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■ 『from 911/USAレポート』 第90回目
「輝きを失った言葉」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第90回目
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「輝きを失った言葉」
「正式ではない」とホワイトハウスは言い訳していますが、5月1日の空母「アブラ
ハム・リンカーン」艦上でのブッシュ大統領のスピーチは、実質的には正式な対イラ
ク戦の戦勝宣言でした。巨大な空母の艦橋には「ミッション・コンプリーテッド(任
務完了)」というカラフルな横断幕が掲げられていた位です。それにしても、大統領
自身がカリフォルニア沖を航行中の空母に着艦するというパフォーマンスには恐れ入
りました。
現職の大統領が「ワイヤー着艦」をしたというのは、何でも史上初という触れ込みな
のですが、映画『トップガン』以来の「空母着艦」ショーの延長という感じがしまし
た。私には、軍隊が不要不急の「ショー」を行うという「たるんだ」姿勢には嫌なも
のを感じました。ハワイ沖で緊急浮上をさせられて「えひめ丸」の惨事を引き起こし
た原潜グリーンビルの事件も、そうした「たるんだ」ショーだったことが一瞬頭をよ
ぎりました。
何でもチェイニー副大統領によれば、空母訪問に同行していないローラ夫人は、夫の
「ワイヤー着艦」のことは知らされていなかったそうで、彼女が怒ったかどうかは
「自分は関知しない」そうです(FOXニュースの報道)。これも「たるんだ」エピ
ソードに他なりません。
西部時間で夏時間の午後六時という陽光の中、スピーチは25分続きました。550
0人の乗組員の中で、3500人は持ち場についているそうで、甲板に出て大統領を
囲んだのは2000人という説明でした。わざわざ持ち込んだクレーン式のカメラか
ら、色とりどりの略式の軍服を着た海軍の将兵が並んだ姿が映し出され、その中を満
面の笑みを浮かべて壇上に向かうブッシュ大統領の姿は、まるでマイケル・ベイ監督
や、ジェリー・ブラッカイマー製作の娯楽映画のシーンのようでした。
スピーチの内容には、特に驚くべき事実はありませんでした。ホワイトハウス詰めの
ジョン・キング記者(CNN)などによれば、イラクにおける「大量破壊兵器保持の
証拠」がいまだに発見されない中で「戦勝宣言」を行うことには、ホワイトハウスも
神経をピリピリさせていた、というのですが、そんな緊張感も余り感じられませんで
した。
内容自体は新鮮味に欠けるものでしたが、ブッシュ大統領の使った言葉の中には、聞
き流すことのできない部分がいくつかありました。一つは911以降の19ヶ月で
「世界が変わった」という部分です。テロの脅威がある、その最たるものは大量破壊
兵器だ、そうした兵器は「ならず者国家」からテロリストに拡散する、従って「なら
ず者国家」の武装解除が急務だ、国連がやらなければアメリカがやる、こうした論法
が「戦勝」という気分の中で完全に正当化されました。
正当化ということでは、今回の作戦もそうです。「ナチス・ドイツや帝国日本という
悪を叩いた際には、主要都市への爆撃によって、国(ネイション)を破壊することで
しか、悪を除去できなかった」とブッシュ大統領は言いました。「だが、今回は、そ
うした破壊を避けることができた。国(ネイション)を破壊するのではなく、国(ネ
イション)を解放(フリー)したのだ」というのです。
これではまるで、「ドイツや日本への空襲や原爆投下への反省のもとに、今回は民間
人犠牲を抑えるのに成功した」と言っているように聞こえます。しかし、それでは余
りにお人好しの解釈と言えるでしょう。言葉を良く吟味してみれば、第二次大戦末期
の民間人殺戮については謝罪などしていませんし、まして今回の数千人に上るという
イラク側の戦闘員、非戦闘員の死者については「あれで良かった」ということなので
すから。
今回のスピーチで典型的なのですが、アメリカ英語の危機という問題があります。ま
