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報告者:アブ・ハバル
民のかまどに煙は見えるか 2003年04月18日
昔々、日本の天皇は国民がまともに食事をとれているか、ということを気にされたという話を聞いたことがある。
どんな先進国でも、国民の大半は政治に対する関心よりも、自分の個人的な満足に対する関心の方が強い。今の時代で言うなら、月に一度か二度は外食できているか。家族は人並みの服装が出来ているか。若い女性なら月に一度は美容院にいけているか、ルイ・ビトンの製品をひとつぐらいは持っているか、というところであろう。
アラブもそうした大衆の意識レベルはそう日本と変わらない。あるいは日本人よりももっと基礎的な満足に重点を置いているのかもしれない。きちんと食事が出来ているのか否か、そのなかには甘いお茶とお菓子も必需品目に加えられている。
昨年イラクを訪問した折、私の関心は、質はともかくとしてイラク国民が食事に困っていないかということと、少しだけの贅沢であるお菓子と甘いお茶が飲めているかという点だった。そのことについて当時のイラクは満たされていた。
形式的な小額を出すことにより、政府から最低限の食料を支給されていた。もちろん水と電気は供給されていた。病院も薬品不足とはいえ一応運営されていた。
アメリカによってサダム体制から解放されたイラクは今どうなのだろうか。水と電気は支障をきたしている。病院では盗難、強盗が発生し薬品どころかベッドすらない状態に陥っている。とても治療などまともに出来る状態では無いということだ。
食料はといえば、現在イラク国民の多くが消費しているのは、サダム体制下に前倒しに支給されたものであろう。しかし、それらの食料品があるのは時間の問題で、その蓄えは近い将来底が尽きることになるのは明白だ。
イラク国民の本音からすれば、サダム体制を支持していたというよりも、サダム体制下では最低限のものが支給され、保証されていたということが重要だったということだ。
イラクは現在アメリカの支配下にあって、基礎的な物資に事欠いている。アメリカ政府は必死に物資の供給を進めているが、なかなか追いつかないというのが実情だろう。2000万人を超える人口を養うということは容易では無い。政府の機関が麻痺状態にある今、例え物資が十分にあったとしても、それを国民全体に満遍なく配分することは困難であろう。そうだとすれば、イラク国内の消費物資不足は当分の間続くということになろう。
そこで、イラク国民の間から出てくるであろうアメリカに対する非難は「サダム時代の方がましだった」「アメリカの援助は皆イラクの石油を売った金であり、アメリカは援助の名のもとに物資を売りつけているに過ぎない」ということになるのでは無いか。
イラク人に限らず、アラブ人は一般的に要求は厳しい。独裁下では別だが、自分の権利の主張も相当に強硬だ。そのイラク人の満足、アメリカが自由の雰囲気の中で何処まで満たせるのか見物だ。
アラブのリーダーにとって重要なことは、国民の胃袋を食物でいっぱいにすることだ。それ無しの国民の服従は望みようが無い。アラブのリーダーにはその集団の構成員に、十分な食料と安全、強い指示を与えうる者のみがなれるということを忘れてはなるまい。
アメリカにはアラブのリーダーになる資格があるのか。
http://www.tkfd.or.jp/news/meast/1_20030418_1.shtml