現在地 HOME > 掲示板 > 戦争30 > 538.html ★阿修羅♪ |
|
記者会見を行なうたびに,「住民蜂起」の期待をにじませるラムズフェルド,マイヤーズ,その他の戦争犯罪人の面々。
そのおぞましい「期待」は幸いにして今までのところ外れているが,仮に住民の蜂起が起こってしまったとしよう。
それを鎮圧する軍隊や民兵達により,凄惨な弾圧を受ける。
住民蜂起ほど,戦時に避けるべき事柄はないのだ。(状況は若干異なるが)ワルシャワ蜂起も,パリ・コミューンも,血なまぐさい虐殺に終わった。
イラクにおいても,湾岸戦争直後の南部シーア派の蜂起,北部クルド人の蜂起が米国の「裏切り」のためにどういう結末を迎えたか,米国の首脳部は熟知しているはず。
今回,住民蜂起後の内戦状態を米軍が収拾しようとしたとしても,それまでの間にどれほどの血が流されるか,充分に予測がつくはずだ。
「イラク国民の解放」(そのようなものは侵略戦争の口実に過ぎないが,仮に看板として認めるとして)や「一般民衆の生命尊重」をふりかざすのならば,
「かならず米英軍が軍事制圧を行なうので,それまでは軽挙妄動を慎み,退避していてもらいたい。我々を信じて,我慢してもらいたい」
と必死で訴えるべきであろう。
そのようにイラク国民に訴えるどころか,口を開けば「蜂起」「蜂起」の繰り返し。
「蜂起」があればイラク軍がそこで消耗し,政権も早く崩壊する。
それだけ,米兵の「損耗」が少なくて済む。戦費が安く済む。
という計算だ。
「蜂起」の結果犠牲になるイラク一般市民の命など,米兵の命からすればなにほどのこともない,というわけだ。
「イラク軍が民衆をまきこんでいる」と非難するなど笑止千万。米英側の方が,イラク一般民衆を平気で犠牲にしようとしているではないか。
米兵の命は山よりも重し。
イラク兵,イラク国民の命は羽毛よりも軽し。
その本音が,「蜂起」という言葉の繰り返しに現われている。