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(回答先: アラブ世界に決着を付けるために セリム・ナシブ(Selim Nassib) 「ル・モンド・ディプロマティーク」 投稿者 はまち 日時 2003 年 4 月 02 日 00:15:22)
将来の300年間の停戦を提唱します。
私たちが生まれる前の過去について、大変勉強になりました。我々は、相手のの立場、歴史をもっと勉強しなければ共存できません。
しかし、もっと大事な事は、決して、武力を使わない努力を続ける事であります。
各国、各個人、誰だって、いろんな歴史があります。過去の過ちは消す事はできませんし、恨みは消えません。love and peaceなんて合言葉では、怒りはおさまりません。自分の身内、知人が、理不尽にも殺されたら、私も武器をとることでしょう。自分が不利な戦いでも、「正義は我にあり!」と叫ぶ事でしょう。
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
「今回は負けても、またいつか、必ず恨みを晴らすべし。」
これを、自分の世代で解決しようとするから、殺し合いになるのです。だから300年間は、武力以外の方法をとること、2303年には、何をしてもいいから。それまでは、解決しようとせず、共存する事相手を根絶やしにしようなど考えぬこと。「何にも、良くならん」そう言われると、男は手柄が欲しくなる。何かしたくなる。「解決策を見つけた。」「変わった。」そう言われたいのが男です。
何にも、しなくていいのです。武力行使さえしなければ。最後の手段と言って武力を用いるのは、彼の(政治)生命の最後であって、その国、その民族の最後ではありません。彼がいなくなった後も、子供たちは生きつづけ、同時に恨みを抱くか、恨まれるかしなくてはいけません。
つまり、これは【解なし】の問題です。忍耐強く考えつづけることが求められているのです。
しびれをきらせて、【解】を無理やり出そうとする指導者は無能です。
もし彼らの言うように、武力行使でしか【解】を出せないのであれば、300年後に開戦すればいい。それを最後の手段と言うのではないでしょうか?
300年後には、きっとボールペン大の核ミサイルが完成しており、国民一人一本ずつ持てるようになるでしょうから。好きなだけ殺しあえばいい。昔年の恨みも晴れる事でしょう。そして、子孫に禍根を残す事も無く、達成感で溢れる事でしょう。
昨日、ヒロシマに行ってきました。こう刻まれていました。
「安らかにお眠りください 過ちは 繰り返しませぬから」
平和とは、祈るものではありません。
平和とは、武力を使わずに、戦う事です。
300年間の停戦を提唱いたします。
(300年以内には、恨みがうすれ、話のわかる外交担当者同士が、交渉の席で正々堂々と戦い、上手に共存し友情をはぐくむ事でしょう。)
我々は、そんな有能な、人物の邪魔をしてはいけない。将来彼らが、お互い後ろめたい気持で望まなくて済むように外国の人たちと付き合う事が、我々の仕事です。何かをしておくのではなく、“何も起こさない事”これが将来に対する我々の仕事です。