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イラク北部最大の都市モスルで15日、米軍兵士がイラク人の群衆に発砲し、少なくとも10人が死亡、数十人がけがをした。事件は市民の反米デモの際に発生したが、その経緯は目撃者の証言と米中東軍の説明で大きく食い違う。モスルはイラク国内でも特に反米感情が強い都市だ。アラブ系住民が、クルド人武装勢力とともに侵攻してきた米軍に猛反発している状況がある。群衆に向けた発砲が事実とすれば「イラクの解放者」の米軍は今後、苦しい立場に追い込まれる。
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英ガーディアン紙などが目撃者の証言として伝えたところによると、事件は同日午前11時半ごろ、モスル中心部の行政庁舎近くで発生した。反体制派の指導者でモスルを管轄するニイナワ県知事を自称するジュブリ氏が群衆を前に演説を行い、米政府を支持する発言をした。これに怒った住民がジュブリ氏に石を投げ付けるなどした。同氏をナイフで襲おうとする者もいた。一方、米ロサンゼルス・タイムズ紙は、別の人物が演説を行っている最中、米軍が庁舎に米国旗を立てたために群衆が怒ったと報じている。
庁舎の警護に当たっていた米海兵隊は、騒ぎを収めようと発砲。死傷者の手当てをした病院の医師によると、少なくとも10人が死亡、数十人がけがをした。ガーディアン紙は「米兵は冷静さを失って群衆に向けて発砲した」との目撃談を伝えた。
問題は、米軍が直接、群衆に向けて発砲したかどうかだが、AFP通信によると、モスルにいる米軍スポークスマンは「近くの建物の屋根に銃を持った人間が少なくとも2人おり、先に発砲してきたため応戦した。群衆に向けて発砲はしていない」と話した。だが、米ニューヨーク・タイムズ紙の記者は、負傷者が手当てを受けている総合病院を取材し、医師の証言として、近くの建物の屋根にいたのは11歳の少女で、米軍に撃たれて負傷したと伝えている。
米中東軍司令部のブルックス作戦副部長は16日の会見で、住民への発砲は認め「死者は7人」と述べた。だが事件の経緯について報道とは大きく異なる説明をした。
米軍は、市中心部にある行政庁舎を復興活動の拠点としてとらえ、15日朝、海兵隊などを配置して警備に当たらせた。しかし、まもなく住民が庁舎の周囲に集まり、米兵に素手で殴りかかったり、つばを吐きかけた。
スピーカーで住民を扇動するメッセージを流す者も出てきて、険悪な雰囲気となった。そんな中で、群衆の中から米兵に向けた発砲があり、一部が壁を越えて庁舎内に入ろうとした。このため米軍側は空中へ向けて威嚇射撃を行ったが、住民側の射撃はやまず銃撃戦となった。
ブルックス作戦副部長は「結果として住民の犠牲者が出たが、連合軍に対する違法な射撃への応戦だった」と述べ、あくまで戦闘行為だったとの見方を示した。
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モスルでは、最後まで抵抗していたイラク第5軍団の司令官とモスル市長が11日、降伏文書に署名し陥落した。しかしその後3日間だけでアラブ系住民とクルド人との銃撃戦などで20人以上が死亡、約200人がけがをするなど不安定な状態が続いている。
モスルは1925年、国際連盟がイラク領とすることを決定。65年に約25万人だった人口は01年には推計103万人に膨れ上がり、バグダッド、バスラに次ぐイラク第3の都市になった。住民の過半数はアラブ系住民だが、チグリス川をはさんだ対岸にはクルド人居住区がある。アラブ系住民とクルド人が別々の地区に住んで反目を続けており、アラブ系住民の間では反クルド人感情や反米感情が極端に強い。
11日以降、アラブ系居住地区を中心に略奪が横行し、銀行や病院などが襲われた。どの民族が略奪者なのかは混乱の中で不明だが、アラブ系住民は米軍とともに侵攻してきたクルド人武装勢力に猛反発し、群衆が「米軍とクルド人は出て行け」と叫んだり、外国人報道関係者が米国人と同一視されて襲われるなどの事件が続出していた。
【アルビル(イラク北部)藤生竹志、外信部・杉尾直哉】(毎日新聞)
[4月17日3時40分更新]