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わが新編著『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)p.192
●「自由の女神」の正体は「侵略の烽火」が史実
以下、詳しくは直接、わが通信の次の全文を参照されたい。
http://www.asyura.com/2002/war16/msg/589.html
『亜空間通信』382号(2002・9・28)
【「侵略の烽火」が正体のアメリカ神話「自由の女神」の史実を現情勢に鑑み暴露】
アメリカ神話の象徴「自由の女神」の「伝説」も、真っ赤な嘘で、あの像は、最初、エジプトの領土内のスエズ運河の入り口に建てる予定で設計されたものだった。
たとえば平凡社1988年発行『世界大百科事典』「自由の女神」の項には「アメリカの独立100年祭を祝い、フランス、アメリカ両国の友好のために、フランス人の歴史家、ラブレーが女神像のアメリカヘの寄贈を提案、フランス民衆の募金をもとに彫刻家バルトルディ(1834〜1904)が設計」などと説明されている。筆者の猿谷要さんは、「日本大学教授を経て東京女子大学名誉教授、駒澤女子大学教授」の経歴で、日本では、アメリカ史に関する大御所の位置にあるから、これが「定説」となっている。「麗しい美談」である。しかし、諺に曰く「美しい話には嘘がある」。
同じ年代の日本人でも、アラブ連盟東京代表部勤務などの経験者、阿部政雄さんの「アラブ通信」の説明を要約すると、「建築家」バルトルディは、スエズ運河の開会式で副王イスマイルに、エジプトの近代化の象徴として記念碑を建造する計画を話したが、エジプトの財政破綻もあって、この計画は実現できなかったのである。
以後の経過を、その他の電網情報から要約すると、次のようになる。
アメリカに自由の女神像を贈ろうという発案は、バルトルディがアメリカ贔屓のラブレーに送った手紙がきっかけである。米仏の政財界人を筆頭とする資金繰りの時点で、自由の理想で世界を照らそうという当初の構想が、ヨーロッパにおける普仏戦争敗北後のフランスの孤立状態の救いを、アメリカに求める外交術、もしくはアルザス地方を奪われた傷心を癒そうという愛国主義へとすり代わる。
この怪しげな裏話を抜きにしても、スエズ運河は、ヨーロッパによるアフリカ、アジアへの侵略の道であった。「自由の女神」は明らかにギリシャ神話風だが、「近代」ヨーロッパにおけるギリシャ神話の復古は、ヨーロッパと旧トルコ帝国の領域、イスラム圏、またはアフリカ、アジアの側から見れば、「侵略の象徴」なのである。
ギリシャ神話の女神風の像が掲げる松明は「侵略の烽火」に他ならない。ギリシャ神話の女神の名を頂くヨーロッパは、ナポレオンのエジプト遠征などで着々、イスラム圏への侵略の歩を進めたのである。
あの像が今、スエズ運河の地中海側の入り口に立っている様を、私は、想像してみる。欧米の「侵略の烽火」の象徴として「腐った卵投げ」の対象となること必至である。
[後略]