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聖地カルバラ 自治色強めるシーア派 宗教祭控え解放感 米統治は警戒
「サダム・フセインはわれわれシーア派を徹底的に抑圧した。だが、イラクが米国に支配されるのは、断固拒否する」−。イスラム教シーア派の聖地、カルバラでは、フセイン体制下で禁止されていたシーア派の宗教祭を控え解放感があふれていたが、住民に聞くとだれもが「米統治拒否」を口にした。具体的な復興の糸口がみえず混乱が続く首都バグダッドを尻目に、カルバラでは十八日、自主行政をめざす評議会が発足しており、イラク中・南部のシーア派地域は今後、「自治色」を強めそうだ。(カルバラ 村上大介)
カルバラの中心部には、六八〇年にカルバラの戦いでウマイヤ朝軍に敗れて殉教した預言者ムハンマドの孫で当時のシーア派指導者フセインと、その兄弟のアッバースの霊廟(れいびょう)がある。そのイマム(最高指導者)フセインの霊廟では、二十三日の哀悼祭を前に、イラク各地から多くの人が巡礼に訪れていた。
道端では、フセイン政権下では禁止されていた宗教画や宗教指導者の写真を売る出店が店開きし、霊廟へはイマム・フセインの緑の旗と預言者ムハンマドを表す黒の旗を掲げ、イマム・フセインの死を悼むグループがひっきりなしに出入りし、シーア派独特の胸をたたいて悲しみを表す動作を続けるうちに、解き放たれた熱狂の渦に巻き込まれてゆく。
「フセイン政権は、シーア派の指導者を数多く殺害、逮捕し、一九九一年の湾岸戦争後のシーア派蜂起のときは政府軍の戦車が十四日にわたり町を破壊し、イマム・フセインの廟を取り囲んだが、そのサダムもいなくなった」。バグダッドから訪れたフセイン・アラウィさん(三二)は、「解放」の喜びを語った。
だが、フセイン政権を崩壊させた米軍については「もしこのまま居座り続けるなら、石や刀だけでも追い出してみせる」と言い切った。だれに聞いても米国への歓迎や感謝の声はなかった。
イラク中・南部を中心としたシーア派社会では、大アヤトラ(最高位聖職者)シスターニ師ら有力宗教指導者がもう一つの聖地ナジャフにある宗教学校「ハウザ・アル・イルミーヤ」を拠点とし、不透明な戦後イラクへの対応を協議している。イマム・フセイン廟で十八日に行われた金曜礼拝の説教では、米国の息がかかったイラク国民会議(INC)のチャラビー代表らへの拒否が言及されており、地元の消息筋によると、説教の基本線はすべてはナジャフの宗教指導者たちが協議して決めているという。
シーア派社会の米国への対応は「期限付きの客人」(カルバラ評議会のズバイディ氏)という言葉に象徴されるように、「当面、敵対はしない」という点に尽きるようだ。米国の暫定統治が長引いたり、その後のイラク政権が米国の傀儡(かいらい)とみられるようになれば、イラク人口の六割を占めるシーア派の“反乱”は米国のイラク戦後運営を根底から揺るがしかねない要素として浮上するだろう。
http://www.sankei.co.jp/news/030420/morning/20iti003.htm