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(回答先: サダム説得に屈服亡命説はロシアからのロイター記事もある。バグダッド市街戦回避、やはり、あのマッチョは、そんなことかな 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 17 日 00:59:13)
<<<前掲記事拙訳>>>
4月12日モスクワ発(ロイター):サダムはロシアの最後の一分に賭けた呼びかけに従うことを拒絶(turned down)した.
http://hotnews.lycosasia.com/worldnews/7000085665_C.html
ワールド・ニュース
サダムはロシアの最後の一分に賭けた呼びかけに従うことを拒絶した.
12 Apr 2003 01:47
By Clara Ferreira-Marques
モスクワ(ロイター)−米国がバグダッド総攻撃の火蓋を切って落とすわずか3日前,老練なクレムリンの使節はサダム・フセインに対し,イラク指導者の地位から身を引くことを懇請した.
イラクの独裁者は,エヴゲニー・プリマコフ(Yevgeny Primakov )の言葉を聞くと彼の肩をたたき,あとは何も言わずにその部屋から歩み去った.
米国が主導するイラクへの攻撃を払いのけるために,最後の一分に賭けたロシアの最高機密使節に対するサダムの挑戦的な返答は,金曜日の遅い時間,イラクの古い友人でありサダムとは旧知の間柄である前ロシア首相プリマコフによって明らかにされた.
プリマコフ(73歳)は,大統領ウラジーミル・プーチンが彼を3月17日(米国主導の攻撃の戦端が開かれ,サダムの運命が確定するわずか3日前),のるかそるかの重大任務を帯びた使節として送り出したと語った.
ロシアのテレビに登場したプリマコフは,サダムの宮殿のひとつにおけるドラマティックなサダムとの彼の最後の出会いを思い出しながらこう語った:”私は彼に言いました,「もし,あなたがあなたの国を愛し,あなたの国民を愛しているのなら...そして,もしあなたがあなたの国民をこのような犠牲から救いたいと思うのなら,あなたはイラク大統領というあなたの地位を離れなくてはならない.」とね.”
”私は彼に言いました.この提案を受け入れることが彼にとってどれほど困難であるか,それが彼の人生をどのように変えてしまうかを私は重々承知している.しかし,彼がそれを為すのはイラクのため,彼の母国のためであることを理解すべきだ.”とプリマコフは語った.
彼は,彼がサダムに亡命を勧めたのかどうか,あるいは脱出すべきどこか特別な国を提案したのかどうかについては,何も話さなかった.クレムリンは,サダムにロシア国内の避難所を提供することについてはつねに否定してきた.
前述したようにプーチンは,かつてロシアの対外諜報機関を統括し,外務大臣を務めたこともあるプリマコフを3月17日の早い時間に呼び出した.
”(プーチンは)言いました.この仕事は延期するわけにはいかない.飛行機が待ってるんだ.朝のうちに立ってくれ.”と彼は話している.
プリマコフがこのような緊急の使命を帯びてイラクに行くのは初めてではなかった.
中東専門家としてまたサダムの長期にわたる友人として,彼は1990年中に2回もバクダッドに向け旅立っている,イラク軍をクウェートから追い出すためのアメリカの攻撃を回避するために払われたソビエトの気違いじみた努力の一環として.
そのときも,今回と同じく失敗であった.
目下の危機の中で,金曜日に彼はもう一度バグダッドに飛び,”私はイラクに生まれた,そしてイラクで死ぬだろう.”というサダムの返答を持ち帰った.
金曜日に彼は,彼の3月の使命を振り返って,彼がサダムに示した提案は当初石のような沈黙で迎えられた,と話している.
”最初,彼は私の話を無言で聞いていました.それから彼は言いました,湾岸戦争のときにも,ロシアは彼を説き伏せようとしたが,結局のところ陸戦は避けがたいということになってしまった.”とプリマコフは語った.
”それから彼は,私の肩を叩いて出てゆきました.”
プリマコフは,モスクワは戦争を避けるためにできることはすべてやった,と述べた.
”ロシアとウラジーミル・プーチンはこの恐ろしい戦争を阻止するために最後の最後まであらゆることをやりました.恐ろしい,というのは,それがいったいどんなことになるのか,まだ分らないからです.”
イラクと以前からの関係を保っているロシアは,軍事力を用いてサダムを倒すことに一貫して反対してきている.