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・まずは駄文・
本日(4/19/17:30)のフジTVのニュース番組「スーパーNews」。
奇跡の救出劇のヒロイン「ジェシカ・リンチ」さん宛に多数の手紙や寄付金(約240万円分)が集まっている、という報道。かくも恭しき皇室報道のような取り上げられ方・・。それはまぁいいんだけど、伝えるものはそれだけでしたか・・?
(夕刻のニュース(フジテレビは得に)って戦争報道の仕方偏ってませんか?木村太郎氏に於いては米迎合ぶりが開戦間もなくから発揮されていて、米擁護発言ばかりだったのでふと気がついたら私なんか一切フジ見て無いんですが(笑)。
さて、"ジェシカ"、"リンチ"で検索。似たような見出しの中に、目にとまった記事があったので載せてみます。
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asahi.com「今日の朝刊」の天声人語より
・・・・・ここから・・・・・・・・・・・・・・
http://www.google.co.jp/search?q=cache:x0mID5TH32EJ:www.asahi.com/paper/column20030411.html+%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%80%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
======================================04月11日付
■《天声人語》
ひとりの戦死者のことが気になっている。捕虜救出作戦で話題をさらったジェシカ・リンチさん(19)の陰に隠れてほとんど報道されなかったが、彼女の友人だったローリ・ピエステワさん(23)である。
2人は米テキサス州の陸軍の兵舎で同室で、イラク攻撃でも同じ部隊にいた。南部のナーシリヤ付近でイラク側の攻撃を受けた。負傷して病院に収容されたリンチさんは救出されたが、ピエステワさんは遺体で発見された。女性兵士としては初の戦死者だった。
彼女はアリゾナ州に居住区をもつアメリカ先住民のホピ族出身だった。地元紙などによると、2人の幼児をかかえるシングルマザーで、出発前には「2人を置いていくのはつらいけど、新しい体験をしたい。いろいろ学んできます」と語っていたそうだ。
彼女がまだ行方不明だったとき無事を祈る集会が開かれた。彼女の兄は「平和とイラクの人々のために祈って下さい」と呼びかけた。なぜイラクの人々のためなのか。「イラクにも傷ついている人がいるでしょう。そして私たちがいま感じていることと同じことを感じているでしょうから」などと。
米国防総省は米軍の死者を102人、捕虜7人、行方不明11人と発表した。イラク側の数字はわからない。チェイニー副大統領は「歴史上最も驚くべき作戦だ」と自賛した。とはいえ、かけがえのない個々の命を代償にしての作戦であることに変わりはない。
ピエステワさんの戦死が伝わった4日の翌日、彼女の故郷に雪が舞った。ホピ族では、魂がお別れに来る知らせだという。
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ここまで。
"ピエステワ"で検索、一件のみ。しかし、同じ内容でも次に上げるこちらはニュアンスが少々異なりすべて美談。また注目するところが個人的に多かった。
ここから。
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「犠牲者か 英雄か」
●イラク戦争 墓碑銘●
バグダッドが陥落したとき、ラムズフェルド米国防長官は「イラク国民にとって良い日だ」と宣言した。“戦勝国”は既に“戦後”に向け動きだしている。犠牲になった人々は置き去りにされたかのようだ。しかし、昨日までみんな生きていた。誰かの家族や友人だった。イラク戦争の「墓碑銘」を集めた。 (早川由紀美、中山洋子)
■米英軍 135人
米国防総省が十日に発表した犠牲者は百五人で、このうち事故や味方の攻撃で死亡したのは十二人としている。英国防省による英軍の死者は三十人だ。一人ひとりは英雄として、死はドラマチックに伝えられる。
ホセ・ガリベイ(21)
米海兵隊員。三月二十三日、イラク軍の待ち伏せ攻撃を受け、死亡したとされる。彼の家族は約二十年前にメキシコから移住した。ホセが生後二カ月の時だった。家族から彼は「天使」と呼ばれていた。
十八歳で入隊。「米国を代表することを誇りに思っていた」と、母親のシモナさん(51)は報道陣に話した。彼も家族も、市民権を持っていなかった。死後、彼が切望していた市民権がホセに与えられた。家族は彼の市民権を受け継ぐことができるという。
同じく戦死した海兵隊員で、同じ日に市民権を得たホセ・グティエレス(28)はグアテマラ生まれの孤児。米国に入国する際、二十二歳だったが、居住権を得るため十六歳と偽っていた。
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市民権のない兵士は全米で三万七千人以上いる。市民権を得るために入隊している彼らは「グリーンカード戦士」と呼ばれる。二人のホセを含め、カリフォルニア州から派遣された兵士で最初の十人の戦死者のうち五人は市民権を持っていなかった。(米ロサンゼルス・タイムズ紙)
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ケビン・メイン(37)
英軍パイロット。二十三日、トルネード機でイラク上空をパトロールし、クウェート国境まで戻ったところで、米軍のパトリオットミサイルに撃墜された。
母親のジーンさんは「原因は何かという問いに、答えるべきだ。ケビンは死ぬはずじゃなかった」と訴える。ケビンが両親と交わした最後の言葉は「僕は注意深くやっている。心配しないで。立派なナビが一緒にいるから」だった。
「ケビンは完ぺき主義者で買い物に行って、荷物を積み込むときですら、きっちりしないと気がすまない子でした」(ジーンさん)。
