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テレビでは報じられない「陰の戦争」
バグダッドを陥落させた米軍の情報・心理戦に迫る
汝の敵を知れ―これが戦争の鉄則だ。かつて米軍はベトナムで、「無知」の大きな代償を払った。
イラクでの開戦前、米軍の心理戦担当官は文化的分析に力を入れた。たとえば、アラブの荒くれ者は男らしさを侮辱されると我慢できない、というように。そこで米軍は、バグダッドに向かう車両に大型スピーカーを載せ、イラクの男は性的不能だとアラビア語で流し続けた。
民兵組織サダム・フェダイーンの兵士たちが、米軍の挑発に乗ったのか、攻撃の機を見て取ったのかはわからない。いずれにせよ確かなのは、大勢の兵士が塹壕から飛び出して攻撃に出たこと、そして米軍に殺されたことだ。
「この地域では、行動より言葉がものをいうことも多い」と、」米軍の心理戦担当官は言う。『解放』がもたらす混乱米軍は長年、力で敵を圧倒しようとしてきた。知力で出し抜くというのは、比較的新しい考え方だ。イラク攻撃前に国防総省の高官は、「敵の頭を混乱させる」と本誌に語っている。
だがフセイン政権のあっけない崩壊は、ブッシュ政権内の主戦派にとっても意外な結果だった。戦場の指揮官たちも驚きを隠さない。
カタールのドーハにある米中央軍司令部では(薄暗い倉庫に「統合作戦センター」が置れている。その倉庫内でさらに有刺鉄線で囲まれたテントの中には、ハイテク機器とコンピュータが並び、プラズマの大画面に戦場の様子が映し出されている。ここで指揮官たちは、起きることのない戦闘を待ち続けていたのだ。
米軍がバグダッド近郊に到達したら、サダム・フセインは生物.化学兵器を使うだろう―彼らは.こう考えていた。それが実際には、組織的な低抗ばほとんどなかった。
統合作戦センターではノートパソコンをひざにのせた高官たちが、装甲車両の車列が時速60キロでバグダッド中心部に進入する映像を見つめていた。当直主任の大佐がつぷやいた。「まるでスムーズだ」
だが少なくとも当面、「自由」はイラクに混乱と内戦をもたらしかねない。米軍が秩序を回復させ、イラク国民が統治の枠組みを確立するまで無法状態は続くだろう。
アメリカをテロから守り、中東を変革するという壮大な戦略において、イラクの「解放」は今もまだ危険の大きい賭けだ。だが軍事力の誇示として、「イラクの自由」作戦は大成功を収めた。成功のカギは、米軍のスピードと正確さ、それにイラク軍の無能ぷりだった。
従軍取材によって、テレビは戦場における米英兵の活躍を伝えた。
しかしその陰で、テレビ画面には決して映らない戦いが繰り広げられていた。特殊部隊とCIA(米中央情報局)による秘密作戦と、イラクの精鋭部隊を事前にたたきのめした空爆作戦だ。
ブッシュ政権は、イラク以外の独裁者たちにも「衝撃と畏怖」を与えることを企図していた。たとえば、シリアやイランだ。
フセインの唯一の活路は、米軍に多くの犠牲者を出させて尻込みさせることだった。しかも現実に、その手段は数多くあった。
バグダッドヘ通じる橋という橘を爆破する。ダムを破壊して洪水を起こし、進路を狭めて待ち伏せ攻撃する。橋の手前で足が止まったところを攻撃する。あるいは油田に火を放つ、上空から有毒ガスをまき散らす……。だが、フセインは一つも実行しなかった。
なぜなのか。ピーター・ぺース米統合参謀本部副議長は、こう語った。「(フセインは)死んでしまったか、世界最低の将軍であるかのどちらかだ」
米軍部隊の進軍も知らず
先週末の時点で、フセインの生死に関しては情報当局内でも見方が分かれたままだ。フセインは死んだと話す副官の交信が傍受されてはいるが、国外に逃れたか、故郷のティクリートに潜んでいるのかもしれない。
開戦当夜のイラク指導部を狙った「断首攻撃」か、バグダッドの
マンスール地区への先週の爆撃で死んだ可能性もある。生きているとしても、取り巻きが悪い知らせを耳に入れているとは考えにくい。
フセインは、スターリンが赤軍を率いたのと同じやり方で軍を動かしてきた。郡隊の指揮官は、独断で行動すれば銃殺刑にされかねない。だから、ひたすら命令を待
つのが筋だった。
