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バグダッドは陥落し、国民はフセイン政権の圧制から解放されたかもしれないが、
その手段は完全に間違っている。その手段は醜く、最低のものだ。
この結果を以ってして手段を正当化することは決して出来ない。
殺人という手段を使ってもたらされたものは平和とはなり得ない。
そもそもの手段が間違っているというのにどうしてその結果が正しくなり得よう。
彼らは血を以って血を洗い清めることができるとでも言うのだろうか?
一時的に目に見える圧制から「解放」されたことを喜ぶ人々の映像が放映されることで
使われた手段が正しくなることは決してない。 戦闘員でもないのに血と肉片となって飛び散り、
生きる事を許されなかった人たちがあなたを許すとでも思うのだろうか?
確かにこの「解放」を掲げた「先制攻撃」で兵器の進歩と人殺しの効率化は証明された。
そして、われわれが未だに野蛮で暴力的で、歴史から何も学ばなかったということも再び白日の元に曝された。
棍棒と槍がミサイルと爆弾に変わっただけだ。
これにデイジーとか精密とかがつけば素晴らしい進歩だとでも言うのだろうか?
たとえ超精密がついたところで野蛮であることに変わりはない。
そしてこういった手段を使う者たちは、せいぜいのところ、洗練された野蛮人だ。
「母」という名を付けられた爆弾の威力を訊かれて薄ら笑いを浮かべる人物がいる。
こういった人物は正常だろうか? ことによったらフセイン以上ではないのか。
実際彼らのやっていることを見ると、フセインさえ子供のように見えてくる。
爆弾やミサイルが平和をもたらすことなどありえない。それらは造った物を粉々にし
生きとし生けるものを血みどろの肉塊に変えてしまうものだ。
爆弾やミサイルで平和を達成しようとする行為は、単にこの世界が未だに恐怖によって
支配されていることを証明している。
そしてこの手段に訴える人がいくら「解放」や「平和」を口にしてもそれは嘘にすぎないことになる。
彼らが口にするいわゆる解放や平和の後ろは爆弾とミサイルが支えている。
爆弾とミサイルが支える平和とはどういった種類の平和なのだろうか。
彼らは劣化ウラン弾は調査で安全という結果が出ていると言う。
では、全世界が劣化ウラン弾を所持したらいい。これは「通常兵器」なのだろう。
もちろん事が起これば自分たちに向かって飛んでくることになるが、
その時になって「これは良くない!」などとは言わないことだ。
テレビではアメリカ人の77パーセントが尚も戦争を支持していると言っていた。
もしこれが正しければ、これが意味することはアメリカ人の77パーセントは
暴力的で恐怖と怒りに満ちているということだ。これは他の国にも言える。
暴力的でもなく、恐怖にも怒りにも満ちてもいない平和な人々がどうして戦争を、
しかも先制攻撃を支持できるだろうか。
「先進国」では精神科医やセラピーで「心の平和」を求める人々が多いと言うが、
どうやら、いくら精神セラピーに金を注ぎ込んでも無駄なようだ。
これを求めること自体平和ではないということだ。
この世界には殺し合いが絶えない。これはひょっとするとかなりおかしいことではないだろうか?
DNAのプログラム自体にそういった志向があるのだろうか?
それとも争いが絶えないようになるプログラムを生まれた時から教え込まれているのだろうか?
もしそうならこれを「教育」と呼ぶのだろう。
そのどちらであるにしろ、それは次の世代に伝えられる。
もし大多数が知らないうちにそのプログラムを持っているとすれば、
それをおかしいと思う者は非常に少数ということになる。
何しろそれは「自分の思考」なのだし、みんなが似たようなものであるから最も疑いづらい。
ことによると、それを持たないといわゆる民主主義的生存競争が難しくなるか、時代遅れになるか、
「普通」の人間のようではなくなるのかもしれない。
しかし、もし幸運にもこのプログラムが解除されたら、
その人物は決して爆弾やミサイルなどを作って人を殺そうなどとは考えないだろう。
まして「解放」の名の下に命ある者を殺しに行けと人に命令することなど決してないだろう。
この世界では戦争を命じる者が精神異常者とは見なされないようだ。
バグダッドの夜景で風に揺れていたヤシの木が思い出される。
「敵」とはいったい誰のことなのか。