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● 遅れた記事ですが、とても重要な情報。
バクダットの官庁・博物館・図書館を放火していたのは
略奪者とは違い、別の組織的な団体で、計画的に
放火が行われていた様子が記録されています。
「青と白のバス」で乗り付けて火をつけていったとか。
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街の人々にとってこれは解放ではなく、新たな植民地的圧制だ。
- アメリカの“解放”戦争は終わったかもしれない。しかしアメリカから解放されるためのイラクの戦争はこれから始まろうとしている -
ロバート・フィスク 2003年4月17日
間違いが起こりつつある。誰もが想定しなかった速度で。“解放”軍はすでに占領軍になってしまったのだ。シーア派はアメリカ人たちと戦うように脅迫し、自分自身の“解放”戦争を創りあげようとしている。
夜のサダムシティのシーア派モスレムのバリケードにはそれぞれ14人の自動小銃を携えた男たちがいる。バクダットの米軍海兵隊でさえ、彼らに投げつけられる悪態について喋っている。「あっちに行け!消えうせろ!」昨日一人の米軍兵士が首都の歩兵部隊を守る鉄線に押しかけようとするイラク人に怒鳴った。その兵士の顔が憤怒で紅潮するのを私は見た。「神は偉大だ!神は偉大だ!」とイラク人が言い返した。
「ファック・ユー!」
今やアメリカ人は“バクダット市民に対するメッセージ”を発布し、その書類は植民地的精神と同じ鈍感な響きを持っている。「夕方の祈りの後から朝の祈りの前までの夜間、外出はお控えください」とその書類は街の人々に呼びかける。「この時間に前政権サダムフセインに関係するテロリストやさまざまな犯罪者がこの地域を徘徊します。この時間、家を出ないでください。団子軍の陣地に近づくときには、常に特別の注意をお払いください。」
そして今や、電気も水もないのに、数百万のイラク人たちは日没から日の出まで家にいるように命令されたのだ。幽閉(Lockdown)、それは投獄の一形態だ。自分の国の中で。米海兵隊第一師団の司令部によってしたためられたそれは実質上、戒厳令下の夜間外出禁止令に他ならない。
「もし私がイラク人でそれを読んだら」アラブ人の女が私に叫んだ。「私は自爆攻撃する」。バクダットでは、シーア派聖職者からスンニ派のビジネスマンまでもが、アメリカ人は石油のためだけにイラクに来たのであり、すぐにでも ‐とてもすぐに‐ゲリラの抵抗が始まらなくてはいけない、という。アメリカ人はこの攻撃をサダム政権の「残党」であるとか、“犯罪分子”だと決めつけるだろう。しかしそうではないのだ。
昨日(訳注 2003年4月16日)、海兵隊の士官たちがナジャフのシーア武闘派の聖職者と、聖都(訳注 ナジャフを指す)周辺での戦闘勃発を回避するために話し合いを持った。私はその交渉の前に高位聖職者と面会した。彼は「歴史が繰り返されている」といった。彼の意味する歴史とは、英国にとって惨憺たる結果に終わった1917年のイラク侵略のことである。
あらゆる場所で崩壊の兆候が見える。そしてあらゆる場所で、アメリカが約束する“自由”や“民主”は名誉としては受け入れられない兆候が見える。
なぜ、とイラク人は聞く。合衆国はイラク内閣を逃がしてしまったのだ?そして彼らの疑問は正しい。バクダットの獣とその二人の息子、ウダイとクサイだけではなく、副大統領タハ・ヤッシン・ラマダン、副首相タリク・アジズ、サダムの個人的なアドバイザーA.K.ハシミ博士、国防相、健康相、経済相、貿易相、そして情報相モハマド・サイード・アル・サハフまでもが。この情報相はその昔、新聞記者たちが親しげに彼を囲むよりもずっと前、サダム革命後の粛清で処刑された「兄弟たち」の名前のリストを読み上げていた政府の人間である。受刑者の家族たちは、サハフが登場するたびに、精神安定剤を服用していた。
バクダット人が気づいていること、そしてこの国の全ての大きな街でイラク人が気づいていることは次のことだ。拷問部屋や巨大な官僚機構など、サダムが自分自身を囲ませ、それを基礎づけていたさまざまな安全装置を例にあげよう。ブッシュ大統領はイラクに人権を広めることを約束し、有罪者や戦争犯罪人は裁かれる、とした。60あるバクダットの秘密警察の本部は空っぽで、3/4マイル四方の大きな建築群であるイラク情報局でさえそうだ。
私はその場所の多くにいってみた。しかし、英国や米国の法関係者がただの一人でもそこを訪れ、転がっている豊富な書類を厳密に調査したり、かつての苦痛の場所に再び戻ってきた元囚人達に話しかけたりした形跡はなかった。これは怠惰なのか。それとも、そうするつもりだけはある、ということなのか?