出撃時にはいつも「高い飛行」という題名の詩をポケットに入れていた。第二次世界大戦で死亡した十九歳のカナダ空軍パイロットが書いた。「手を伸ばし、神の顔に触れた」。詩の一節を引用し、父親コリンさんは「息子がそうできたと信じたい」と話した。(英インディペンデント紙)
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●ロリ・ピエステワ(23)●
米軍兵士。イラク軍に待ち伏せされ、二十三日から行方不明に。女性兵士、ジェシカ・リンチさんが救出された病院の外で遺体で発見された。
アリゾナ州に住む先住民ホピ族出身で、離婚後、四歳の息子と三歳の娘を育てるシングルマザーだった。「ピエステワ」はホピ族の言葉で土砂降りの後に砂漠にできる水たまりを意味する。母親パーシーさんは「ロリは私たちのため『安らかに創造主とともにいる』という、伝言を雪に託してくれました」と話した。
(米アリゾナリパブリック紙)
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■イラク市民 1413―1160人
米国の民間団体「イラク・ボディー・カウント」によると、イラク市民の死者は、開戦から十二日(日本時間)までに最大千四百十三人で、最小千百六十人という。同団体は各国メディアが伝えるデータなどを元に集計している。米英兵士やジャーナリストに比べイラク市民の死は「数」として辛うじて把握されているだけだ。名前が判明するケースはほとんどない。イラク兵に至っては、米軍が「二、三千人」とあやふやな数字を挙げたのみだ。
ターリクの友人たち
三月二十六日午前十一時半ごろ、商店などが並ぶバグダッド北東部の市街地を直撃した空爆で家族四人が死亡した。四人は建設会社社員のターリク(36)の友人たちだった。この空爆で十五人が死亡している。(現地で取材していたジャーナリスト広河隆一氏より)
カーダル(45)
レストランの店員で、二十六日の空爆で死亡した。イラン・イラク戦争や湾岸戦争では兵士として戦った。友人と時折、コーヒーショップで過ごした。開戦二、三日前に「戦争は嫌いだ。なぜこうも戦争、戦争ばかりなのか」と友人に嘆いた。
ジヤ・ハイタル(39)
二十八日午後六時過ぎ、バグダッド市内の市場に落とされたミサイルで被弾、三日後に病院で死亡した。この空爆による六十六番目の犠牲者となった。広河氏が、病院から担架で、遺体安置所に運ばれるところに立ち会った。白い布がかぶせられ裸の足だけが見えた。兄と思われる男性が地べたに伏して泣き崩れた。
顔に血のりの付いた子供たち
二十八日の市場空爆で死亡した。アルジャジーラが安置所に運び込まれる遺体を放映した。一人は四、五歳の女児だった。
イラク南部の検問所で死亡した女性と子どもたち
ナジャフ近くの検問所で三十一日、米軍がイラク人の女性や子供たちが乗ったワゴン車に発砲し計七人(米軍発表)が死亡した。米紙ワシントン・ポストは「死者は十人だった」とする従軍記者の記事で、負傷した女性は子どもの遺体を抱えたまま、車内から外に出ようとしなかったと報じた。部隊の軍医(26)が「あんなひどい光景は見たことない。もう二度と見たくない」と同紙に証言した。
バグダッド市内の遺体
「人間の盾」としてバグダッド南部のドーラ浄水場に寝泊まりしている相沢恭行さん(31)が、地元住民に頼まれて、米兵から二遺体を引き取るのを手伝った。街を歩いていると「米兵が怖くて取りに行けない」と訴えられ、白旗を掲げて代わりに交渉し、遺体を地元住民に引き渡した。
■ジャーナリスト 11人
イラク戦争で犠牲となったジャーナリストは十一人。
タレク・アイユーブ(34)
アルジャジーラ記者。八日朝、同テレビのバグダッド支局を狙った米ミサイルで死亡した。屋上で生中継の準備をしていた。クウェート生まれでヨルダン在住、妻と一歳二カ月の娘ファティマが残された。
ヨルダンのアンマン支局で金融を担当していた。五日前にバグダッドに派遣されたばかりだった。ヨルダン・タイムズの記者でもあった。米FOXテレビなどで働いたこともある。爆撃前夜、妻のディマに電話して「心配しなくていい。ジャーナリストが置かれた状況は悪くはない」と話した。妻との最後の会話だ。
ヨルダン・タイムズの同僚たちが追悼紙面を作った。「双子の娘が生まれた時、彼はすごく喜んだ。だが、娘の一人ナディアは心臓病で亡くなった。それだけに、ファティマの成長に心を配っていた。『昨晩、僕がごはんを食べさせたら、朝になって彼女が変わっていた。笑っていたし、歩き始めたし…』」
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http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20030413/mng_____tokuho__000.shtml
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<<・・リンチ嬢については、ドキュメンタリー以外の映画化になるなら「ナイフの刺し傷や銃痕はない」といっていた家族を口封じ・・してしまえるかも・・しれませんね。ボランティアも集まって、後を立たず美談に涙して送られてくる手紙を整理しては涙してるのだから。
それでも、「違うんだ」と明言してくれたら我々は本当にそれは讃えられますが・・その美談に酔いしれた人々はその場合それを讃えてくれるでしょうか・・一度揚げたあの親父さんの声はどこいっちゃったんでしょうか?>>
昨日見たテレ朝ニューステの、バグダッドで三人の子供を米爆撃で失った父親の嘆きは痛かった。
「朝、"おはよう"と家からでてきた子供が三人とも吹き飛ばされた。こんな風に子供をいっぺんに三人も殺されたら人間はどうなると思う!?ひとりは頭から脳が出ていたんだ。それを手ですくいあげて包帯で(頭を)縛って病因へ連れていった。(しかし、六時間後死亡)」
被害を受けた一般人の現状は数値や論理で固唾けられるものでは無いよ・・やりきれない。でも、だから見続けなければならないと思う。