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一応 私のような不勉強な者も分りやすい内容のものなので、復習の意味も込めて、このような記事を転載します。
東京新聞web(4/17付)より
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イラク復興の『手本』 “自由アフガン”の実態
ペシャワール会で医療活動 中村哲氏に聞く
「フセイン後」の統治機構づくりが米国主導で始まっている。戦後復興の「手本」は、テロとの戦いの最初の標的となったアフガニスタンだという。米国は“アフガン解放”を成功とみなしているようだ。だが、実情はどうなのか。現地で十九年間にわたり医療活動などを続けている「ペシャワール会」の中村哲医師に聞いた。 (中山洋子)
米英軍のイラク攻撃はBBCのラジオ放送で知りました。用水路を造るため、アフガン東部ジャララバード近郊にいた時でした。現地のアフガン人たちは押し黙ったままだった。床にしゃがみこんで祈りをささげる人もいました。「犠牲者が出ないことを祈った」と言っていた。
――先月二十四日に帰国した中村氏は、福岡市内で記者会見を開き『アフガンをぼろぼろにしたようなことをまたやるのか。ゾッとする』と、米英軍のイラク攻撃を批判した。米軍のアフガン空爆はまだ続いている。イラク攻撃を開始した二十日には、アフガン南部カンダハル州でも大規模な空爆を行った。
二十年近くアフガンにいた中で、いまは最悪の状態です。軍閥が割拠する混乱が生まれている。治安も悪化している。カブールは特にひどい。ソ連が侵攻した時ですら、これほどではなかった。一九九六年にタリバンがカブールを掌握した時、徹底的な“刀狩り”を行ったので、北部の戦闘地域を除いて治安は守られていました。だが、米軍がタリバンを追い出し、泥棒や強盗が日常茶飯事になった。普通の市民でも武装している。武器を持たないと危ないからです。
多国籍の国際治安支援部隊(ISAF)は当初「首都だけは守る」といいパトロールなどをしていたが、最近では市内でほとんど見かけない。自分を守るので精いっぱいだからです。
米軍はいつも空にいる。地上でのアルカイダ掃討作戦は、軍閥や傭兵(ようへい)に金と武器を渡してまかせている。
ケシ畑が復活するのもあっという間でした。米国は、タリバン政権が麻薬を財源にしていると声高に非難したが、タリバンはいい意味でも悪い意味でも禁欲的な政権だったので、北部の一部を除いて見事にケシ畑が消えていました。
――先月末、カブールの米大使館近くのISAF司令部にロケット弾が撃ち込まれ、南部では米兵の車両が襲撃され、二人が殺害されている。
私たちの診療所がある東部クナール州で耳にしただけでも米軍がらみの事件が頻発しています。アルカイダ捜索と称して、夜中に村を包囲して寝込みを襲う。しかも女性の居住区域にずかずか入り込んだという。非常に失礼で、許されないことです。検問所を通過しようとして発砲され、住民が死傷した例もあった。
■親タリバン圧勝選挙後空爆激化
昨年十月、パキスタン北西辺境州で、親タリバン政党が選挙で圧勝しました。それ以降、特にパキスタン国境付近で米軍による空爆が激しくなっている。モスクや教会などへの「誤爆」も一、二回ではすまない。
■家族殺され増幅 米国への復讐心
アフガンは徹底した復讐(ふくしゅう)社会です。宗教やイデオロギーとは関係ない。米軍は空爆で普通の農民や子どもたちを殺し、人々を屈辱し、いたずらに彼らの復讐心を増幅させている。
タリバンの時も攘夷(じょうい)主義的なムードはあったが、今はもっと個人的な恨みが募っての「反米」です。
そのため米兵は地上に降りてこられない。最近もクナール州で医療チームを装ってアルカイダの捜索に来た米軍の小型四輪駆動車が故障したが、ヘリコプターで回収していました。
米兵を見たが、あれだけ日差しの強いところで、人形のように色が白かった。基地に閉じこもっているからではないか。
――だが、米国は「アフガンの自由」の実態を省みない。イラク問題とアフガン問題を担当する米国のハリルザド特使は、バグダッド陥落後にカブールを訪れ「アフガンがイラク復興の手本になる」と話した。
難民高等弁務官事務所(UNHCR)は二百万人いたといわれるパキスタンのアフガン難民のうち、百七十万人を帰還させたと発表しました。だが、不思議なことに現在も百五十万人がパキスタンにいる。アフガンで「食えない」ので戻ってきた人々です。もともとパキスタンにいた難民の大半が飢餓
難民でした。アフガンの干ばつはますます深刻になっている。「タリバンの圧政」や「空爆」から逃れた人々はおそらく数万人程度で、どちらかといえば例外に属する。
一、二年前に比べ非政府組織(NGO)もずいぶん減りました。多くは世界的なニュースとなる場所に集まっています。
今でいうとイラクのクルド自治区です。ただこれは、今に始まったことではない。八八年に旧ソ連がアフガンから撤退した直後には二、三百の団体が現地に入り、派手な難民プロジェクトを開始しました。だが、九一年一月に湾岸戦争が始まる直前にはほぼすべての団体がプロジェクトを停止して引き揚げました。見事な逃げ方だった。
■米国の追従者 日本人にリスク
――先月二十三日、イラク戦争に反対し、アフガンで初めて行われた反戦デモでは、星条旗や英国旗とともに日の丸が焼かれた。
イラク戦争で率先して米国に賛成したことで日本人がリスクを負いつつある。アフガン人はとても親日的で、日本人であることで命が助かったことは何度もありました。だが、今回の戦争でアフガンの人々は、日本が米国の追従者であることに気づき始めている。
赤十字やNGOも襲撃されています。祖国を踏み荒らす「有害無益な人間である」と見なされているためでしょう。少なくとも、タリバン政権は国際機関に手出しはさせなかった。暫定政権は、米兵に守られて辛うじて存在している。現地の人々は「カルザイはアメリカの人形で、米軍が出ていけば、一日と持たない」と言っています。
バグダッド陥落で米軍を歓迎する市民の映像が繰り返し流されているが、人々は生きるためにはどんな旗でも振る。アフガンの人々もそうでした。カブール陥落のときもそうだったし、タリバンが入ってきた時も、旧ソ連軍が侵攻した時でさえも…。
アフガン東部の田舎町は今も、タリバンと北部同盟と暫定政権の三つの旗を掲げています。どんな為政者がきても「私たちは敵ではない」という意思を示すためです。生まれたところで普通に暮らすことができれば、どんな政権でもいい、というのが人々の思い。それすら守られないのが、米国がアフガンにもたらした「自由」の中身です。
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◇なかむら・てつ 一九四六年福岡市生まれ。八四年からパキスタン北西辺境州とアフガンで医療活動に従事。ペシャワール会の現地代表。同会は一病院と四診療所を現地で運営、年間約三十万人を治療している。二〇〇〇年からアフガンの干ばつ対策として約八百カ所で井戸を掘り、十六キロのかんがい用水建設に取り組んでいる。
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ここまで。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20030417/mng_____tokuho__000.shtml
より転載。