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2003年4月9日 水曜日
大平洋戦争末期、すでに戦闘能力を失った日本の66都市を、アメリカが核爆弾と焼痍爆弾で無差別爆撃し40万人の非戦闘員を殺戮した行為は、なぜ「人道に対する罪」ではないのか。ナチスのユダヤ人ホロコーストに激しく嘔吐した連合国が、どうして対日無差別爆撃を正当化しえたのか。本書は、欧米型人道主義がことさら目と口を塞いできた戦争の人種的側面に、真正面から迫った労作である。
「ユダヤ人の大量虐殺を別とすれば、人種主義は、第2次世界大戦を語る場合に主題として取り上げられることはほとんどない」。しかし、ドイツと日本の残虐行為を見る連合国の目は人種的に両者を差別していた。ドイツの残虐行為は「ナチスの犯罪」であり、ドイツ文化や国民性に根ざすものではなかった。これに対して、アジアの戦場における日本の残虐行為は「単に『日本人』の行為として伝えられていた」。
ジョン・ダワーは、大平洋戦争当時のアメリカの政府高官や軍指導部の発言、新聞・雑誌の論調、さらには映画、ポップカルチャー、時事マンガにいたる膨大な資料を渉猟し、そこに通底する「赤裸々な人種主義的本質」を摘出した。「日本人は人間ではない。残虐なサルだ。だから1匹残さず殺せ」という意識が、戦争遂行機関、マスメディア、戦場の兵士を貫いていたという
たとえば、ルーズベルト大統領主席補佐官のウィリアム・レーヒにとって「日本はわれわれのカルタゴ」だった。彼はローマ帝国がカルタゴの消滅を戦争目的とした史実に、アメリカの対日戦争目的をなぞらえていたのである。「コリアーズ」誌は、レーヒの考えをもとに「日本を破壊すべし」という論説を掲載した。この表題はローマの大カトーが元老院で演説した「カルタゴを破壊すべし」からの転用だった。
アメリカの戦争目的が「野蛮なサルを絶滅させる」ことである以上、大平洋戦争が徹底殺戮の「容赦なき戦争」になったのも当然である。しかし、「世界の大部分を巻き込み、5000万人以上の人命を奪った前例のない破壊的戦争において、どうして一方の敵対者だけの野蛮性など語ることができようか」。残虐行為のジェネレーターはステレオタイプの人種観であると、ダワーは言うのである。(伊藤延司)
アマゾンコム「容赦なき戦争」ブックレビューより:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582764193/ref%3Dpd%5Fsim%5Fdp%5F5/250-0216509-9212276
アメリカのイラク攻撃は最終段階を迎えている。イラク軍の組織的抵抗は最初から破壊されて出来なかった。これでは戦争ではなく、軍事的掃討作戦である。イラク軍の飛行機や戦車や大砲は何処へ消えたのだろう。60万とも言われるイラク国軍の兵士は何処へ消えたのだろう。大統領直属の精鋭部隊も姿も形も見えない。あるのはただ民兵達の散発的な抵抗だけである。
独裁者の国家というのは意外と対外的な軍事力は弱いのかもしれない。あまり国軍が強すぎるといつクーデターで政権を奪取されるかわからない。だから強力な武器は持たせられず、パレード用の戦車や飛行機しか装備は持たせられない。その代わり国内の治安組織や親衛隊ばかりに金をかけて独裁体制を守ろうとする。その独裁体制が20年も続けば国力は疲弊しきっていたのだろう。
アメリカがこれほど執念深くイラク攻撃にこだわったのは、戦前の日本に対する執念深さに共通する。日本政府がもっとうまく立ち回っていれば太平洋戦争が防げたというのは甘かったようだ。イラクのサダム・フセインはのらりくらりとアメリカをかわして、アメリカとの戦争を防ごうとしたが無駄だった。戦争キチガイのアメリカの標的にされたら、あらゆることをでっち上げて戦争を仕掛けてくる。
日本のこれからの対アメリカ外交も、ブッシュの尻の穴を舐めるような屈辱を舐めても、アメリカの言いなりにならざるを得ないのだろう。中国もユーゴの大使館を誤爆されても文句が言えなかった。ロシアもイラク戦争でロシア大使が誤爆されても抗議すら出来ないでいる。日本へも「えひめ丸事件」で9人の犠牲者が出ても何も出来ない。このようにアメリカのやりたい放題の状況はアメリカをますます狂わせている。結局ゆくところまでいって滅び去るのだろう。
ジョン・ダワー教授の「容赦なき戦争」はアメリカ側から見た日米戦争における日本に関する分析を現したものである。アメリカ人の本音はなかなかわからないが、戦争という極限状況になるとアメリカ人は本性を現してくる。そのような実態がわかっていればイラク戦争におけるアメリカの暴虐ぶりは予想できた。
「容赦なき戦争」でも指摘されているが、日本人の幼稚性はマッカーサーも同じことを指摘している。西欧人が日本人と相対する時は、子供に対するような感覚を抱くのだろう。教育レベルは高いのだが精神年齢が16歳ぐらいの学生のような感覚なのだ。サラリ−マンが電車の中で漫画を読んでいる。テレビはお笑いバラエティーばかりだ。一流会社のOLたちのふるまいも大人とは思えない。日本のトップ達の趣味と教養の無さも西欧のトップ達と比べると目立ってしまう。大人の文化は無くは無いのだが限られている。「容赦なき戦争」では日本人の幼稚性について次のように書いている。
