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米英軍が迫るバグダッド市内に、今も各国メディアの記者やカメラマンが残り、戦時下のバグダッドの様子を取材し続けている。厳しい情報統制と空爆下の緊張の中で、どのような情報を発信しているのかを報告する。【シドニー堀内宏明、ソウル澤田克己、香港・成沢健一、外信部・斎藤義彦、同・杉尾直哉】
◆市民生活◆
「市民は政府からの発表がなくても、米英軍がバグダッドの“玄関先”に来たことをみんなが知っている。みんな神経質になっており、市内はとても静かだ」
2日、ドイツの民間テレビ局RTL、ニュース専門チャンネルn―tvと契約するオーストリア人女性記者、アントニア・ラドスさん(49)は、バグダッド市内のホテル近くから、息をひそめるようにして暮らすバグダッド市民の様子を伝えた。
ラドス記者は、米同時多発テロ後のアフガニスタンや中東地域で取材を重ねてきたベテランジャーナリストだ。3日付け大衆紙ビルト(電子版)に、「どうしてバスラから新鮮なトマトが送られて来るのか」と、戦争の最中でも、たくましく生きる市民の姿を書き送った。
ラドス記者のリポートによると、市場には「戦争などないかのように」物資があふれている。だが、開戦前は200ディナールだった1キロのトマトが約10倍に値上がりし、商店主は「バスラから運んだからだ。申し訳ない」と謝ったという。英軍が包囲したバスラからバグダッドに、ちゃんと食料の運搬ルートが確保されていたのだ。
夜間に米英軍の目を盗んで運ばれたという新鮮なトマトを目にし「彼はうそをついてはいない。バグダッド市民は“生き残りの芸術家”だ」と驚いたことを報じた。
米英とともに参戦するオーストラリアから派遣された2大新聞社の記者2人も、開戦前からバグダッド市内のホテルに詰める。シドニー・モーニングヘラルド系列紙のポール・マクジョー特派員の報道によると、空襲後の街ではダンスパーティーも開かれているという。
ジ・オーストラリアン系列紙のイアン・マクフェドラン特派員の1日付けルポは、年配者の民兵組織を紹介。取材に応じたフセインさん(59)とアリさん(62)が胸を張って銃を構え、「ここはわれわれの国だ。侵略する権利はだれにもない。米英兵を見たら撃ち殺す。血の海で泳がせてやる」と語ったことを伝えた。
「バグダッドもカブールと同様に電気や水が途絶え、物資も不足していると思っていた。しかし、バグダッドの商店は品物も豊富で、インフラもほぼ問題なかった。街の周囲に立ち上る黒々とした煙と夜間の空爆を除けば、戦時下との印象は薄い」。イスラム原理主義勢力タリバン撤退直後のアフガニスタンも取材した経験を持つ香港の衛星テレビ「鳳凰衛視(フェニックステレビ)」の閭丘記者は、そうリポートした。
市内のホテルでは欧米から来た「人間の盾」のメンバーにも会った。勇気に敬意を表しつつも、安全なホテルにいることが多いメンバーに対するバグダッド市民の冷ややかなまなざしも紹介した。
「開戦後はフセイン政権を必ずしも支持していない市民までが国家を守ろうとの意識を高めている」
先月28日にシリアに脱出した閭丘記者が、バグダッド滞在中に最も強く感じたのは、市民の結束だったという。
◆爆撃◆
韓国MBCテレビの女性記者、李真淑(イジンスク)さんは開戦直後の3月23日、単身バグダッド入りした。同月31日まで、韓国メディアの記者としては、唯一のバグダッド発リポートを送り続けた。
「まるで大きな火事が鎮火した後のようで、真っ黒な煙にすべてが包まれている」が李記者のリポートの第一声だった。
湾岸戦争の時にもバグダッドに残り報道した経験を持つ李記者は大統領宮殿など政府関連施設が大破しているのに比べ、民間施設の被害は多くないようだと述べ、湾岸戦争の時よりも、米英軍は精密な爆撃をしているように見えると伝えた。
28日にはミサイルが直撃した市場や被害者の収容された病院を取材した。別の民間施設の被害を伝えた際には「戦争は、人間性というものを知らない」と述べて、戦争の非情さを訴えた。
「朝はミサイルの雨で始まった。ジェット音と爆発音が耳をつんざく」「毎日通った情報省の建物は窓がすべて吹き飛び、屋上の通信機器は壊れたザルのようになっていた」。シドニーモーニングヘラルド系列紙のマクジョー記者が書いた1日付紙面のルポは、空爆の激しさをこう伝えた。
バグダッド市内では爆撃音が鳴り響くと、街角からすーっと人影が消える。人々は息を殺し、新たな爆撃がないとわかると、また何事もなかったかのように街に繰り出すという。「まるで町が息を止めたり、吹き返したりしているようだ」とオーストリア人記者のラドスさんは爆撃の様子を表現した。
3日、ロシア独立テレビ(NTV)は、空爆で夜空が真っ赤に染まるバグダッド市内を撮影し、「強烈な爆音が事実上、全市内で聞かれた」と伝えた。インタファクス通信の記者は「一晩中、空爆が続いた。対空砲火も空襲警報もなかった」などと報じた。
ロシアのメディアは国営系のテレビ2局などテレビ局を中心に約20人の特派員がバクダッドに滞在している。連日、米英軍の空爆の様子を自前のカメラで撮影し、本国に伝えている。
◆取材規制◆
マクジョー記者は、イラク軍の案内で爆撃を受けた市場の中に入り、黒こげの死体がころがる様子を3日付け紙面でルポした。だが、日を追って取材規制が厳しくなるのか、この記事には市民らの談話が1行もなかった。
マクフェドラン記者は1日付けルポを書いた後、国外追放処分を受けた。通交証の発行をめぐるイラク当局とのトラブルが原因というが、イラク政府の官僚主義、融通の利かない点について、オーストラリアの両特派員はたびたび嘆いていた。外国人の外出は危険で、各国記者は極めてストレスが強い生活を送り、下痢に悩む者もいるとも伝えていた。
一方、ロシア人記者はロシア政府の「保護」を受けている。滞在先は、バグダッド市内のロシア大使館だ。イラク攻撃に一貫して反対してきたロシア政府は、攻撃開始後も大使以下、大使館職員20人に国外脱出を命じておらず、大使館は機能している。館内には地下シェルターもあるとされ、特派員にとって、いざという時の避難所になると見られている。
こうしたロシア政府の対応がメディアの米批判に影響を与えているとの見方もある。
[毎日新聞4月3日] ( 2003-04-03-22:41 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030404k0000m030120000c.html