チグリス川のほとりにあるカシミヤ安全局はどうだろうか。この感じのよい豪壮な建物は一時、1980年代にイランへと追放されたイラン生まれのイラク人が所持していた。狭い芝生や低い植え込みがあるが、各部屋の天井にある三つの大きな鉤や、サッカー選手が飾られた大きな赤い紙が外から人が覗くことができないように窓に貼られていることには、ぱっと見には気がつかないだろう。しかし床の上や、庭や屋根の上にはこの苦痛の場所の書類が散らばっている。その書類は例えばこの拷問センターの長がハシェム・アル・ティクリートだったこと、そしてその副官がラシッド・アル・ナバビーであったことを明らかにしている。
元囚人だったモハメド・アイッシュ・ジャッセームは、いかに彼がアマール・アル・イサウィ隊長に天井から吊り下げられたかを私に説明した。隊長は、ジャッセームが宗教的なダワ党のメンバーだと信じていた。「やつらはこんな風に私を後ろ手に縛り、その縛られた手首を吊り上げて私をぶら下げた。」と彼は私に言った。「やつらは小さな発電機を使って私を天井まで吊り上げ、次に綱を放して私を落下させ、肩の骨を折ろうとした。」
天井の鉤はイサウィ隊長の机のすぐ前にある。私はそれがなにを意味するか理解した。拷問部屋と、書類仕事のためのオフィスは分けられていなかった。拷問部屋がすなわちオフィスだったのだ。男や女が彼の目の上で苦痛に悲鳴を漏らしている時に、イサウィ隊長は書類にサインしたり電話をとったり、ゴミ箱の中身によればタバコを何本も灰にしながら、彼が囚人に求めていた情報を待った。
こいつらは怪物だったのか?そうだ。アメリカ人は彼らをさがしているか?していない。彼らは今、アメリカ人のために働いているか?そうだ、ほとんどそうだろう。そして実際、彼らのうちの一部は元ちんぴらどもの列に連なり、パレスタイン・ホテルの外の順番待ち行列に毎朝並んで、米軍海兵隊の公共事務部に雇われようと希望に燃えているだろう。
バクダットの拷問センターの護衛たちの名前は、床の上に散らばった書類に書いてある。その名前はアーメッド・ハッサン・アラウィ、アキル・シャヒード、ノアマン・アッバスとモハメッド・ファバッドだ。しかしアメリカ人たちはこの事実を見つけ出そうとしなかった。したがって、彼らの元への求職を、アラウィ、シャヒード、アッバス、ファバッドの各氏は歓迎されるだろう。
机の上や棚には囚人達の身分調査票がある。ワヒッド・モハメッド、マジッド・タハ、サダム・アリあるいはラジム・フマッドはどうなったのだろう?黒いチャドルの婦人が古い拷問センターへと近づいた。彼女の4人の兄弟はそこにつれてゆかれ、後に彼らがどうなったのかをそこに聞きに行くと、4人は全員処刑されたと告げられた。そして彼女はそこを立ち去るように命令された。彼女は死体を見ることも葬ることもなかった。元囚人たちはケディーア砂漠に大規模な墓場があると教えてくれたが、誰も −バクダットの新しい占領者は誰もー それを見つけ出すことに関心がない。
そしてサダムの元で苦しんだ男たちは?彼らはなにをいわなければならなかったか?「私たちはなにも罪を犯していない。」そのうちの一人がいった。この40歳の男の監獄における義務の一つは処刑のたびに絞首台の血や排泄物を掃除することだった。「私たちにはなんの罪もない。なんでやつらはこんなことを私たちにしたんだ?」
「アメリカは、そう、サダムを追っ払ってくれた。だけどバクダットは私たちのものだ。石油は私たちのものだ。私たちは、自分の国を持ち続ける。それはイラクでありつづける。アメリカ人は去らねばならない。」
もしアメリカ人や英国人がここでの宗教的な対立の本質を知りたければ、サダムの諜報機関の資料を調べるしかない。私がみつけたのは報告書番号7481、今年の2月24日の日付がついた、シェイク・モハメド・アル・ヤコービとムカタダ・サドゥルとの間の争いに関する書類だった。ムカタダ・サドゥルは20年以上前にサダムの命令で処刑されたモハメド・サドゥルの22歳の孫だった。