日本人が幼稚より穏やかには無邪気であるということは、日本の称賛者と見なされ ていた欧米人の論評の中でさえ、当初から目につく決まり文句だった。ラフカディオ・ハーン は世紀のかわり目に日本人に関する事柄を広めた人物であるが、「日本人の暮らしの魅力は、 主として幼年時代の魅力である」と結論し、この日本の無邪気な側面が戦前、多くの外国人を ひきつけたのであった。ときには日本人を子供とする見方が無意識のうちに現われた一九 四一年八月、チャーチルとローズベルトが、日本に対する最上の策は、さしあたり「あやす」 ことであると合意したり、同年十二月、日本の東南アジア侵攻軍は、「訓練途上の一六歳のガ キ」で構成されていると噂されたりした。とはいえ、日本人を子供っぽいというときは、直裁的なことが圧倒的に多く、生来の未熟さを意味しているのは明白であった。
日本に関する他の 多くのことと同じくジョセフ・グルーは、世間の決まり文句に権威のお墨付きを与えた。「日 本人は子供なのだから、子供として扱わなければならない」と真珠湾攻撃の一週間あまり前の 日記に書いた。その日記は四四年に出版されてかなり評判になった。もう一人の古いアジア通 で中国勤務が長かったイギリス人アーネスト・ナッシュは、由緒ある「アジア」誌に、日本の 「国民の心理的衝動は幼年期の状態のままである」と書いた。「ニューズウィーク」誌の古い日 本通コンプトン・パケナムは、「ジャップ徴募兵の幼な心」をアメリカ人に紹介し、多作な日 本専門家ウィラード・プライスは、戦時中の著書の一冊のある章に「日本最後に成長する もの」という題をつけた。
子供という隠喩は、日本人を理解するための核心的な概念として、未熟.原始性.暴力.情 緒的不安定という部分的に重なり合う本質を際立たせるような方法でよく用いられた。たとえ ばリベラルな「アメリカン・マーキュリー」誌の筆者は、日本を「全人類の家族の中の半分野 蛮ないたずら小僧」と呼んで、原始性と幼稚さを見事に結び合わせた。ほかの人々は、幼稚さ を非行少年の行動に結びつけたが、一九四四年の日本人の性格構造に関するニューヨーク会議 で専門家たちが行なったこととまさに同じであった。
たとえば「ニューヨーク.タイムズ.マ ガジン」は、捕虜になっていたアメリカ人によるフィリピンの日本人についての記事を載せ、 彼の監視兵を「最もくだらない馬鹿げた抑圧不良少年の一団から予想するたぐいのこと」 をやる連中として記述した。シンガポールで憲兵隊の拷間を受けたイギリスの捕虜は、そうい う目にあわせた連中が「一四歳の駄々っ子」のように振る舞ったと語つた。「リーダーズ.ダ イジェスト」誌は戦争が終わった八月号で、四分の三世紀にわたり「日本人は世界の問題児となってきたLと伝えた。
日本人が問題児および非行少年であるという診断から情緒的に環境に適応できない青年、そ して結局、全体として狂った民族となるまでには、ほんの一歩しかなかった。日本人の暴力は 「癇癪」であるというゴーラーとエンブリーが唱えはじめた説は、日本人に関して一般向けの 心理学的説明に携わっている人々にはすこぶる魅力的であることがわかった。
たとえばイギリ ス情報省の一九四五年のパンフレットは、日本で何世紀にもわたって築き上げられてきた社会 的統制が、「人生の諾問題に対して、厳しく育てられ絶えず抑圧された子供から予想されるよ うなリアクションをとる個人として、日本人を生み出してきた」と説明し、さらに「フィリピ ンでの敗北後、あらゆる制約がきれいさっぱり失われたときの彼らの行動がその典型であった。 それは怒り狂って白制心を失い、おもちゃを打ち壊し、仲間であれ誰であれ近くにいる者を蹴 とばす失望した子供にそっくりだった」と述べた。
癇癪の他の側面は、日本人を指導者たちに 屈従させる「群がる本能」であると情報省の説明は続いている。戦争の終わりにアメリカ海軍 は、占領任務につく要員のための日本に関する手引きに、だいたい同じ説明を載せた。日本人 は屈辱に対して「気の短い子供のように」反応し、「すみっこですねて気に病み、甘やかされ なだめられない限り、自殺するかメンツをつぶした男を殺しかねない」。他の大衆向けの論評 はもっと無遠慮だった。ヒュー・バイアスは一九四三年の記事に、日本兵は「うすのろ」だと 書いた。
ある海兵隊員によれば、日本人は単に「徹底した気違い、頭の中が病気、それだけの こと」であった。「アメリカン・リージョン・マガジン」は、別の海兵隊員の語に「これらニップスは気違いだ」という題をつけた。これは露骨ではあったが、日本専門家、社会科学者、 行動科学者が臨床的な用語を使って言っていたことと本質において異なるものではなかった。 一九四三年までには、アジアと太平洋の大半の日本兵が、窮地に陥り敗北を運命づけられ、 そのことを知っていた。多数が病気または飢えのため死亡した。他の何万人かは狂信的な粘り 強さを発揮して戦い、最後の戦いではしばしば逆上した。
無謀な攻撃を仕掛けて殺戮されるに まかせたり、敵に対して使える豊富な弾薬がありながら手榴弾で爆死したり、天皇の名前のみならず英語で奇怪な文句を叫びながら死の突撃をしたりした。この戦場での狂乱ぶりや断末魔の苦悶は、むろん連合軍の兵士や従軍記者の度肝を抜いた。その残虐行為により、敵は野蛮であると見なされるようになった。これらバンザイ突撃や集団死によって、日本人は気違いと認定されるにいたった。そして、こうした戦場の地獄図から、個人としても集団としても文化的 な進展、精神的、感情的な発達というあらゆる面での成長を妨げられた民族全体の肖像が現われた。
ジョン・W・ダワー著「容赦なき戦争」P261−P265より