ず、アメリカの民主主義の基本である三つの言葉、「フリーダム(自由)」、「リバ
ティ(自由)」、「ジャスティス(公正)」という言葉が輝きを失っています。輝き
を失ったというのは、正確に言えば「普遍的な真理として世界へ発信する力」を失っ
たということに他なりません。
「フリーダム」というのは、「抑圧から解放されている現在の状態」、つまり実感と
しての自由ということのようです。無実の罪で獄につながれていた囚人が、無実が明
らかになった際の「自由」な感覚、言論への圧力に抗して戦っていたジャーナリスト
の正当性が認められた時の喜び、こうした瞬間に「フリー」という言葉は輝きを発し
てきました。
これに対して「リバティ」というのは、どちらかと言えば「過去の圧制からの解放」
というような重々しいニュアンスがあります。フランス(やイギリス)の人権思想が、
バスチーユ襲撃の十年以上も前にアメリカ独立に影響を与え、そのことへのエールを
送る意味でパリから贈られた大きな像のことを「スターチュー・オブ・リバティ(自
由の像、自由の女神)」と呼ぶのが典型でしょう。
アメリカ独立の精神が、英国の徴税権への抵抗という意味合いと同時に、王政を脱却
して共和制へと移行する諸国の流れにも精神的ルーツを持っている、「リバティ」に
はそんな歴史の記憶も感じられます。「市民としての自由」という意味で「シビル・
リバティ」という言い方をすることもありますが、ここでも過去からの解放という歴
史を感じさせる重々しさがありました。
ですが、今回のブッシュ演説、いやそれこそ19ヶ月前の911以降、「フリーダム」
というのは「アメリカ流の自由」という意味に変わったようです。フランス憎しの気
分から「フレンチ・フライ」を「フリーダム・フライ」に変えるという語感、そして
「イラクに自由を」という時にも「フリーダム」です。そこには「底抜けの自由」、
「世界に普遍的な自由」、「抑圧からの解放感」という本来の語感はありません。
「リバティ」という言葉も全く変わりました。重々しい解放感という感覚は同じでも、
「テロの脅威からの自由」という意味に使われることが多くなったのです。アフガン
戦争でも、今回のイラク戦争でも、敵国の体制を非難して、アメリカ流(らしい)の
政権を持ち込む際には「フリーダム」、そうして国内のテロの脅威が抑えられた(と
思って)安心ができれば、それが自分たちの「リバティ」という風にです。
「ジャスティス(公正)」に至っては、厳格に被疑者の人権を認めたり、紛争当事者
の双方に対して公平な姿勢を貫いたりする、そんな本来の意味は完全に吹き飛ばされ
ました。「テロリスト」や「ならず者国家の幹部」については、とにかく監禁したり
抹殺することが「ジャスティス」なのだというのです。
国内の事件であれば、大量殺人事件であっても、証拠収集の合法性が厳格に問われる
「ジャスティス」が貫かれるはずです。ですが、「テロリスト」や「ならず者国家の
幹部」であれば、猿ぐつわを噛ませて収容所に閉じこめたり、クラスター爆弾で暗殺
を狙い、殺した証拠を求めてDNAを血眼で探すことが「ジャスティス」だという、
そんな論法です。
国内と国外の「二重基準」、通常の事件と「テロ」や「ならず者国家」の場合の極端
な対応の差、それも確かに問題です。ですが、「フリーダム」、「リバティ」、「ジャ
スティス」というアメリカ社会の根幹に関わる言葉の意味合いが、なし崩し的に壊さ
れてきた、そのことの恐ろしさは比べ物になりません。概念を求心力にし、その概念
を言葉にすることで維持してきた社会の根っこの部分が傷んでいるからです。
ですが、この言葉の暴力には当面のところ、対抗できる勢力は現れていません。今回
のブッシュ戦勝演説については、アンドレア・ミッチェル記者(NBC)や、アーロ
ン・ブラウン記者(CNN)が指摘していたところでは、「2004年の大統領選挙
へ向けての出陣式」という意味合いがあったというのです。
まだ一年半もある、というのは、どうやら甘いようです。大統領選挙の年の初めにニ
ュー・ハンプシャー州あたりから、のんびりと「プライマリー(予備選)」を戦うの
