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05年までのパレスチナ独立国家樹立を明記した米欧主導の「ロードマップ」をイスラエルが受け入れるか否か。10日から2日間の日程で行われたパウエル米国務長官のイスラエル・パレスチナ訪問の最大の焦点はそこにあった。結果、イスラエル側は受け入れを明示せず、先に受け入れ表明をしていたパレスチナ側は期待外れの結果に落胆。長官の仲裁努力はイスラエル側からわずかな譲歩を引き出しただけに終わり、双方の信頼醸成には遠く及ばなかった。【エルサレム樋口直樹】
パウエル長官の今回の訪問は、イラク戦争後の米中東政策を左右するパレスチナ紛争解決への第一歩とされた。にもかかわらず、シャロン・イスラエル首相はパウエル会談の数日前に今月20日からのワシントン訪問を発表。ロードマップの内容変更を求めるシャロン首相が、ブッシュ大統領と直談判する姿勢を見せたことで、今回のパウエル会談は単なる“前座”になってしまった。
パレスチナ側の反応は手厳しい。アラファト議長の相談役であるルデイニ顧問は「イスラエルはロードマップの受諾を宣言せず、パウエル長官の訪問は失敗に終わった」と語り、シャース国際協力相は「ブッシュ・シャロン会談が行われるまで、イスラエルはロードマップの履行に関する議論を引き延ばしている」と非難した。
アラファト議長を支持するパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハの一部反発を受けながら、米欧の支援のもとで誕生したアッバス首相は、今回のパウエル訪問でハシゴを外された格好だ。独立国家樹立への期待感が頼りだったアッバス首相は、会談後の会見でパウエル長官から「パレスチナ過激派の武装解除に向けた断固たる行動が無ければ、我々の努力は無駄になる」と一方的に迫られ、パレスチナ内部での立場が気まずい状況に陥ってしまった。
実際、アラファト議長を交渉相手と認めない米国の態度に反発したファタハ執行部は、11日のパウエル・アッバス会談をボイコットするよう自治政府に要求。議長府のある西岸ラマラでゼネストを呼びかけたほどだった。
イスラエルがロードマップの受け入れに難色を示す最大の理由は、「治安」「ユダヤ人入植地」「パレスチナ難民」の3大問題に集約される。
シャロン首相は「安全を脅かすようなものは受け入れられない」と断言。暴力の放棄を宣言したアッバス首相が過激派の武装解除に乗り出さない限り、パレスチナ自治区に対する軍事侵攻や過激派関係者の家屋破壊、移動制限などをやめるつもりはないとしている。
ユダヤ人入植地に関しても「非合法なものは撤去し、新たな入植地は作らないが、既に存在する入植地の活動を止めさせることは不可能だ」(シャローム外相)として、自治区からの全面的な撤収に否定的な見解を示している。
さらに、パレスチナ難民の扱いでシャロン首相は「パレスチナ人がイスラエルへの難民の帰還権を放棄しない限り、イスラエルはパレスチナ国家の樹立を認めることはできない」と言明。これに対してアッバス首相は「帰還権はすべてのパレスチナ難民の権利であり、私はこの権利を放棄できない」と真っ向から反発し、解決の糸口さえ見えないのが実情だ。
11日のパウエル・シャロン会談に合わせ、イスラエルは自治区全域で封鎖措置を解除すると発表したが、翌12日には再び、治安上の問題を理由にガザ地区の封鎖を再開した。20日のブッシュ・シャロン会談まで、こうした不安定な状況が続くものとみられる。
■「ロードマップ」とは
05年までのパレスチナ独立国家建設とイスラエルとの平和共存への道筋を示す「ロードマップ」(指針)は、米国と欧州連合(EU)、国連、ロシアの4者で構成される通称「カルテット」が作成。先月30日、イスラエルとパレスチナ自治政府に提示された。
05年までの和平計画は3段階に区分され、今年5月末までの第1段階でパレスチナ側がイスラエルの生存権を認め、暴力の即時無条件停止を宣言。イスラエルはパレスチナ国家の樹立に寄与することを明確にする。
さらに、治安が改善された段階で、イスラエル軍は00年9月末の大規模衝突以降にヨルダン川西岸やガザ地区で占領した地域から撤退し、自治区内での全ての入植活動を凍結する。
また、今年6月から12月までの第2段階で暫定的な国境線を持つパレスチナ国家を樹立。04〜05年の最終段階では、パレスチナ国家とイスラエルとの間で恒久的な地位協定を締結するとしている。【エルサレム樋口直樹】
[毎日新聞5月13日] ( 2003-05-13-01:31 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030513k0000m030139000c.html