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【バグダッド福島良典、小倉孝保】フセイン体制崩壊の発火点となったバグダッド北東部、イスラム教徒シーア派居住地区サダムシティーの暴動の詳細が19日、毎日新聞の調べで明らかになった。サダムシティーにあるイラク貿易省施設に治安・情報当局者が放火したことが大きなきっかけだったことが濃厚となった。統制を失ったフセイン政権の自壊は米軍の予想を上回る速度で進み、フセイン大統領像の破壊に象徴される「首都陥落」に至った。イラク戦争は20日、開戦1カ月を迎える。
複数の住民の証言によると、9日午前8時半(日本時間午後1時半)ごろ、サダムシティー西部にある貿易省食品事務所倉庫から火の手が上がった。その直後、トラックに乗った治安・情報当局者が逃亡。火災発生で職員や警備員も職場を放棄、事務所から逃げ出した姿が目撃されている。
退役軍人のアブ・カイドさん(45)によると、逃亡する男性職員の一人は「治安・情報当局者が事務所にガソリンをまき、放火した」と証言していたという。放火の理由は明らかではないが、アブ・カイドさんは「火災発生後、当局者は金とトラックを奪って逃げた。過去の悪行がばれないように火を放ったのではないか」と推測する。
この倉庫だけでなく、当局者の姿が地区から一斉に消えたのを知った住民らは街頭に繰り出し、略奪へと発展。現場に到着したカタールの衛星テレビ局「アルジャジーラ」のクルーが撮影し、米CNNなどを通じて略奪シーンが世界中に流れた。
ワシントンの米政府筋が明らかにしたところによると、この時、米軍はサダムシティーにまだ入っていなかった。首都包囲網作戦の一環としてシティーに近いバグダッド東部の主要道路を固めていた米海兵隊は、略奪の模様を伝えるテレビ映像を通じ、イラク軍や警官の姿がないことを確認。サダムシティーに部隊を急行させた。このことで住民らは米軍の“お墨付き”と受け取り、略奪を拡大させる結果となった。
同筋は「米軍は、市民による暴動が発生すると予測していたが、まだ時間がかかるとみていた。シティーへの部隊派遣も事前の作戦に沿ったものではなく、現場の司令官が独自に判断したものだ」と証言している。
同じころ、道路をはさみ倉庫向かい側にあるアル・モフセン・モスク(イスラム礼拝堂)の前に住民約150〜200人が詰め掛けた。関係者によると、フセイン政権時代、同モスクは約6年間、閉鎖されていた。住民の一部が封印された正面の門扉のカギを壊し、敷地内になだれ込んだ。
モスクに集まった住民は時間がたつにつれて500人以上に膨れ上がり、シーア派の礼拝を始めた。モスク解放により、抑え込まれていた宗教心が一気に高揚した。
サダムシティーの住民約200万人のほとんどがシーア派で、同派を弾圧するフセイン体制に対する不満が蓄積していた。
住民蜂起を警戒する当局は開戦後、一帯に展開する軍・治安部隊を増強した。住民の一人、アブ・アリさん(38)は「戦争中は検問所など至るところに軍・治安当局者が配置され、息もできない状態だった」と振り返る。フセイン体制崩壊のあっけなさを今も信じられないという。
[毎日新聞4月20日] ( 2003-04-20-03:01 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030420k0000m030111000c.html