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(回答先: 戦国時代ゲームの連想でしょ 投稿者 ×× 日時 2003 年 4 月 13 日 03:03:07)
むしろ信長による本願寺焼き討ちに近い気がする。
宗教勢力を沈黙させるという目的と、「衝撃と畏怖」という残虐な手段において似ている。
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http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/kayakumino.html
4. 法敵信長打倒の激しい戦い
私は図書館で『本願寺文書』をあらためて読んでみた。当時の本願寺の顕如や教如という高僧たちの生の書簡や日記を 読むと、その淡々たる表現ゆえに伝わる戦国時代の切迫した情勢が生で伝わってくる。現代の小説家の作り話を読むより、 はるかに迫力がある。「法敵言語道断之次第無念至候」「よろず一味同心に申し合、法敵を平らげ」「大坂本願寺は敵対する。(信長)欝憤(うっぷん)少なからず。五月三日大坂勢鉄砲千挺をもって打掛打掛戦いければ信長勢思いもかけず逃散」。これは天正4年だから何と長篠で武田を破った翌年のことだ。日本史で一般に習う長篠で信長が鉄砲を使ったのは,それから5年後のことだ。私は図書館で二日間、夢中で読んだ。信長側からの記述だけからは分からなかった事実だ。表1のような年表をゆっくりたどると、つかず離れず信長と戦ったり、和解したりしながら門徒に残忍な仕打ちをなす信長をあやつるための火薬だったと理解できた。現代マスコミの無批判な信長礼賛を門徒は許せない。
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