その抗争は、シーア派の指導者達でさえ互いに争うという、その情熱と決意を示していた。しかしもちろん、誰もその資料をあえて読もうとはしていないし、見つけようとさえしない。
第二次世界大戦の終わりに、ドイツ語に通じた英国や合衆国の情報将校たちは西ドイツのあちこちにある数千のゲシュタポや防衛隊の事務所からすべての書類をかき集めた。ロシア人たちも彼らの区域で同じことをした。しかしイラクでは英国人やアメリカ人は証拠を単に無視した。
バクダットにはアメリカ人にとって訪れるのがもっといやな場所がある −すべての情報機構の本部がある灰色に塗装され、柵で囲まれた巨大な街区、そこは合衆国によって爆撃され、ファイルや書類、インデックスカードが秘匿された一連の豪邸やオフィスビルがある。サダムの特別な政治犯が悪意に満ちた尋問のため −その過程の重要な一部は電気ショックだったー ここに連行され、オブサーバーの特派員ファルザド・バゾフトが絞首人に引き渡される前に連れ込まれて尋問を受けたのもまたここだった。
そこには繊細な陰影のある小道が優美に伸び、拷問人の家族のための保育園と小学校があり、生徒の一人は(たぶん適切なことにも)ベケットの“ゴドーを待ちながら”についての英語の作文を書いた。小さな病院、“自由通り”という道、花壇とブーゲンビリアもある。イラク全土でもっとも不気味な場所だ。
珍しいことに、私はその柵に囲まれた街区でイラクにおける核物理学の元トップ、シャリスタニ博士の同僚であるイラク人の核物理学者に出会った。「この場所は私が一番見たくない場所で、二度ともどることはない」と彼は私に言った。「ここは世界でもっとも邪悪な場所だった」。
サダム政権の保安官達の上層部の最後の時間は、書類をシュレッダーにかけることに忙殺されていたようだ。豪壮な建物のうち一棟の裏側で、シュレッダーにかけられた膨大な量の書類が入った黒いビニール袋が山のように積み上げられているのを見つけた。これらの袋はワシントンやロンドンに運ばれ、紙くずから書類を再構成し、その秘密を解明すべきではないのか?
シュレッダーにかけられていないファイルでさえ、豊富な情報を含んでいる。しかしまたしてもアメリカ人は気にも留めず −あるいはそうしたくないー これらの書類に目を通そうとしない。もし彼らがそうしたならば数十人の情報局上層部の名前のほとんどを、情報局が推奨していた昇進のたびに交わされる祝福の手紙から知ることができる。たとえば、アブドゥラジズ・サーディ大佐、アブドゥルサラーム・サラウィ大尉、サード・アメッド・アル・アヤッシュ大尉、サード・モハメッド大佐、マジッド・アーメッド大尉や他の者達はどこに行ったのだろうか。たぶんこれから我々が知ることはないだろう。あるいはもしかしたら、我々は知ることを期待されていないのかもしれない。
イラク人が、なぜアメリカ人はこの情報を捜そうとしないのか、と問うのは正当であり、それは彼らが、なぜサダムの内閣のすべて −誰も彼もがー 逃亡してしまったのかと問うことが正当であるのと同じである。サダムの腹違いの弟や、最後の暴力的な活動は18年前だった年寄りのパレスチナ人の殺し屋アブ・アッバスの、アメリカ人による捕獲は、へたくそな埋め合わせでしかない。
そしてまた、イラク人が問うている質問がここにももう一つある –そしてそれに私は答えることができない。イラク侵略第三週、4月8日にアメリカ人はバクダットの住居区マンスールに2000ポンドの爆弾を4つ落とした。かれらはサダムがそこに隠れていると主張した。彼らは市民を殺害することになるだろうと知っていた。なぜならば、セントコムの官吏の言葉を借りて言えば“リスクのない冒険”ではなかったからである。それで彼らは爆弾を落とし、マンスールのそのほとんどがキリスト教信者の家族の者である14人の市民を殺害した。
