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イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷・東京1983
イスラエルに住むパレスチナ人として (3)
タウフィーク・ザイヤード(83年当時イスラエル国会議員・ナザレ市町)アラブ人
カハン委員会
第六番目は、サブラ、シャティーラに関するイスラエルの責任問題です。たぷん国際世論にとっては、このサブラ、シャティーラは一つの異例なできごとを意味するかも知れません。しかし、一九四八年以来、パレナチナ人の全歴史は虐殺の連続だったといっても過言ではないのです。デイル・ヤーシーンもカフル.カーシムも計画的な虐殺でした。一九四八年に占領されたほとんどすべての村々で、虐殺が行なわれたのです。サブラ、シャテーラ、ベイルートその他あちこちに起こった虐殺は、イスラエル占領当局と歴代のイスラエル政府の計画的な虐殺の一環に過ぎないのです。
第七、私たちは、世論のつきあげで政府が任命したカハン調査委員会に前向きに注目しました。サブラ、シャティーラの虐殺を調査したこの委員会の結論は、しかし充分なものではありませんでした。さらに、この調査委員会の結論さえも実行に移されませんでした。シャロンはイスラエル政府の閣僚としていすわり続けています。シャロンだけに責任があるのではないのです。ベギンにも同じ責任がある、シャミール外相にもエイタン参謀長にも、そしてもっともっと多くの政治的、軍事的指導者たちに同様の責任があるのです。
しかしここで強調したいのは、少なくとも彼らは、シャロンを国防相の地位からははずさざるを得なかったということです。このことはある意味では、レバノン侵略が全体として、その目的を達成することができなかったことを、告白するものだと言えるでしょう。またシャロンもある意味ではイスラエル政府全体のスケープゴートにされたと言えます。ここで一つ指摘したいのは、この調査委員会の報告書には秘密の部分があったということです。私は読んではおりませんし、公表もされていませんが、その部分にいったい何が書かれているのかは誰にでも想像がつきます。この委員会はまた、サブラ、シャティーラの三日問を調査しただけで、レバノン各地の九ヵ月にわたる占領下でいったい何が起こったのかについては調査していません。
イスラエルの占領政策
レバノン侵略の主要な目的はまた、ヨルダン川西岸、ガザ地域の"占領地〃における愛国的な闘いの背骨を打ち砕き、愛国勢力と人民に降伏を押しつけることでした。この戦争はキャンプ.デービッド合意の当然の帰結であるとも言えます。彼らは現在いわゆる「自治」なるものを押しつけようとしていますが、私はこれを「自治」とは呼ばず、「ベギノミー」(ベギン支配)と呼びたい。なぜならば「自治」は、ベギンの考え方でいけば、完全な併合を意味するからです。彼らは全力をあげて、流血と銃火でもって、「村落同盟」なるかいらい団体これはイスラエル占領軍の協力者なのですが―これを住民に押しつけようとしています。
しかしわたしは、この事態のもう一つの側面をも指摘したいと思います。それは、アラブ・パレスチナ人の英雄的な闘いが途切れることなく繰り返し巻き返し起こっているということです。この闘いは、ベイルートでだけ行なわれているのではなく、〃占領地"でも毎日のように闘われているのです。〃占領地"の人々はこぞって占領を拒否し、全員がPLOのもとに団結し、PLOの闘いと指導を完全に支持していることを内外に示しているのです。
〃占領地"では新たな入植地が引き続き建設されています。このことはとりも直さず、毎日のようにわが同胞が自らの土地や村々から追い出され、代わりに反アラブのシオニスト狂信者、過激分子が入植者として、ここに送りこまれていることを意味します。イスラエルの計画によると、きたる二、三年の間に一〇〇の入植地を、また六、七年の問にさらに二〇〇の入植地を建設することになっています。また入植地は"占領地"内の一部の地域に散在するのではなく、"占領地"全土に広がっているのです。家屋の破壊、指導者・市長・労働組合活動家の追放、政治囚の拷問等々、すべては"占領地"のパレスチナ人を追い出し、新たに入植者を導入するための手段なのです。入植者たちはイスラエルの最も狂信的な政治勢力のための私設軍隊のようなものです。彼らは皆武装しており、"占領地"の無防備の住民をいつでもどこでも好きなように攻撃します。