ではなく、もっと前倒しのキャンペーンで、政敵に付け入る隙を与えない戦略をブッ
シュ陣営は考えている、というのですから民主党もしっかりしなくてはなりません。
ですが、ゲッパート候補などは早々に「戦勝宣言への賛同」を口にしているという腰
砕け状態ですから、これでは何のための野党か分からないことになります。
民主党にとっては、候補の問題もあるでしょうが、やはり言葉の問題が重要です。開
放的な社会、国際協調が自然に行われる社会を取り戻すには、基本的な概念を表す言
葉に「輝き」を取り戻すことが何よりも大切です。「自由」や「公正」が空々しく響
くようでは、伸び伸びした舌戦自体が不可能なのですから。
ただ、問題の根は相当に深いようです。例えば、一連のイラク問題に関して開戦前に
「先制攻撃への消極的反対」を口にする際の暗号として「ジオ・ポリティカル(地政
学的)」という言葉が飛び交いました。特に経済界を中心に、イラク戦争へ言及しな
くてはならない時に、ジオ・ポリティカル的懸念、と言えば「非国民扱い」されずに
許される、そんな風潮があったのです。
今でも少し残っていますが、たとえ財界でも「イラク」とか「反対」とか「平和」と
いうのは、タブー視されていたのです。「景気は横ばいだが、ジオ・ポリティカルな
問題の影響は依然として懸念されている」と言い換えれば、ホンネは「戦争が続けば
景気が悪くなるのが心配だ」という意味なのですが、「気をつけて言っている」のだ
からOKということになるのです。
この「ジオ・ポリティカル」というのは、FRB(連邦準備制度委員会=中央銀行)
のグリーンスパン議長が言い始めたのですが、厳正中立が権威の源泉であるFRB独
特の「物言い」を一般の財界関係者までが口まねしなくてはならない、そのことも言
葉の危機と言えるでしょう。
言葉の危機といえば、日本では外来語の使用が過度になっているからと、国立国語研
究所が「言い換え案」を発表したようです。ここにもアメリカと似たような問題を感
じます。似ているというのは、言葉が輝きを失ったり揺らいでいるということです。
例えば「コミット」という「外来語」がやり玉に上がっています。「かかわる」、
「確約する」というのが「言い換え語」として示されていますが、果たして言い換え
になるでしょうか。例えば、会社の研究部門の部長さんが、部下に対して「経理部が
予算を付けてくれるか探らせた」という場合を考えてみましょう。
「おい、経理の方は大丈夫か」と部長が聞いて、部下が「ええ、予算については確約
しても良いって言ってました」と答えたらどうでしょう。部長は安心するでしょうか。
「本当か?大丈夫か?」と突っ込まれるのがオチでしょう。それに対して「ええ、経
理としてもウチのプロジェクトにコミットしてくれるそうです」と言ったらどうでしょ
うか。部長さんの表情はパッと明るくなるのではないでしょうか。
「コミット」というカタカナ語が好まれる背景は実は単純です。「立場は違うが(あ
るいは距離はあるが)責任を持って主体的に関わってくれる」という語感を支える言
葉が、従来の漢語にはないのです。あるいは、確約とか関与という語が、「嘘くささ」
にまみれて耐用年数が尽きたと言っても良いでしょう。
「かかわる」とか「関与」と言いながら口先だけ、という「言語体験」が、本来なら
言葉通りの力を発揮すべき言葉から輝きを奪った、そのために言葉の確かさを求めて
「コミット」という言葉へ多くの人が飛びついたというのが真相ではないでしょうか。
「インターンシップ」などもそうです。国語研究所の言い換えは「就業体験」で、そ
の他の言い換えの例として「体験就業、就業実習、専門実習」などとなっていますが、
こうした漢字四文字では語感の重さが足りないのです。「学生であっても、専門性や
個人の人格を認めて働かせ、将来の専門職キャリアの準備になるような経験を育む」
というような語感は、これらの漢字四文字にはありません。
「就業体験」では「こわごわ働いて初めてお金をもらった」程度の語感、「実習」や
「専門」に至っては「総合職より格下の仕事の訓練」や「体のいい人件費削減」とい
