ大統領に電話をかけたことは、シラク大統領はこれまでの対米強硬路線からの後退をみせる兆しかもしれない。

 現在の安保理はどうだろう。イラクの制裁解除をめぐってまた論争が起きている。フランスは何を望んでいるのか。

 経済制裁を巡る問題は非常にテクニカルな問題だ。フランスやロシアは、制裁解除の交渉に応じるだろうとする報道もある。両国は、交渉から何かを引き出そうしているのだろう。二〇〇二年二月から三月にかけての大混乱を引き起こすようなものでないかぎり、各国が国益のためにそう試みるのは自然なことと考えるべきだ。

イラクの秩序回復とアメリカの役割

 近い将来にイラクの秩序を回復できる見込みはどれくらいあるのか。

 われわれはアメリカ主導型の戦争の勝利、そして何よりもサダム・フセイン政権の崩壊を祝うべきだが、一方でわれわれは自らに誠実でなければならない。解放された最初の週のバクダッドは、多くのアメリカ人が期待したほど落ち着いていたわけでも、喜びにわき返っていたわけでもない。問題は、略奪の横行だけではない。博物館や図書館の略奪も悲劇的な出来事だが、問題はこれだけではない。イラクの大半が現在無政府状態にあること、反米的な派閥を含む、さまざまな集団が秩序面での空白を猛烈なスピードで埋めようとしていることに目を向けなければならない。現地には、信頼できる形で登場した親米的な集団など一つも存在しない。一方で、「サダムにも、アメリカにもノー」という立場をとるシーア派の一部勢力が急速に台頭しつつある。
 四月十日には、(欧米が期待していた)宗教指導が殺害される事件も起きた。ロンドンからナジャフ入りしていたシーア派の反体制指導者ホエイ師がモスク内で殺害されてしまった。これではまるで中世だ。イラクにおけるアメリカの文民指導者となるジェイ・ガーナー(米国防総省復興人道支援室(ORHA)室長)の試みがどのようなものになるか予見不可能な状態にある。テレビに映し出される様子を見ていると、有名な「アラビアのローレンス」の一シーンをどうしても思い出してしまう。ローレンスがダマスカス入りするやいなや、群衆は管理不能となり、状況はカオスに陥った。

 イラクでの今後について、比較している検討できるようなアメリカの経験はあるだろうか。

 サダム政権が崩壊した直後のイラクの一週間を、ボスニア、コソボ、アフガニスタンの紛争後一週間と比べても、参考にできるような要素は見あたらない。カブールでは、タリバーン政権の崩壊を前に民衆はわき返っていたし、カンダハルでさえ状況は同じだった。いまやアフガニスタンではタリバーンが巻き返しを試み、国内情勢は悪化しているが、少なくとも、戦争直後のアフガニスタンは希望に満ちていた。アメリカは、明晰でテレビ写りがよく、スマートな、ハミッド・カルザイという理想的な指導者も見いだした。もちろん彼にも限界はあるが、それでも、当時としては理想的な人材だった。いずれにせよ、アメリカがアフガニスタンで歓迎されていることを世界に示せたことはアメリカにとって非常に重要だった。しかし、イラク国民会議のアハマド・チャラビが、カルザイのような人物でないことは明らかだ。

イラクへの長期的な関与に備えよ

 私はイラクに民主主義を導入することに賛成しているが、現実に起きていることから判断すると、アメリカは、「イラクへの関与が長期に及び、おそらくは困難を極めるであろうことに備えて、その責任を引き受ける」覚悟を決めるべきだろう。
 参考までに言えば、ボスニア紛争を終結させたデイトン合意から七年間を経た現在も、数は数千規模ながらもいまだに米軍が駐留していることも忘れてはならない。コソボの場合も、戦争が終わって四年が経つが、数千名の米軍が駐留している。アフガニスタンでの駐留も長期化するだろうし、朝鮮半島にいたっては、戦争が終わってから五十年たった今も、現地には四万人の米兵が前方展開している。この事実に必ずしも問題があるわけではない。アメリカは世界最大の国であり、世界の主導国であり、そうした重い責任を引き受ける態勢を整えて置く必要がある。この五五年間を振り返ってみると、もっとも重要なアメリカの対外関与のケースは、ドイツ、日本、韓国への関与だろう。こうした諸国への関与は成功したし、そのコミットメントもアメリカの外交政策からみて正統性のあるものだった。だが、こうした諸国にわれわれはいまでも大規模な駐留軍を展開しているのも事実だ。
 イラクに話を戻そう。アフガニスタン情勢が悪化しつつあることを参考に、イラクについて踏まえておくべき二つの点がある。第一に、アメリカの市民及び議会は、イラクへの関与が、かなりのコストを要する長期的なコミットメントになることを認識しておくべきだ。石油輸出からの資金が一部充てられるとしても、大規模な資金面での負担も覚悟しなければならない。第二に、われわれは、イラクでの活動が、「アメリカ、つまりは西洋による、イスラムの聖地の一部を含むアラブの地の占領」と見られないように気を配る必要がある。