もう一つ指摘したいことがあります。彼らはいつも"占領地"の将来の人口構成について云々し、これを七〇万、八0万のパレスチナ人の"占領地"からの追放計画と結びつけようとしています。これはすでに新聞でも報道され、アロン・ヤーリヴ元将軍によって暴露された計画なのですが、"占領地"のアラブ人口が多数を占める状況に歯止めをかけようというものです。
イスラエル国内で何が起きているか
第八点、一九六七年以来の占領軍の維持ならびに去年のレバノン侵略は、イスラエルそのものに破壊的な影響を及ぼしてきました。非常に危険な反民主主義的な動きが、イスラエル内で強まっています。これは人間的な価値をつき崩しています。暴力がまん延し、当局問、あるいは当局・市民間の関係が不穏になっています。
〃占領地"全土がイスラエル経済の市場になっていることは、誰の目にも明らかです。"占領地"経済は完全にイスラエル経済に依存するような形で、安い労働力市場となり、多分に植民地経済的になっているのです。しかしそれにもかかわらず、イスラエルのインフレは年率二二〇%の増加を示し、一九七七年五月以来、過去六年間のインフレは四七九%にも達します。一九七七年の対外負債は一二〇〇万ドルでしたが、一九八二年九月にはこれが二五五〇万ドルに達しました。ここで申しあげたいのは、イスラエル内の狂信的、好戦的な反アラブ分子が、対アラブ・パレスチナ人戦争を、これはイスラエル人の利益にかなったことだとして描き出そうとしてきたにもかかわらず、事実はその逆だということなのです。そして、もしもアラブ・パレスチナ問題が正しく解決され、イスラエル軍のレバノンからの即時撤退が実現することになれば、それこそが、イスラエル人およびパレスチナ人の真の利益にかなったことになるのです。
イスラエルの悲劇は何か。それは、リクード連合も最大野党の労働党も、多かれ少なかれ、同じ政治路線を追及しているという点です。彼らはいわゆる「イスラエルの三つのNO」を旗印としてかかげています。一九六七年の国境まで撤退することにNO、アラブ・パレスチナ人民の民族自決権とアラブ・パレスチナ国家の承認にNO,PLO承認にNO。それはパレスチナ国家もPLOも認めないということです。
そして、もう一つイスラエルの悲劇があります。それはイスラエル国内の平和勢力が、イスラエルに別の道の選択を迫るほど強くないということです。だからこそ、国際世論あるいは国際連帯運動が、中東問題に正しい解決をもたらすために、闘うべきであると思うのです。
ここでわたしは、イスラエル内部の平和愛好勢力、ユダヤ人の平和愛好勢力が果たしている、非常に重要な役割を強調したいと思いますイスラエル国民白身もこれらの戦争の代価を支払っているわけですから。この問題に関して正しい解決をもたらすために、全世界からさらに広範な世論を巻き起こすキャンペーンが組織されなければなりません。
アメリカの中東における構想
第九番目の問題点として、アメリカの役割をあげたいと思います。
まず陪審員の方々には、二年前イスラエルとアメリカの問で、戦略的合意なるものが締結されたことを想い起こしていただきたい。ここでわかったことは、イスラエル政府の政策が及ぼす影響は、何もパレスチナ問題に限られるものではなく、これよりもさらに危険な内容をもっているということです。わたしたちの目からすれば、このような合意は何よりもまず、アラブ世界、アラブの進歩的な政権に対する脅威です。しかもアラブだけではありません。中東、アフリカ、アジア、さらにラテン・アメリカの進歩的な政権にとっても脅威となるものです。
そうして、これはもうすでに証明済みのことなのですが、世界のどこかに反動的政権、ファシスト政権があれば、彼らの手中には必ずイスラエル製の兵器が握られています。このことはとりも直さず、イスラエル政府が大きな戦略とか、軍事独裁とも呼ぶべき体制のなかで、さらに大きな役割を果たしていることを意味します。イスラエルの戦争はまた、アメリカ製の兵器の性能を試す実験室なのです。
