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イラク中部のバビロンで4日、掘り起こされた人骨を前に、殺された家族の手がかりを捜す人たち。息子の写真を手に悲しむ女性もいた
91年のイラク民衆蜂起時にフセイン政権に虐殺された人々のものとみられる大量の人骨が、バビロン州ヒッラ郊外の農村から出土している。4日、現地を訪ねると、すでに100体以上が地中から掘り出されており、消息不明となっていた人々の家族らが集まっていた。年配の女性は骨を手に取って「夫はどこにいるの!」と泣き叫んでいた。
人骨の大半は頭から手足までそろっており、髪の毛や衣類も残っていた。後頭部を鋭利な刃物でくりぬかれたような不自然な穴がある頭蓋骨(ずがいこつ)が複数あり、女性や子供とみられる骨もあった。
主婦のナベハさん(53)は91年に消息を絶った姉のハヤトさん(当時52)の手がかりを求め、現場に来ていた。髪の毛の残った頭蓋骨を指さし、「髪の色が姉に似ている」とうずくまった。3人の息子が同時にいなくなったカリーマ・ナジドさん(56)は「息子たちはここにいる気がする」と声をつまらせた。
湾岸戦争後の91年3月、イラク各地で大規模な民衆蜂起が起きた。だが、米国が非介入の態度をとるとみるやイラク当局が弾圧に動き、最終的に全国で10万人が殺されたとも言われる。
現場はヒッラの南約10キロのシーア派の村。91年当時、バビロン州一帯でも、蜂起に対する激しい弾圧が行われた。村人らによれば、反政府活動をした者だけでなく、路上を歩いているだけで当局にどこかへ連行され、消息を絶つケースも多かったという。
村人によると、91年春、バース党や秘密警察が深夜、突然村を訪れ、村人に大きな穴を掘るように命じた。穴にはトラックの荷台にあった人間の死体が次々と投げ込まれていったという。
遺体の上には土がかけられ、さらに土の上に、掘り返しにくいように大量のクギがまかれた。フセイン政権下では、村人たちは当局による懲罰を恐れ、だれも掘り返すことができなかった。
フセイン政権が倒れたため、村では3日ほど前から若者をかりだし掘り始めた。村の周辺にはほかにも5〜6カ所、同様に人骨を埋めた穴があり、今後掘り返すという。
近くに駐屯する米海兵隊の兵士たちが人骨の出土の知らせを聞き、3日に調査のために村を訪れ、写真を撮っていったという。だが、村人の男性は「あのときは米国は我々を助けてくれなかった。今ごろ来ても遅いと言ってやりたい」と話していた。
(05/04 20:25)
http://www.asahi.com/international/update/0504/006.html