アメリカ人は現場における現場検証が行えるようになるまでサダムを殺したかどうか確証を得ない、といった。しかしこれはどうやらウソらしい。二日前(訳注 2003年4月15日)に私はそこに行った。その爆弾でできたクレーターを訪れようとした合衆国や英国の士官は一人もいなかった。そしてなるほど、私がそこを訪れたときには腐敗臭が漂い、瓦礫の中から赤ん坊の残骸を引きずり出していたのだった。
アメリカの公人は誰一人としてこの凄惨な殺戮に対して謝罪していない。そしてあの黒いビニールシートの下の赤ん坊は絶対にサダム・フセインではないということを私は保証しよう。もし彼らがこの現場を見ようとしたならば −彼らはそうすると言っているー彼らは少なくともこの赤ん坊を見つけただろう。今やこのクレーターはバクダットの人々の巡礼の場となっている。
そしてこの都市の省庁と国連事務所、大使館、ショッピングモールを、そしてもちろん内務省と石油省だけは残して、焼却した火。私は火によって破壊されつくした省を全部で35まで数え、この数は今もまだ増え続けている。
昨日(訳注2003年4月16日)私は石油省にいた。そこは米軍兵士によって律儀に護衛され、その兵士達の一部は隣接する農業灌漑省から大量の煙が吹き付けるので口元を布切れで覆っていた。いやはやこれは実に信じがたいことだ。誰かが隣のビルに放火しているのに気がつかなかったなんて。
次に私は3キロ離れた場所でまた別の火事を見つけた。私はその現場まで運転し、高等教育省の情報科学部門の窓から火が吹き出ているのを見つけた。そのすぐ隣には壁の上に腰掛けた米軍海兵隊員がおり、その彼は隣の病院を護衛していて、誰が隣に火をつけたのか“そんなに一度にあっちこっちみていることはできない”のでわからない、そうである。
今や私は海兵隊員がふざけているとか、誠意がないとは確かに思わない −この話をアメリカ人が信じないとこまるのであえて付け加えると、彼は第4海兵隊第3連隊のテッド・ナイホルム伍長で、そう、私は合衆国にいる彼のフィアンセ、ジェシカに電話して、彼の愛を伝えてあげたー しかし、もしアメリカ兵たちが暴徒に放火されているさまざまな省庁の様子を単に黙ってみているように、そしてなにもしないように命令を受けているとしたら、なにかが恐ろしく間違っている。
なぜならば図書館や国立資料館を含むバクダットの建物に火をつけている人々には危険な、そしてとても気になるなにかがあるからだ。なぜならば彼らは略奪者ではないからである。略奪者は最初にやってくる。そして放火魔たちは大抵青と白のバスに乗って、あとからやってくるのだ。そのバスの乗員が貿易省に火をつけた後、私は車で追いかけたがバスはスピードを上げて街の外に消えていった。
これらのことに関する合衆国の公的な説明では、略奪は復讐である。この説明は根拠薄弱になりつつある。そして放火は“サダム政権の残党”や、海兵隊の門限命令にも登場した“犯罪分子”が起こしている。しかしバクダットの人々はサダムのかつての支援者達が放火しているとは信じていない。そして私も信じない。
略奪者はその分捕り品でカネを稼ぐが、放火魔たちはカネを払ってもらう必要がある。そのバスの乗員たちは、明らかに目標がはっきりしていた。もしサダムが彼らに前払いしていたら、彼らは放火をしないだろう。サダムが消えていなくなった時に、そのカネをポケットに入れたまますべてのプロジェクトを忘れてしまうだろうから。
だとしたら、この放火魔部隊はいったい誰なのだ?私はそのうちの一人、無精ひげの中年で赤いTシャツを着た男をある日見た。そして二回目の時には彼が私を見てカラシニコフを私に向けた。彼はなにを怖がっていたのだろうか?彼は誰のために仕事をしていたのか?国の物理的なインフラと、文化遺産をすべて破壊することに誰が関心をもっていたのか?なぜアメリカ人はそれを制止しなかったのか?
