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「逃げられぬ」被ばくの地 イラク核施設が略奪で汚染
米軍によるイラク攻撃が最終段階を迎えた四月上旬、イラク中部ツワイサの核施設で放射能汚染が起きた。付近の住民が施設に侵入し、貯蔵庫から盗んだ放射性物質を道端に廃棄、大量の粉末が周辺に飛散したためだ。同施設居住区には核技術者ら約千人が残り、日々募る被ばくの恐怖とともに暮らしている。
「低レベルだが放射能は残った。でもこんな時代にほかの土地で家や仕事は見つからない。逃げ出せないんだよ」。男女四人の子供と広大な同施設の一角に二十年以上住む男性技術者(37)は話した。
この男性ら居住区の技術者が略奪に気付いたのは四月六日。首都制圧を目指す米軍の接近で施設を警備していたイラク軍兵士が逃走、施設の近隣住民らが集団で核物質の貯蔵庫を襲った。
パソコンや事務機などと一緒に住民らが持ち出したのは、黄色い粉状のイエローケーキ(ウラン精鉱)を詰めたドラム缶など。中身は、敷地内の道端に捨てられた。
技術者らは阻止しようとしたが、武装した暴徒は止められない。その後数日間に約四百本のドラム缶のうち約百本が盗まれた。「米軍は略奪前に施設に入ったが、コンピューターのデータ用ディスクを回収しただけで引き揚げた」という。
略奪を知った核科学者らが調査を始めると、村の住民はイエローケーキのドラム缶に飲み水を入れていた。ある男性は「一週間この水を使っているが大丈夫」と誇らしげに胸をたたいた。
略奪の摘発を恐れ、科学者に殴りかかる住民もいたが、中年の女性や家畜の体を調べると、放射線測定機のメーターが振り切れた。イエローケーキが廃棄された技術者居住区付近も、低レベルの汚染が起きていた。
ツワイサは一九八○−九○年代に核武装を目指したフセイン政権の最重要施設だった。しかし八一年にイスラエル軍機が原子炉を攻撃、九一年の湾岸戦争でも米軍の空爆で大きな被害を受けた。
技術者らによると、九一年の攻撃でも放射能が漏れ、修復作業に当たった科学者ら少なくとも七人が放射能が原因とみられるがんで死亡した。
七○年代に原子炉建設に協力したフランス人技師が住んだ同居住区内には約二百五十家族が暮らす。電気技師のアブドル・カリムさん(43)は「金さえあればとっくに逃げ出してるよ」と憤る。
家の外では、強風が巻き上げる黄土色の土ぼこりの中、はだしの少年たちがサッカー遊びに夢中だった。(イラク中部ツワイサ共同=半沢隆実)
(了) 05/11
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq2/news/0512-987.html