キャンプ.デービット合意の目的は二つあります。つまり、パレスチナ人民の参加なしに不公正な解決を、ソ連を排除したところで押しつけようというものです。しかし、パレスチナ人民とソ運抜きに、パレスチナ問題の正しい解決はあり得ません。キャンプ・デービット合意は、すべての和平プロセスからのソ連の締め出しをねらうもので、アメリカは中東における自国の侵略構想にそって、パレスチナ人民に不公正な解決を押しつけようとしています。ハビーブ特使がときどきやってきたり、カーター氏も何やらやっています。キッシンジャー氏も中束に派遣されるかも知れません。他方でアメリカ政府は、あちこちで親パレスチナ的な、もしくは親アラブ的な装いをこらした声明を発表したりしています。アラブのことわざに、「あいつはお前を殺し、お前の葬式にも参列しようというやつなんだ」というのがありますが、私たちは誰にも私たちの葬式なんかに出て欲しくありません。私たちの葬式に参列したいばかりに、誠実を装ってもごめんです。わが人民に対する陰謀などごめんです。このような民族皆殺し政策などごめんです。
パレスチナ人民は過去一貫して、平和は単に可能なだけでなく必要なのだ、という立場を堅持してきました。最近特にそういう立場を明確にしています。しかし平和への唯一の障害は、イスラエルの拡張主義政策なのです。パレスチナ人民は、一九六七年の境界線へのイスラエルの撤退およびパレスチナ独立国家と民族自決権の承認にもとづいた解決を受け入れる用意があります。準備はできているのです。しかしこの解決を妨げている唯一の障害が、イスラエル政府の政策なのです。
しかし、私たちは悲観論者ではありません。国際世論の緊急の任務はまず第一に、イスラエルのレバノンからの撤退を実現させることです。そしてレバノン国民に自らの問題を自ら解決する可能性を与えなければなりません。他国の内政に干渉する権利など誰にもないのです。そして撤退はレバノンからだけでなく、一九六七年の〃占領地"からも行なわれなければなりません。パレスチナ問題が解決されなければ、中東は常に戦争の心理状態にさいなまれ続けるのです。したがって中東における継続的な戦争の原因を取り除き、アラブ・パレスチナ人民の民族自決権を認めなければなりません。私たちは楽観しています。歴史というものが、イスラエル国会や政府の決定どおりに動くものではなく、客観的な条件にしたがって発展するものだからです。
イスラエル国内のアラブ市民
証言を終わるにあたって、イスラエル・パレスチナ問題の中で、いままでなおさりにされていた問題を指摘したいと思います。
私はナザレ市の市長です。ナザレは聖なる町です。同時に、アラブ人の町なのです。イスラエルには約六〇万のアラブ人がイスラエル市民として暮しています。私たちは法律的観点からするとイスラエル国家の市民ですが、民族という観点かちすると土着のアラブ・パレスチナ人に属します。私たちは人種差別に苦しんできました。イスラエルの建国以来、私たちは人間が空気を吸うように、生活のありとあらゆる面で、人種差別の空気を吸ってきました。一九四八年の建国以来、私たちの土地は没収され続け、現在では八○路以上のアラブ所有の土地がすでに没収されています。イエス.キリストになじみの深い歴史的な町ナザレでは、新しい墓地を作ろうにも、私たちには充分な土地がないのです。死者たちを、イエス・キリストの時代の墓地、いやそれよりももっと古い時代からある墓地に埋
めているのです、
教育の問題も深刻です。学校、教室が足りません。何千という教室が足りないのです。アラブの町や村々には、アラブ人の働く場所がありません。この人種差別のために、アラブの町や村々は、イスラエル人のために労働をする者の大きな「ホテル」に変えられてしまいました。大多数のアラブの労働者は、町や村を朝出て夕方帰ってくるという出稼ぎをしているのです。