 とすれば、ここでも国連が鍵を握ると思う。もう少し、この点でのコメントを。

 もちろん、国連が、西洋支配とみられないための覆いを提供することはできるだろう。ペンタゴンの高官は、数多くの国を訪問して、イラクの治安維持のために部隊を派遣するように要請している。私自身も、今週前半はポーランドで、クワシニエフスキ大統領とその可能性について話し合っていた。ポーランドはより多くの部隊を派遣するだろうし、ブルガリアも、チェコも、ハンガリーも今後部隊を派遣することになるだろう。
 こうした諸国の参加は重要でシンボリックな意味をもつが、だからとって、イラクの治安維持をポーランド・ブルガリー・ハンガリーが担っているとは誰も考えない。つまり、どのような装いを施そうが、また、(イラク統治に関する)安保理決議のあるなしに関わらず、イスラム世界は、これをアメリカの占領とみなすだろう。これが大きな危険を伴うことは言うまでもない。歴史が再現されるわけではないが、これを将来にとっての重要な指針とすべきである。ウィンストン・チャーチルとゲーティ・ベルが一九二二年の現在にいたるイラク国境をぶざまに引いて以降のイラクの歴史は、いかなる尺度で見ても、アウトサイダーには困難な未来が待ち受けていることを教えている。

 イラクは民主化されるだろうか?

 民主国家としてイラクを統治するのは非常に難しいだろう。純然たる民主主義を実践すれば、極端な見解をもつシーア派、スンニ派、クルド人指導者が台頭して、状況は混乱する。実際、戦後のイラクは、戦後のボスニア以上の困難に満ちている。各民族や、宗教集団のそれぞれの感情と思い入れはイラクにおいてのほうがはるかに根深い。ボスニアでは戦争が再発することはないだろうが、イラクの場合、われわれがいなくなれば、即座にスンニ派、シーア派、クルド人は闘いに突入するだろう。つまり、民主主義が根付くことが望ましいが、かなりの時間がかかる。一方で、社会構造をつぎはぎしてひとつにするのも非常に難しい。
 すでにわれわれは袋小路のなかにあるが、問題に立ち向かっていかなければならない。言いたいのは、任務がいかに複雑であるかを認識するとともに、それでも、ひるんではいけないということだ。ジレンマは、「われわれが撤退の時期を早めれば、イラクを一つにとりまとめられる可能性は低下し、一方で、極端な見解をもつ指導者が台頭し、内戦が起きる危険が高まる。かといって、われわれは長期的に駐留すれば、反米、反十字軍のうねりが生じる可能性はかなり高くなる」。これは非常にトリッキーな問題だ。
 ブッシュ政権の高官たちも、このジレンマを理解していると思う。ここに示したような議論をすることは「志気を低下させることになる」という政府高官の批判も私は理解するし、ウォール・ストリート・ジャーナル紙が言う「リベラルな悲観主義」についても異を唱えるつもりはない。ただ私は、現実的であろうとしているだけだ。ボスニア、コソボ、アフガニスタン、イラク、私はこうした地域でのアメリカの試みを支持している。だが歩を進めてゆくにつれて、われわれはますます現実的になる必要がある。戦後イラクでのわれわれの試みは困難に満ち、長期化し、そして肥大化していくと予想されるからだ。
 

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