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(回答先: Re: 亡命イラク人部隊が参戦 住民蜂起へ工作 [kyodo.co.jp] 投稿者 一言居士 日時 2003 年 4 月 06 日 14:39:30)
武器専門家は語る
アメリカはイラクで
「幻を追いかける」
America 'chasing phantoms' in Iraq says arms expert
17 February 2002
イラクへの国連査察団のアメリカの元トップ、スコット・リッターはサダム政権を実に簡潔なフレーズで表現する。「幻の脅迫」と彼は呼ぶ。そんなリッターは、亡命中の反体制派(イラク国民会議)リーダー、アフメド・チャラビーの太鼓判つきの感動的な舌鋒による議論を支持する。9.11大量殺人とイラクの関係を「証明する」亡命者のニセの申し立てで、アメリカの次の標的リストにサダムを載せるようワシントンを口説いている人物だ。
かつてイラクへの国連武器査察において、スコット・リッターがイスラエルとの情報の共有を認めたとしても、先月下旬、リッター氏が提示した不利な証拠は、ホワイトハウスで真摯に受けとめられるべきである。それを主張したのが、チャラビー氏だ。まもなく9月11日攻撃の自決パイロットになるモハメド・アッタとイラク情報局員との間で持たれたプラハでの会合を公表することで、イラクとビン・ラーディンのコネクションを喧伝した。おそらく反サダムの自由欧州放送の施設に対する攻撃について話し合われたであろうプラハ・ミーティングのメインテーマについてリッター氏も、9月11日の攻撃からのかけ離れたものであり、またこの会議の予測ついてのチェコ政府のレポートとは食い違っていたと語る。
さらに一層深刻なのは、リッター氏は査察官時代に、情報収集のためにチャラビー氏はじめイラク国民会議のメンバーと連絡をとる任務を命じられていたことだ。チャラビー氏の亡命仲間から得られた情報は「実体以上に派手」とリッター氏は見なした。後年には、イラクの大量破壊兵器に関する書類でいっぱいのサダムの宮殿地下にトンネル網の建設を行う技師と思われる者もいた。リッター氏と通じた男たちは任務に忠実に貴重な埋蔵ファイルを追い求めた。その結果、書類ではなく、1つの地下排水路を発見した。
ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官がイラクと9月11日事件を関連づけるリンクを必要としたとき、チャラビー氏がイラクの諜報機関が「アラブ人」ハイジャック犯を養成の事実を知る「亡命者」を見つけたことをリッター氏が報告する。ナイフだけで行う未来のハイジャック犯が使用したという施設は、イラクの街、サルマンパックの近くにあり、商用航空機を完備、しかも乗り入れているのはたった「5社」だけ、という9月11日事件から判断するに理想的な立地だ。サルマンパックは実在の施設だ、とリッター氏は言うが、アル・カイーダのトレーニングキャンプとして使用が実証されたことは1度もない。
国連は「チャラビーの信憑性に欠ける情報源と疑わしい動機が明確になった途端に、査察実施の根拠としてチャラビー情報を用いるのをやめたのです」、とリッター氏は明らかにする。クリスチャン・サイエンスモニター紙のリッター氏によれば、チャラビー氏の「スポンサー」はウォルフォウィッツ国防副長官、ジェームズ・ウールジー前CIA長官、そして「暗闇の皇子」のニックネームに狂喜するリチャード・パール元国防次官補である。
(訳)+(編)apo
R E L A T E D L I N K S
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イラク側からは「米国のスパイ」との非難を浴び、イラクによる国連査察拒否の一因となったスコット・リッターは、アメリカ政府首脳部の対イラク政策を批判し1998年夏に査察官を辞任した。その翌年、著書『エンドゲーム(終局)』(1999.04発行)で、CIAが湾岸戦争から1年経った92年春から国連の対イラク査察に積極的に関与し、とくに96年6月にはイラクの共和国防衛隊が警護する施設への査察に「準軍事要員」9人を潜入させたことを暴露。同じ頃に起きたイラク反体制派による反乱事件の背後にもCIAの存在の可能性を指摘している。
●新聞報道
01/09/23イラク攻撃 米政権内で対立(読売)
01/11/28「イラク攻撃は反テロ包囲網にダメージ」 国連の元イラク査察官(毎日)
01/12/03新たにイラクへの戦争拡大を求める勢力が ワシントンで権力を握りつつある(ニューヨーク・タイムズの訳文)
02/01/06米国務省:イラク反体制組織連合体への支援凍結 経理ずさんで(毎日)