すでに書いたようにバクダットでは、なにかひどく間違ったことが起きている。合衆国政府に真剣に問いただすべきなにかが起きている。例えばなぜ先週、国防長官ドナルド・ラムズフェルドはバクダットで略奪や破壊行為が広まっていないと主張したのか。その声明は間違っていた。なのになぜ彼はあえてそうしたのか?
アメリカ人は火事に対応するだけの十分な数の兵士がいないという。これもまた真実ではない。もしそうならば、旧イラン・イラク戦争記念公園で一日中ぶらぶらしている数百人の兵士達はいったい何をしているというのか。あるいは大統領宮殿のバラの庭に宿営している数百人は?
だからバクダットの人々は、文化遺産の破壊の背後にいるのは誰なのかと問うている。国立博物館からの考古学の至宝の略奪、オスマン朝、王朝と国の資料の全面的な焼却、コーラン図書館、そして我々が彼らのために創りあげるといっている国のさまざまなインフラ。
かれらは問いかける、なぜ未だに電気や水が供給されないのか?イラクが解体され、分割され、燃やされ、歴史を根無し草にされ、破壊されたのはいったい誰の関心によるものなのか?なぜ彼らは解放者と呼ばれる人々に夜間外出禁止命令を突きつけられねばならないのか?
そしてそれはバクダットの人々だけではなく、アメリカの傀儡政権をでっちあげようという最初の試みに対して水曜日(訳注 2003年4月16日)に2000人が抗議したナジャフやナシリアのシーア派も同じ問いかけをしている。数千人の群集が送電の復旧を手伝おうと合衆国に約束した親アメリカ政治家の車に火をつけたと報じられたモスルでは、略奪が今始まっている。
国際的な合法性のない粗暴な戦争の後では特に、その破滅的な行く末を新聞記者が予言するのはたやすい。しかし中近東にいる楽観主義者を待つのはたいてい破局である。特にイデオロギー的な根拠や、誇大な道徳的主張や、未だに見つかっていない大量破壊兵器に対する非難などの理由によって、石油が豊富な国を侵略するいんちきな楽観主義者にはそうである。したがって私はひどい予言をしよう。アメリカの“解放”戦争は終わった。アメリカからの解放をめざすイラクの戦争は始まろうとしている。換言すればリアルで恐るべき話は今、始まるのだ。
http://argument.independent.co.uk/commentators/story.jsp?story=397925
Robert Fisk: For the people on the streets, this is not liberation but a new colonial oppression
America's war of 'liberation' may be over. But Iraq's war of liberation from the Americans is just about to begin
17 April 2003
It's going wrong, faster than anyone could have imagined. The army of "liberation" has already turned into the army of occupation. The Shias are threatening to fight the Americans, to create their own war of "liberation".
At night on every one of the Shia Muslim barricades in Sadr City, there are 14 men with automatic rifles. Even the US Marines in Baghdad are talking of the insults being flung at them. "Go away! Get out of my face!" an American soldier screamed at an Iraqi trying to push towards the wire surrounding an infantry unit in the capital yesterday. I watched the man's face suffuse with rage. "God is Great! God is Great!" the Iraqi retorted.
"Fuck you!"
The Americans have now issued a "Message to the Citizens of Baghdad", a document as colonial in spirit as it is insensitive in tone. "Please avoid leaving your homes during the night hours after evening prayers and before the call to morning prayers," it tells the people of the city. "During this time, terrorist forces associated with the former regime of Saddam Hussein, as well as various criminal elements, are known to move through the area ... please do not leave your homes during this time. During all hours, please approach Coalition military positions with extreme caution ..."
So now – with neither electricity nor running water – the millions of Iraqis here are ordered to stay in their homes from dusk to dawn. Lockdown. It's a form of imprisonment. In their own country. Written by the command of the 1st US Marine Division, it's a curfew in all but name.