私がこのようなことをお話しするのは、まず第一に、そうすることが私の義務だと思ったからです。第二に、イスラエル国家の初代大統領ヴァイツマンがかって、「全世界はイスラエルをそのアラブ市民に対する態度で判断するだろう」と言ったことがありますが、その態度はほかならぬ人種主義政策に根ざしています。もしもイスラエル政府が、白国のアラブ・パレスチナ市民と共存できないなら、外にいるアラブ・パレスチナ人とどうして共存できるでしょう。この問題は一見ささいなことのように見えるかもしれませんが、実は大海のすべてが凝縮された一滴の海水のようなものなのです。陪審員の方々は、このことを考慮に入れていただきたいと思います。
〈質疑応答〉
エドゥァルド・デル・リオ
レバノン侵略がナザレや他のアラブ人の町にどのような影響を及ぼしたか、お話しいただけませんか。つまり、イスラエル政府はパレスチナ人市民に対して、どのような特別の措置をとったのでしょうか。
ザイヤード
まず陪審員の方々に、少数民族の立場にあるわたしたちの状況を説明させてください。それは、四六時中人質になっているような気持ちなのです。一九五六年、六七年、七三年の戦争、七八年のリター二ー作戦、八O年の戦争と、すべての戦争を通じて、私たちはどんなことでもされかねない、そんな人質のような気持ちでおりました。レバノン侵略を契機に、こうした感情は一層強まっています。イスラエルは現在、私たちを抑圧する動きを一層エスカレートさせています。特にこの三、四ヵ月、土地の収奪が、あの有名な一九七六年三月三十日の「土地の日」のストライキの前、つまり、一九七五、七六年よりももっと大きなスケールで起こっています。現在の土地収奪計画は、七五年の計画当時よりももっと大規模なものです。
また警察などを使った直接の弾圧も,さらに厳しくなってきました。たとえば、一九八二年九月二十二日に、イスラエル内のアラブの町や村々でゼネストが行なわれました。ナザレでは一〇〇%のストライキでした。警察は銃を使ってこのストライキを潰そうとし、四四人が負傷しました。もちろん何百人もの人々を逮捕し、民事法をたてに彼らを裁判所や監獄送りにさえしています。同じようなことが、イスラエル内のアラブ・マイノリティに対してなされているわけです。これはまた、一般的にいって、イスラエル社会内の反民主主義的潮流を醸成することにもなっています。
アメリカとイスラエルとの関係
武藤一羊
あなたの国とその近隣諸国の状況をつくり出すにあたって、アメリカが一定の役割を果
たした、ということをあなたは述べられました。レーガン政権が全世界を一つに結びつけようという特別の軍事戦略を持っているのは明白です。このレバノン侵略も、中東に的をしぼったレーガンの軍事戦略の一環を成すとお考えですか。つまり、レーガン戦略に加担する国々の共謀だった、また先頃も犯されこれからも再び犯されるかも知れないこの犯罪が、共謀してなされたものだったとお考えですか。
ザイヤード
イスラエルの政策は全体としてアメリカの戦略の一部を成しています。中東だけでなく、ラテン・アメリカ、アフリカもその対象に入っています。イスラエルの戦争はアメリカの兵器の実験室だということは先ほど申しあげました。
しかしアメリカは、ときどき自分では直接手を下したくないような汚い仕事を、イスラエルにやらせています。たとえば、南アフリカとの関係です。イスラエルと南アフリカは共同で原水爆や新兵器の開発、製造を行なっています。これはほんの一例です。イスラエルのアフリカに浸透しようとするもくろみは、その他の地域におけると同様、アメリカの新帝国主義構想の一環です。たとえばイラン革命のあと、ベギンは革命そのものに脅迫を始めましたし、二年前のバグダードの爆撃にしても、アメリカのイラクに対する圧力の一環なのです。このような例は枚挙にいとまがありません。
しかしここで私が正直に言いたいのは、イスラエル軍とイスラエルの占領に間接的にせよ依拠しているのは、アメリカの指導者たちだけでなく、アラブの支配者、アラブの政権のなかにもそうしたものたちがいるということです。これはアラブの愛国的、民族的運動を弱体化させるためです。わたしは民族の名誉にかけて正直に言っているのです。闘いをすすめるにあたって、我々アラブ・パレスチナ人は決して狂信的排外主義者ではないということを知っていただきたいからです。我々は、アラブの支配者の侵略や弾圧に反対しているのです。わたしたちの闘いは民主主義、愛国主義に根ざしたものであり、狂信的排外主義とは縁もゆかりもないものです。アメリカはイスラエルを最大限に使っています。ときには反動的なアラブの政権を維持し、テコ入れするためにもイスラエルを利用していま
