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クルド人が実効支配の様相 イラク北部のキルクーク
イラク北部の油田地帯キルクークで、治安維持や交通整理に当たるのはクルド人警官だった。もともとクルド人が多く住み、クルド側は「首都」とも位置付ける。表向き「米軍管理」とされるが、市内を制圧したクルド人が米軍駐留を盾にトルコの批判をかわし、クルド人支配を既成事実化しているかのようだ。
「市内を管理しているのは米国。われわれは米国の管理を助けている」。クルド愛国同盟(PUK)幹部でクルド人自治政府農相のシャラウ・アスカリ氏(42)は、同市に設立したPUK支部で語った。
自国のクルド人の独立運動を押さえ込んできたトルコは、イラクにまたがって住むクルド人が同市を支配して勢力を強めることに反対し、イラク北部への派兵をちらつかせてきた。このため同氏は「クルド人部隊の大半は撤退した」と主張する。
しかし市内には部隊の一部が依然として駐留。自治政府の警官約八百人も十日の制圧後、市民による略奪阻止などの名目でキルクークに入った。警察幹部は「治安は安定してきたが、新たな警察組織が誕生するまでとどまる」と話す。市の行政はまひ状態で、ごみ収集車も自治政府が派遣。
米軍は市内に通じる幹線道路で検問を行い、製油所内に戦車を配備するが、兵員不足のためか治安維持まで手が回らないようだ。「米国の関心は石油だけ」と分析するクルド人も。
化粧品店を営む男性(55)は「クルド人は賃金が高い油田の仕事に就けず、民族衣装を着ることも許されなかった。まさに解放だ」と喜ぶ。
フセイン政権はクルド人を追放し、アラブ人の移住で「アラブ化」を進めた。十六年ぶりに戻ってきたサラ・ハムドさん(43)は「自分の家にアラブ人が住み付き、明け渡しを拒否された」と怒る。帰還したクルド人とのあつれきで同市を離れるアラブ人も少なくない。
アラブ人のユシフ・カディルさん(32)は、クルド人に家財道具を奪われ、「別のサダム(フセイン大統領)が現れた」とクルド人をののしった。(キルクーク共同=折坂浩史)
(了) 04/16
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq2/news/0416-823.html