"If I was an Iraqi and I read that," an Arab woman shouted at me, "I would become a suicide bomber." And all across Baghdad you hear the same thing, from Shia Muslim clerics to Sunni businessmen, that the Americans have come only for oil, and that soon – very soon – a guerrilla resistance must start. No doubt the Americans will claim that these attacks are "remnants" of Saddam's regime or "criminal elements". But that will not be the case.
Marine officers in Baghdad were holding talks yesterday with a Shia militant cleric from Najaf to avert an outbreak of fighting around the holy city. I met the prelate before the negotiations began and he told me that "history is being repeated". He was talking of the British invasion of Iraq in 1917, which ended in disaster for the British.
Everywhere are the signs of collapse. And everywhere the signs that America's promises of "freedom" and "democracy" are not to be honored.
Why, Iraqis are asking, did the United States allow the entire Iraqi cabinet to escape? And they're right. Not just the Beast of Baghdad and his two sons, Qusay and Uday, but the Vice-President, Taha Yassin Ramadan, the Deputy Prime Minister, Tariq Aziz, Saddam's personal adviser, Dr A K Hashimi, the ministers of defence, health, the economy, trade, even Mohammed Saeed al-Sahaf, the Minister of Information who, long ago, in the days before journalists cosied up to him, was the official who read out the list of executed "brothers" in the purge that followed Saddam's revolution – relatives of prisoners would dose themselves on valium before each Sahaf appearance.
Here's what Baghdadis are noticing – and what Iraqis are noticing in all the main cities of the country. Take the vast security apparatus with which Saddam surrounded himself, the torture chambers and the huge bureaucracy that was its foundation. President Bush promised that America was campaigning for human rights in Iraq, that the guilty, the war criminals, would be brought to trial. The 60 secret police headquarters in Baghdad are empty, even the three-square-mile compound headquarters of the Iraqi Intelligence Service.
I have been to many of them. But there is no evidence even that a single British or US forensic officer has visited the sites to sift the wealth of documents lying there or talk to the ex-prisoners returning to their former places of torment. Is this idleness. Or is this wilful?
Take the Qasimiyeh security station beside the river Tigris. It's a pleasant villa – once owned by an Iranian-born Iraqi who was deported to Iran in the 1980s. There's a little lawn and a shrubbery and at first you don't notice the three big hooks in the ceiling of each room or the fact that big sheets of red paper, decorated with footballers, have been pasted over the windows to conceal the rooms from outsiders. But across the floors, in the garden, on the roof, are the files of this place of suffering. They show, for example, that the head of the torture centre was Hashem al-Tikrit, that his deputy was called Rashid al-Nababy.
Mohammed Aish Jassem, an ex-prisoner, showed me how he was suspended from the ceiling by Captain Amar al-Isawi, who believed Jassem was a member of the religious Dawa party. "They put my hands behind my back like this and tied them and then pulled me into the air by my tied wrists," he told me. "They used a little generator to lift me up, right up to the ceiling, then they'd release the rope in the hope of breaking my shoulder when I fell."
The hooks in the ceiling are just in front of Captain Isawi's desk. I understood what this meant. There wasn't a separate torture chamber and office for documentation. The torture chamber was the office. While the man or woman shrieked in agony above him, Captain Isawi would sign papers, take telephone calls and – given the contents of his bin – smoke many cigarettes while he waited for the information he sought from his prisoners.
Were they monsters, these men? Yes. Are they sought by the Americans? No. Are they now working for the Americans? Yes, quite possibly – indeed some of them may well be in the long line of ex-security thugs who queue every morning outside the Palestine Hotel in the hope of being re-hired by the US Marines' Civil Affairs Unit.
The names of the guards at the Qasimiyeh torture centre in Baghdad are in papers lying on the floor. They were Ahmed Hassan Alawi, Akil Shaheed, Noaman Abbas and Moham-med Fayad. But the Americans haven't bothered to find this out. So Messrs Alawi, Shaheed, Abbas and Fayad are welcome to apply to work for them.
There are prisoner identification papers on the desks and in the cupboards. What happened to Wahid Mohamed, Majid Taha, Saddam Ali or Lazim Hmoud?A lady in a black chador approached the old torture centre. Four of her brothers had been taken there and, later, when she went to ask what happened, she was told all four had been executed. She was ordered to leave. She never saw or buried their bodies. Ex-prisoners told me that there is a mass grave in the Khedeer desert, but no one – least of all Baghdad's new occupiers – are interested in finding it.
