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ウワサに明け暮れた一日が終わって、バグダッドに米軍の影もなし。
バグダッド(AFP)2003年4月5日
土曜日、街にアメリカ兵がいるという狂気じみたウワサがバグダッドを駆け巡った。しかし早朝の侵入の後、AFPの記者によれば、同盟軍のいかなる存在も見られなかった。
多くの官庁の建物があるティグリス川の西岸、とりわけバグダッドのサダム国際空港への道路は、午前中、数多くのイラク兵とものものしい装備で緊張していた。
しかし午後にはすべてが正常に戻った。自動小銃と対戦車携帯ロケットを装備した民兵が一定の十字路に配置されてはいたが、他の多くの兵はそれぞれの隠れ家で休息していた。
首都の南西にあるドラヤルムク地区では、早朝の戦闘の跡が残っていた。3月20日の戦争勃発以来初のバグダッド近郊での戦闘だ。アメリカの戦車部隊とイラク正規軍の部隊が向かい合ったのだった。
この衝突の数時間後、数十のイラク軍の車両が燃え続けていた。だが、もはや米軍の戦車がいる気配はまったくないことを、AFPの記者が確認した。
午前中、イラクの戦車とDCAの部隊がこの地域に展開した。午後の終わりごろには、正規軍と共和国防衛隊と民兵はそこから数百メートルの地点、街の出口に至る重要な十字路に位置していた。しかし彼らは少しも興奮している様子はなかった。
同様に空港へ向かう街の出口の一つであるアルマームーン地区でも、車が何らあわてる様子もなく走り回っていた。バグダッドを駆け巡るウワサとメディアによる不確定情報は、一様に、すべて首都の南西に位置するバグダッド大学地区と、ティグリス川にかかるサダム橋とエーグル広場に米軍部隊が来ているというものだった。
この三つの地域へ行ってみたAFPの特派員は、米軍のどんな存在も確認できなかった。
重機関銃で武装したイラク軍は、エーグル広場の周囲やサダム橋の両側と同様に、砂袋で守られた避難所に配置されている。警ら隊が大学地区をパトロールしていたが、そこにはどんな戦闘の跡も見えなかった。
サダム・フェダイン武装組織の戦闘員が猛暑を避けるために車蓋を開いたバスに乗って、エーグル広場を横切った時には軍人たちから熱烈な喝采を受けた。黒装束で銃を持った戦闘員たちは、拳を宙に上げてサダム・フセインの栄誉を称えるスローガンを連呼した。
同地区に近い街々で、兵隊たちは小さな保塁をほったらかしにして、携帯ロケットを手に木陰で閑談していた。ヘルメットをかぶり、カラシニコフ銃を持った警察官が、重機関銃を牽引した軍の小型トラックで混み合う場所で交通整理をしていた。
もっと北側、ことに情報省や外務省のあるカラダット・ミリアム区域では、正規軍とバース党の軍人が、別に米軍の存在を心配する風もなく歩哨に立っていた。
テレビから読み取ったメッセージによれば、モハメド・シャイド・アルシャハフ情報相が、バグダッドに敵の軍隊がいるという誤った情報を広げないようにと呼びかけた。同様に、首都の住民に対して、正当性もなく自分たちの火器を使用して、人々の間にパニックの種をまくことはしないよう求めた。「武器を験したい者は、今バグダッドの郊外にいる敵に対してやってみたらよい」と彼はつけ加えた。
http://actu.voila.fr/Article/article_une_030405175516.shuvamnl.html