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【イラク戦争:仏、英、アラブの報道から】
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投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 11 日 22:11:38:

イラク戦争:仏、英、アラブの報道から

http://home2.highway.ne.jp/sinb/press.html

目次 (*は当サイトのコメント。基本的に抄訳です。誤訳注意。原文はウェブ上のle mond,l'humanite,liberation,the independent,the guardian ,the observer,this is london,al jazeerahにあります。)


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4/10 インディペンデント

 ロバート・フィスクRobert Fisk

 爆撃で始まり、抑圧された人々が巨人のように歩くことで終った日

 アメリカは昨日バグダッドを「解放」した。フセインの四分の一世紀にわたった残忍な独裁権力を破壊し、歴史の都に略奪と無政府状態をもたらした。
 暴徒たちの歓声。25年間、サダムの卑しい秘密警察にひれ伏していた人々は巨人のようになって、憎しみの叫びをあげながらサダムの巨大な像を倒した。

 「これはわれわれの新しい自由の始まりだ。」とイラク人の店員が私に叫んだ。それから彼は立ち止まって、「アメリカ人たちは今、われわれに何を望んでいるんだ?」と尋ねた。

 偉大なレバノンの詩人、カリル・ジブランは、ラッパを吹いて暴君を歓迎し嘲りながら追い出す国民について、かつて憐れみをもって描いた。バグダッドの人々は昨日、この死の儀式を執り行った。
 昔の将軍や王子たちの独裁をアラブ社会主義バース党が破壊した時にも、自分や親たちが同じように振る舞ったことを彼らは忘れている。
 「解放者」たちは常に、新しくやってきた、異国の、強力な占領者たちだったことも、文化や言語や人種や宗教によってもイラクという結合体を作り出せなかったことも忘れている。

 数万人のシーア派ムスリムたちは、サダム・シティーの巨大なスラムからやってきた貧乏人だ。彼らはバグダッドの中心部にあふれ、商店や事務所や官庁に入りこみ、バスラで英軍が防ごうとしなかった同じ盗みと破壊のランチキ騒ぎの拡大バージョンを演じた。
 略奪者たちによって車や敷物や貯蔵された金やコンピューター、机、ソファー、さらにはドアさえも大急ぎで持ち去られるのを、海兵隊は数百m離れて見守るだけだった。
 (この日、歓喜よりも不吉な何かを印したのは略奪者たちだった。経済省ではイラクの輸出入の全記録の入ったCDが、デスクトップとともに盗まれた。)

 アル・ファルドゥース(パラダイス)広場で、海兵隊たちは若者たちが無気味なほど巨大なサダムの像を引き倒すのを助けていた。それは何にもまして象徴的な瞬間だった。私は、一人の男が灰色の大理石の台座に斧を振り降ろすのを後ろから見ていた。数秒で大理石は崩れ、中から安物の煉瓦とひどくひびの入ったセメントが見えた。

 アメリカはずっと、サダムの体制はこんなものだと見なしていた。70年代後半から80年代前半にかけてサダムに武器を与え、経済援助し、政治支援し彼をまさにあのような独裁者に仕立て上げたのはアメリカだったのだが。
 ひとことで言えば、史上初めてアラブ国家の首都を占領したアメリカは、多くの時間と資金を費やして自分で育てたものを破壊したのだ。サダムは「彼らの」男であり、昨日、(比喩的に言えば)抹殺された。サダム像の破壊や略奪や盗みの意味するところはそこにある。

 しかし悪夢は完全に終ったわけではない。アメリカは彼らが「解放」と呼ぶところの占領の最初の日を迎えたが、バグダッドの広大な地域は、昨夜は米軍の支配の外にあった。
 私は車でティグリス川を東に渡った。バブ・アル・モアッザム通りの一画にはムジャヒディンの小グループがいて運河の向こうの米軍戦車をカラシニコフで射撃していた。それは勇敢で、ひどく悲壮で、苦い教訓に満ちていた。
 
 アルジェリアやモロッコ、シリア、ヨルダン、パレスティナから来た人々だった。一人のイラク人もその中にはいなかった。バース党民兵、共和国親衛隊、あぶらぎったイラク諜報部隊員、サダム・フェダイーンと呼ばれる人間たちは、みな陣地を去り家に隠れている。
 外からきたアラブ人だけが、1945年ベルリンの、フランス人で構成されたナチ・シャルマーニュ師団のように戦い続けている。

 最後の日々に多くのイラク人たちは彼らを避け出し、彼らのグループはパレスティナ・ホテルのロビーの外に座りこみ、ジャーナリストたちに帰郷の手助けをしてくれと懇願した。
 「われわれは妻子を残して、ここの人々のために死のうと思って来た。それなのにみな『出て行け』と言う。」彼らの一人は言った。

 しかしその夜、バブ・アル・モアッザム橋のたもとの人々は最後まで戦い、私が去った後でジェット機が西から来るのが聞こえた。空っぽの通りを走りながら、米軍戦車が彼らの居たビルに砲撃する音も聞いた。

 戦車にも戦闘中で危険なのとそうでないのがある。米軍戦車が過ぎるのを立って見ている人々が居た。女たちはスカーフを着けていた。男たちは兵士たちを鋭い警戒の目で観察していた。彼らは未来に対する恐れや、イラクは外国人に支配されたことはないことなどを話してくれた。

 「みんなが祝うのを見られるでしょう。サダムがいなくなって幸せになる。」と一人が言った。
 「でもわれわれは、自分たちの手でアメリカを追い出したい。石油を守りたい。抵抗が始まり、彼らはわれわれをテロリストと呼ぶのでしょう。」
 まったくのところ、米軍はハッピーな「解放者」ではない。彼らは小銃を車道に向け、運転者に「止まれ」と叫ぶ。そうしなかった、古い車に乗った一人の老人は、2人のフランス人ジャーナリストの前で頭を撃ち抜かれた。


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