And the men who suffered under Saddam? What did they have to say? "We committed no sin," one of them said to me, a 40-year-old whose prison duties had included the cleaning of the hangman's trap of blood and faeces after each execution. "We are not guilty of anything. Why did they do this to us?
"America, yes, it got rid of Saddam. But Iraq belongs to us. Our oil belongs to us. We will keep our nationality. It will stay Iraq. The Americans must go."
If the Americans and the British want to understand the nature of the religious opposition here, they have only to consult the files of Saddam's secret service archives. I found one, Report No 7481, dated 24 February this year on the conflict between Sheikh Mohammed al-Yacoubi and Mukhtada Sadr, the 22-year-old grandson of Mohammed Sadr, who was executed on Saddam's orders more than two decades ago.
The dispute showed the passion and the determination with which the Shia religious leaders fight even each other. But of course, no one has bothered to read this material or even look for it.
At the end of the Second World War, German-speaking British and US intelligence officers hoovered up every document in the thousands of Gestapo and Abwehr bureaux across western Germany. The Russians did the same in their zone. In Iraq, however, the British and Americans have simply ignored the evidence.
There's an even more terrible place for the Americans to visit in Baghdad – the headquarters of the whole intelligence apparatus, a massive grey-painted block that was bombed by the US and a series of villas and office buildings that are stashed with files, papers and card indexes. It was here that Saddam's special political prisoners were brought for vicious interrogation – electricity being an essential part of this – and it was here that Farzad Bazoft, the Observer correspondent, was brought for questioning before his dispatch to the hangman.
It's also graced with delicately shaded laneways, a creche – for the families of the torturers – and a school in which one pupil had written an essay in English on (suitably perhaps) Beckett's Waiting for Godot. There's also a miniature hospital and a road named "Freedom Street" and flowerbeds and bougainvillea. It's the creepiest place in all of Iraq.
I met – extraordinarily – an Iraqi nuclear scientist walking around the compound, a colleague of the former head of Iraqi nuclear physics, Dr Sharistani. "This is the last place I ever wanted to see and I will never return to it," he said to me. "This was the place of greatest evil in all the world."
The top security men in Saddam's regime were busy in the last hours, shredding millions of documents. I found a great pile of black plastic rubbish bags at the back of one villa, each stuffed with the shreds of thousands of papers. Shouldn't they be taken to Washington or London and reconstituted to learn their secrets?
Even the unshredded files contain a wealth of information. But again, the Americans have not bothered – or do not want – to search through these papers. If they did, they would find the names of dozens of senior intelligence men, many of them identified in congratulatory letters they insisted on sending each other every time they were promoted. Where now, for example, is Colonel Abdulaziz Saadi, Captain Abdulsalam Salawi, Captain Saad Ahmed al-Ayash, Colonel Saad Mohammed, Captain Majid Ahmed and scores of others? We may never know. Or perhaps we are not supposed to know.
Iraqis are right to ask why the Americans don't search for this information, just as they are right to demand to know why the entire Saddam cabinet – every man jack of them – got away. The capture by the Americans of Saddam's half-brother and the ageing Palestinian gunman Abu Abbas, whose last violent act was 18 years ago, is pathetic compensation for this.
Now here's another question the Iraqis are asking – and to which I cannot provide an answer. On 8 April, three weeks into the invasion, the Americans dropped four 2,000lb bombs on the Baghdad residential area of Mansur. They claimed they thought Saddam was hiding there. They knew they would kill civilians because it was not, as one Centcom mandarin said, a "risk free venture" (sic). So they dropped their bombs and killed 14 civilians in Mansur, most of them members of a Christian family.
The Americans said they couldn't be sure they had killed Saddam until they could carry out forensic tests at the site. But this turns out to have been a lie. I went there two days ago. Not a single US or British official had bothered to visit the bomb craters. Indeed, when I arrived, there was a putrefying smell and families pulled the remains of a baby from the rubble.