しかし米軍の攻撃でイラク軍は通信を寸断され、指揮系統を失う状態に陥った。携帯電話を使おうにも、電源を入れただけで上空の米軍機に電波を探知され、精密爆撃を受けることになる。爆撃が激しくなると、イラク軍は自転車による伝令に頼るしかなくなった。
そもそも、イラク軍の指揮官たちは米軍の前進を把握していなかった。記者会見で懸命に嘘を重ねるモハメド・サイード・サハフ情報相の姿に、アメリカ人は恐ろしさを感じたほどだ。なにしろ、バグダッド市内を走る米軍戦車の様子をCNNが世界に伝えている最中も、アメリカの「犯罪者たち」は粉砕されたと語っていたのだ。
しかし、サハフはプロパガンダを読み上げていたのではないのだろうと、ある米軍高官は言う。他の政権幹部ともども、米軍の進軍状況を本当に知らなかった可能性があるというのだ。
対照的に米軍の司令官には、これほど戦況が見える戦争はなかった。控えめなトミー・フランクス米中央軍司令官が開戦時に、「まったく前例のない作戦」になると強気の発言をしたほどだ。
賄賂で油田炎上を阻止
野心的でも独創的でもないフランクスは、「たたき上げの将軍」と思われてきた。だが、ドナルド・ラムズフェルド国防長官から質問攻めにされながら、フランクスは創造的な作戦を練り上げた。
「イラクの自由」作戦のカギとなったのはスピーディーな秘密行動であり、特殊部隊とCIAが重要な役割を果たした。
中央軍司令部の幹部が本誌に語ったところでは、この作戦は、イラク軍を動く前に無力化させる「予防戦略」だった。開戦の数カ月前から、アメリカ側はイラクに特殊工作員を潜入させていた。アラブ系や中南米系のアメリカ人がアラプ人に変装し、ダムが決壊した場合にそなえて水位を測るなど、念入りな調査を行っていた。
武器としては、賄賂が効果的に機能した。油田の管理責任者に多額の現金を渡して、火が放たれないよう油井を閉めさせた。
さらに効果があったのは奇襲攻撃だ。橋やダムを破壊するイラク軍の動きを封じ込める奇襲攻撃があったことを、米軍幹部はほのめかしている。開戦前夜には、米海軍の特殊作戦部隊がペルシャ湾の重要な石油施設を奪取している。
中央軍司令部の関係者によれば、地上部隊の侵攻開始は予定より36時間早められたという。イラク南部の油田に火を放つようフセインが命じたとの情報を、米情報当局がキャッチしたためだ。
米軍の宣伝ビラを手に将兵が投降してくるなど、心理戦はイラク軍の戦意をくじいた。バグダッド市内で米軍が目にしたのは、乗り捨てられたイラク軍の車両と、脱ぎ捨てられた軍服だった。また米軍はバース党本部の周辺を間断なく空爆することで、フセインの側
近たちを眠らせないようにした。
バグダッドでは極秘の任務を帯びた狙撃チームが、フセイン政権幹部の居場所を探っていた。フセインがバグダッド市内を巡回する自分の映像をイラク国営放送で流したのは、致命的ミスだったかもしれない。おかげで米情報当局は、その場所が中心部に近い高級住宅街マンスールであることを突き止めた(映像の撮影時期は不明だが、背後にのぼる煙から爆撃開始後であることがうかがえる)。
CIAは、同地区に多数の工作員を送り込んだ。その一人が、フセインと側近がある家に入ったと報告してきたのは4月9日。それから1時間足らずで、その家のある場所に4発のバンカーバスター(地中貫通爆弾)が撃ち込まれた。
テレビに映らない惨劇
従来、侵攻作戦には郡隊間の複雑な調整が必要だった。そのため、91年の湾岸戦争で有名になった地上軍の大迂回作戦も、部隊の移動速度は自転車と同程度だった。
今回の作戦のモデルは、むしろ1940年にドイツ軍がフランス北部で展開した電撃作戦だろう。このときドイツ軍の戦車部隊は、海に突き当たるまでひたすら進めと命令されていた。
陸軍第3歩兵師団と第1海兵遠征軍も、バグダッドに可能なかぎり早く到達せよと命令された。イラクの防御網を破壊するため、常に敵の一歩先を行く―それが作戦の基本的な考え方だった。
しかも今回、司令官たちは戦場の様子が手に取るようにわかった。スパイ衛星、無人偵察機、各種のレーダーを搭載した地上目標監視機(JSTARS)。最新のハイテク機器は統合作戦センターだけでなく、前線部隊にも情報を提供した。日ごろは連携がいいとはいえない陸海空軍と海兵隊も、理想的な協力態勢をつくり上げた。
