現在地 HOME > 掲示板 > 戦争31 > 505.html ★阿修羅♪ |
|
イラク政権が崩壊した。反戦運動はふたたびみたび敗北を喫した。この悔しさは次の戦いのばねにせねばならない。
米英の国連を無視した侵略をさっぱり省みることなく復興談義にふけっているようなここ数日の世界ですが、アナンさま、あなたに一言。
本気で国連が復興主導できますか?米英の圧力の前で、そして豪・日(・ポ?)・独・仏・露(・中)がイラクの財産を分捕り合戦を始めた中で、顔色をうかがいながら、なんとか存在をアピールしたいのでしょう。
もう何もしなくていいから、イラク全土にわたって人民・兵士の死体の数を数えることだけやりなさい。国連査察をあれほど念入りにやったんだからあんたならできる。トマホーク、デージーカッター、クラスター、バンカーバスター、戦車砲でどれだけ人が死んだ?劣化ウラン弾は何発使われたのか。使ったぶんだけイラクの人々は放射能を浴びている。
あなたの過去はわかっていますよ、ガーナのかた。アフリカを見捨てたことも。
----------------------------------
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhw2381/En980512.htm
「アナン国連事務総長への手荒い歓迎」
今年(注。1998年)三月末には、米国クリントン大統領がアフリカ6カ国訪問を果たし「援助よりも、貿易をしよう」という立場にアフリカ政策の立脚点を変更しました。このときも、ルワンダでの大虐殺をとどめる事ができなかった点については、 「国際社会はアフリカ諸国とともに、惨劇の責任を負わなければならない。我々は、虐殺が始まった後の対応が速やかでなかった」と米国の責任を間接的な表現で認めたのにとどまっていました。(ルワンダでの演説や、ウガンダのエンテベでのサミット会議)
さらに、そこで述べた「国際社会」とは、米・欧・日をさすのだと説明されてもいます。今月に入って、国連のアナン事務総長はアフリカ8カ国訪問に出ていますが、どうも、国連がアフリカ支援をすることをハッキリさせるための、目玉として旅程が組まれたのだろうというように思われます。七日にはルワンダの首都キガリの国会を訪れました。ルワンダのガサナ外相が、猛烈な非難演説をぶちました。つまり国連は虐殺計画の正確な情報を持ちながら阻止できなかった、という国連批判と、さらに虐殺被害者への国連からの補償を要求したといいます。
これに対してアナン事務総長は「ルワンダが苦境にある時、国連や国際社会がルワンダを見捨てたことを認めなければならない。世界はこの失敗を悔いなければならない。」と述べ、当時のPKO責任者としての直接の謝罪はなかったと言います。同日夜の事務総長を歓迎する晩餐会は、正副大統領が、国会でのアナン氏の演説を傲慢かつルワンダ国民に対して無神経で侮辱的として出席をボイコットしました。
さらに、翌日の予定行事も、冷淡な対応で終始し、どうやら当時アナン氏がPKO責任者の立場にありながら、虐殺を看過し、いまや事務総長の座にあることへのルワンダ政府の不満が噴出したと見られます。
「94年当時のフランスは〜〜ルワンダと国連の亀裂に加えて」アナン事務総長が、アフリカへ出かける前にフランスでは、ル・フィガロの報道から、ルワンダの虐殺に、フランスが関与していた疑いが取り上げられていたようです。読売新聞によりますと、 フランス下院の虐殺調査委員会は、今年四月二十一日、当時の右派内閣のバラデユール首相ら閣僚四人をよんで公聴会を開き、そのころの仏政府の対応をただしている。フランスは当時、虐殺の責任者とされるルワンダのフツ族過激派政権を支持しており、また軍事支援も行っていたもので、目下これをめぐって、現地ではフランスに強い反発が続いているという。
「何かが分かったのか」
フィガロ紙によると、フツ族のハビャリマナ大統領専用機(94年4月6日、ルワンダの同大統領と隣国ブルンジのヌタリャミラ大統領が搭乗してキガリ空港付近で撃墜され死亡)を撃墜するのに使われたミサイルは、湾岸戦争のとき、フランス軍がイラクから接収したロシア製SAM16だという。つまりフランスが供与した兵器が親仏派大統領の殺害に使われたのだということである。ドブレ協力相(当時)は、「新聞報道は間違いで、ミサイルは米国から来たはず」と答え、一方ベルギーのアフリカ問題専門家は逆に報道を肯定する証言を行ったといいます。
また、同紙の報じるところでは、国連安保理が対ルワンダ武器禁輸を求める決議をした後二週間にわたって、フランスがフツ族政府へ武器供給を続けていたことを明らかにしたうえで、フランスを含む国際社会が、虐殺準備が進んでいたのを事前に察知していた可能性を指摘しているということです。
「当時のフランス政府は」
公聴会の席で、当時のパラデュール首相、ジュペ外相らは、自らの決定に全く人道的なものであったこと。従ってそれが調査の対象になることが理解できないとあからさまに不満を表しましたし、当時ルワンダへ唯一軍隊を派遣したことについては、むしろ虐殺防止に貢献していると反論したそうです。当時フランスはミッテラン大統領と右派内閣のコアビタシオンでしたから、ルワンダについては、大統領府もいろいろと動いたらしく、そこのアフリカ担当班を率いていた故大統領の長男ジャン・クリストフ・ミッテラン氏も委員会は呼んだ(22日)ようです。
ルワンダの虐殺は、ラジオによる扇動の行われ方とか、PKOの「国連ルワンダ支援団」(UNAMIR)の大幅削減のタイミングとか、難民キャンプ問題とか、よく分からないことが多いですが、いろいろな実相追求の動きでさすがに少々は見えだしたかなとも思えます。
フランスも、ザイールのモブツを切り捨てた後、カビラ政権と恐らく安定した関係に戻っているでしょうし、依然としてアフリカで頑張っているなあと思わせるところがあります。
「ルワンダと国連との亀裂は」
現ルワンダ政権が国連と対立していることがらは、いっぱいありますが、前記
UNAMIRが内戦後も駐留していたのを、96年に撤退に追い込んでいますし虐殺首謀者を裁くために、国連安保理が設置した「国際犯罪法廷」(94年に、タンザニア国のアルーシャに設けたもの。ただし経費乱用などで裁判が大幅に遅れ、判決に到ったものは皆無)の最高刑が終身刑であることに反発して、独自の裁判を96年末から開いており、死刑判決を受けたもの33名を人権団体の法制度不備の指摘を押し切って、4月24日に公開処刑を行った模様でもあります。
アフリカ(ガーナ国)出身の国連事務総長が、アフリカ問題で、鼎の軽重を問われるような揺さぶりをうけているわけで、能吏アナンのこれからに注目したいものです。