No American officers have apologised for this appalling killing. And I can promise them that the baby I saw being placed under a sheet of black plastic was very definitely not Saddam Hussein. Had they bothered to look at this place – as they claimed they would – they would at least have found the baby. Now the craters are a place of pilgrimage for the people of Baghdad.
Then there's the fires that have consumed every one of the city's ministries – save, of course, for the Ministry of Interior and the Ministry of Oil – as well as UN offices, embassies and shopping malls. I have counted a total of 35 ministries now gutted by fire and the number goes on rising.
Yesterday I found myself at the Ministry of Oil, assiduously guarded by US troops, some of whom were holding clothes over their mouths because of the clouds of smoke swirling down on them from the neighbouring Ministry of Agricultural Irrigation. Hard to believe, isn't it, that they were unaware that someone was setting fire to the next building?
Then I spotted another fire, three kilometres away. I drove to the scene to find flames curling out of all the windows of the Ministry of Higher Education's Department of Computer Science. And right next to it, perched on a wall, was a US Marine, who said he was guarding a neighbouring hospital and didn't know who had lit the next door fire because "you can't look everywhere at once".
Now I'm sure the marine was not being facetious or dishonest – should the Americans not believe this story, he was Corporal Ted Nyholm of the 3rd Regiment, 4th Marines and, yes, I called his fiancée, Jessica, in the States for him to pass on his love – but something is terribly wrong when US soldiers are ordered simply to watch vast ministries being burnt by mobs and do nothing about it.
Because there is also something dangerous – and deeply disturbing – about the crowds setting light to the buildings of Baghdad, including the great libraries and state archives. For they are not looters. The looters come first. The arsonists turn up later, often in blue-and-white buses. I followed one after its passengers had set the Ministry of Trade on fire and it sped out of town.
The official US line on all this is that the looting is revenge – an explanation that is growing very thin – and that the fires are started by "remnants of Saddam's regime", the same "criminal elements", no doubt, who feature in the marines' curfew orders. But people in Baghdad don't believe Saddam's former supporters are starting these fires. And neither do I.
The looters make money from their rampages but the arsonists have to be paid. The passengers in those buses are clearly being directed to their targets. If Saddam had pre-paid them, they wouldn't start the fires. The moment he disappeared, they would have pocketed the money and forgotten the whole project.
So who are they, this army of arsonists? I recognised one the other day, a middle-aged, unshaven man in a red T-shirt, and the second time he saw me he pointed a Kalashnikov at me. What was he frightened of? Who was he working for? In whose interest is it to destroy the entire physical infrastructure of the state, with its cultural heritage? Why didn't the Americans stop this?
As I said, something is going terribly wrong in Baghdad and something is going on which demands that serious questions be asked of the United States government. Why, for example, did Donald Rumsfeld, Secretary of Defence, claim last week that there was no widespread looting or destruction in Baghdad? His statement was a lie. But why did he make it?
The Americans say they don't have enough troops to control the fires. This is also untrue. If they don't, what are the hundreds of soldiers deployed in the gardens of the old Iran-Iraq war memorial doing all day? Or the hundreds camped in the rose gardens of the President Palace?
So the people of Baghdad are asking who is behind the destruction of their cultural heritage: the looting of the archaeological treasures from the national museum; the burning of the entire Ottoman, Royal and State archives; the Koranic library; and the vast infrastructure of the nation we claim we are going to create for them.
Why, they ask, do they still have no electricity and no water? In whose interest is it for Iraq to be deconstructed, divided, burnt, de-historied, destroyed? Why are they issued with orders for a curfew by their so-called liberators?
And it's not just the people of Baghdad, but the Shias of the city of Najaf and of Nasiriyah – where 20,000 protested at America's first attempt to put together a puppet government on Wednesday – who are asking these questions. Now there is looting in Mosul where thousands reportedly set fire to the pro-American governor's car after he promised US help in restoring electricity.
It's easy for a reporter to predict doom, especially after a brutal war that lacked all international legitimacy. But catastrophe usually waits for optimists in the Middle East, especially for false optimists who invade oil-rich nations with ideological excuses and high-flown moral claims and accusations, such as weapons of mass destruction, which are still unproved. So I'll make an awful prediction. That America's war of "liberation" is over. Iraq's war of liberation from the Americans is about to begin. In other words, the real and frightening story starts now.