部隊間の連絡に要する時間も劇的に短縮された。わずか10年前までは、陸軍の歩兵が海軍の空母に空爆を要請しても、複雑な指揮命令系統のせいで攻撃機の到着までに長い時間を要していた。
91年の湾岸戦争では、バグダッドの攻撃目標に巡航ミサイルの照準を合わせるのに3日ほどかかった。今回は、地上のスパイが情報を送ってから目標攻撃まで45分だ。
陸軍第3歩兵師団のような機械化部隊の進軍速度を砥下させる要因は、牽引に手間のかかる重砲部隊だ。そこで中央軍司令部は、思い切ったスリム化を図った。湾岸戦争で、第24機械化師団は九つの砲兵旅団の支援を受けた。だが第3歩兵師団は今回、榴弾砲や多運ロケットランチャーを従来の9分の1以下に減らした。
解説者としてテレビに出演した退役将校は、守りの薄い補給ラインを敵に狙われるおそれがあるとして、この「軽装」をいっせいに批判した。だが戦争の全体像が見えていない退役将校たちは、空軍力が地上戦力を圧倒するようになった事実に気づいていなかった。
米軍がアフガニスタンから学んだ重要な教訓の一つは、空軍力が砲兵部隊の代わりになるということだ。最新兵器は、恐るべき正確さで敵の所在を突き止め、破壊することができる。
空軍は今回、戦車の上部装甲を狙い撃ちする「タンクバスター」爆弾の使用に初めて踏み切った。イラク軍に与えた損害の程度はまだ不明だが、破壊した装甲軍両は数百〜数千両にのぼりそうだ。
この殺戮劇は、テレビの画面に映らない場所で行われた。アメリカの視聴者が砂嵐や自爆攻撃に悩まされる米軍の姿を見ている間に、米軍はイラクの共和国防衛隊を師団ごと壊滅させた。
大量破壌兵器はどこに?
一方、ジョージ・W・プツシュ大統領は真実を知っていた。「大統領は新聞やテレビではなく、フランクスの報告で戦況を把握していた」と、ある当局者は言う。
大統領の国家安全保障チームに背景説明を行っている空軍首脳は、共和国防衛隊の「抵抗力をそぐ」空爆について論じるテレビ番組を見て言った。「抵抗力をそぐんじゃない。殺すんだ」
第3歩兵師団がバグダッド郊外で共和国防衛隊と対峙したとき、敵の戦車はわずか十数両。それも米軍の前にあっさりと全滅した。
ティクリートで最後の激戦がある可能性もあるが、「イラクの自由」作戦の中心はすでに捜索活動に移っている。中央軍司令部は、フセインと政権幹部55人の顔と名の入ったトランプを部隊に配った。
フセイン政権と密接な関係にあるシリア政府当局者は、フセイン一味が地下に潜り、米占領軍に対するゲリラ戦を準備している可能性があると本誌に語った。さらにこの当局者は、シリアとイランがフセインに手を貸すこともありうるとほのめかした。
米情報当局にとって、きわめて重要なのは生物・化学兵器の発見だ。先週末の12日、フセインの科学技術担当顧問だったアミール・アルサーディが政権幹部で初めて投降した。アルサーディはイラクに大量破壊兵器はないと断言しているが、情報当局者はどこかに隠し場所があるとみている。
その一部は、すでに特殊部隊が制圧した地下施設に隠されているのかもしれない。特殊部隊は、数週間前から西部の砂漢でスカッドミサイルと大量破壊兵器の捜索を続けているが、どの地下施設にも大量の爆弾が仕掛けられているため、うかつには手を出せない。
一方、米軍が捜索した100以上の学校では例外なく武器庫が発見された。バグダッドの学校では、爆発物を埋め込んだベストが大量に見つかっている。何もかかっていないハンガーもあったことから、一部のベストは自爆テロ志願者の手に渡ったと考えられる。
だが最も奇妙な発見は、欧米との交渉役を長く務めたタリク・アジズ副首相の邸宅で見つかった品々だ。アジズは外国へ出かけるのが好きだったのだろう。邸宅には、アメリカの雑誌や外国製オーデコロンの瓶、50本以上のアメリカ映画のDVDが置かれていた。
さらに、『GMAT(経営大学院入学全国共通テスト)突破法』というタイトルの本まであり、余白にメモが書き込んであった。
アジズは、アメリカの大学院に入るつもりだったのか。イラク側を丸裸にしたアメリカの情報当局にも、解けない謎はある。
エバン・トーマス
マーサ・ブラント(ワシントン)
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Newsweek 4/23号からタイピング