す。そしてその力で、アラブの民族解放運動、反帝国主義運動を弱めようとしているのです。そしてイスラエルの力を、ときには直接使用されなくても、中東におけるアメリカの石油の利権を守るのに役立てているのです。これは中東ばかりではありません。アメリカはいわゆるソ連の進出、ソ連の影響力を弱めるためにイスラエルを使っているのです。これがアメリカの世界における帝国主義的野望であり、そのためにこそイスラエルの軍事力が必要なのです。
R・K・ガルグ
それはソ連の影響力を阻止するためだけでしょうか、それとも日本やヨーロッパからの競争をも駆逐したいからなのでしょうか。
ザイヤード
もう少しはっきり申しあげましょう。イスラエルでは、イスラエル政府と野党労働党の選挙での争点はただ一つ、「どちらがアメリカとより仲が良いか」ということです。いまやイスラエルの支配者は、ヨーロッパでも日本でも、世界のありとあらゆるところで孤立を深めていることを、私たちは知っています。国際世論に対しても、またヨーロッパの政府関係者に対してさえも、立場が弱くなっています。ここに、中東に平和をもたらすことが自らの利益にかなうことだと信じる、ヨーロッパや日本などすべての政府の果たすべき重要な役割があります。
こうした政府は、アメリカの戦略計画のために矛盾につきあたっています。しかし彼らは、現在立場を変化させつつあると思います。重要なことは、ヨーロッパ―いやヨーロッパだけではなく―すべての西側、東側諸国には、アメリカ政府に対して圧力をかける任務、そのアメリカにイスラエルに対して圧力をかけさせる任務があるということです。西ヨーロッバも日本も、そしてその他の国々も、国連憲章にもとづいてこの問題を解決するために、アラブ人、アラブ・パレスチナ人と当然のこととして手を結ぶことができるのだと信じています。そうすることは、自らの経済的利益にもかなうことなのです。
ガルグ
ヒットラーがユダヤ人の皆殺しをはかったと同じように、パレスチナ人の皆殺しを企てるベギンは、ヒットラーの再来と呼べるでしょうか。
ザイヤード
わたしの考えでは、あの当時と今日は歴史的な条件も違いますから、新たなヒットラーが出現できるとは思いません。しかし、一つの民族を抹殺するために、ヒットラーである必要はありません。ベギンの政策は、アラブ・パレスチナ人民の存在そのものの否定にもとづいています。かつていわれたアラブ・パレスチナ人などはいない、そんなものなど存在しない、存在するのはイスラエルの領土に住むアラブ人だけだ、という言葉もまだ記憶に新しいところです。これはアラブ・パレスチナ人の民族としての存在そのものを否定しているのです。
第二に、パレスチナ人が一人殺されれば汚染だが、全パレスチナ人が抹殺されれば解決なのだと彼らはいいます。このように、イスラエルの公の政策がアラブ・パレスチナ人の民族皆殺しにあることは確かなことです。そして皆殺しとは、その民族を一人残らず殺してしまうということではなく、政治問題を解決するのに、皆殺しの方法を使用するということなのです。
ガルグ
それは広島で使用されたような武器を用いなくても可能ですか。
ザイヤード
原爆使用の可能性が、イスラエル政府の公式の考え方の一部であるということを、ここに指摘したいと思います。アレンス新国防相は、原爆と原爆を塔戴するための爆撃機の製造の推進者としてよく知られています。しかし、ここにこそ国際世論が果たすべき大きな役割があると思います。
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イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷・東京1983
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