う悪しきニュアンスからも抜けられません。こうした言葉には若い人に将来への夢を
抱かせる言葉の輝きがないので、仕方なく多くの人がカタカナに逃げているのでしょ
う。これらの「言い換え」には、生きた言葉の持つ力をまるで無視した無神経さを感
じます。
そもそも、カタカナ言葉が問題になるのは、お役所が使い出したからのようです。で
すが、官公庁の中では、過去に使い続けた漢語がもはや耐用年数切れになっているこ
とから、民間の組織や意思決定システムを見習おうという精神を込めてカタカナに流
されていった経緯があることは否定できないように思います。そもそも、この国立国
語研究所の「外来語委員会」に、日本の企業文化を知っている人が少ないのが間違っ
ています。
福祉に関わるカタカナ語も、散々叩かれています。ですが、「バリアフリー」や「ケ
ア」という言葉が実際に社会を変える力を持ったのは、従来の漢語が福祉の分野では
死んでしまったからです。「福祉」という言葉自体が、「施してやる福祉」、「恩恵
をいただくのが後ろめたい福祉」、「ゴネ得の福祉」、「惨めな敗者への恩恵として
の福祉」、「左右対立の中の左側の記号としての福祉国家」、「同じく右の記号とし
ての日本型福祉」、あるいは「金食い虫の福祉」などというマイナスのニュアンスに
まみれる中で、ボロボロに擦り切れてしまったのでしょう。
だから概念をカタカナ語に移して再出発した、そんな事情があるのではないでしょう
か。この点を無視して、何となく意味の通じそうな漢語に人工的に「言い換え」ても、
とても定着するとは思えないのです。
ではどうすれば良いのでしょうか。言葉は生き物です。人為的な変更は、やっても出
来るものではありません。ですが、言葉に混乱があるのなら、方向性を議論すること
は必要でしょう。私はカタカナ語を使い続ける中で、漢語や「やまと言葉」を組み合
わせて、現代社会に必要なニュアンスを表現できる新語をどんどん提案すること、そ
うして新しい言葉と古い言葉が競いあうことから、新しい時代に相応しい言葉が生ま
れるように思うのです。
その意味では、同じ言葉の混乱といっても、日本での混乱は社会の変化を反映した健
全なものとも言えるでしょう。日本でも「自由」とか「人権」という言葉は、錆びつ
いています。ただ、日本の場合は、昔から多くの人が錆びついた加減を分かっている
強みがあります。ですが、アメリカの混乱、特に「アメリカがアメリカである」根幹
となる価値を表すキー・ワードに翳りが生じたというのは深刻です。
ブッシュ大統領の戦勝演説は、最後に戦没者(アメリカ側のみ)の家族を見舞うメッ
セージで厳粛さを演出しようとしました。ですが、そこで戦没者と遺族が「来世での
再会(リユニオン)」を果たすという表現があったのは問題だと思います。神様うん
ぬんは、まだ許せます。ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、モーセの作った
一神教思想のバリエーションに過ぎず、その唯一神は同じと見ることが出来ます。
もっと拡大すれば、神(ゴッド)という言葉は、汎神論や多神教の人々も排除しない
と言っても構わないのでしょう。ですが、「来世での再会」となると話は違います。
この考え方は、キリスト教独自の考えで、明らかにユダヤやイスラムの人々を排除す
る言い方です。キリスト教の最も大切な部分ではありますが、同時に排他性のある部
分だからです。
スピーチ・ライター(NBCのアンドレア・ミッチェルによれば、カレン・ヒューズ
女史が関与しているそうです)が、さりげなく入れた一節か、あるいは大統領本人か
ローラ夫人の趣味なのかは分かりませんが、暴走と言って良いでしょう。この辺りは、
言葉の揺れというよりはもっと悪質な確信犯と言わざるを得ません。
冷泉彰彦:
著書に
『9・11(セプテンバー・イレブンス)―あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
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